なんで内臓は美しいピンク色をしているのか?(誰も見ないのに。)

なんで内臓はピンク色をしているの? 誰も見ないのに。

なんで私化粧してるの? 誰も見ないのに。

 

宇宙には誰もまだ見たことのない世界が広がっています。なんで誰も見たことが無いのに広がってるって言えるの?

あなたには、誰もまだ気づいていない才能がたくさん眠っています。なんで誰もまだ気づいてないのにあるっていえるの?

 

いつか見染めてもらうことを待ち続けていたらしわしわのおばあさんになって、でも内臓はきれいなピンク色のまま、おばあさんはぐるっと裏返って人生のB面。

なんで気持ち悪いことがあるかい。処女の性器と一緒さ、誰にも見られても使われてもいない、正真正銘のピンク色さ。

生まれて初めて空気に触れたおばあさんの内臓は今まで感じたことのない酸素をあっという間にとりこんで一気に腐る よりも早く、あっという間に野犬にたかられてバラバラになって終わりました。To be continued.放置中よ。掃除するの?

創意工夫を、こらしてこらしてこらしめておきました。

そんなふうよ。

 

はい、3分後の姿がこちらでーす。ああ、おばあさんの変わり果てた姿!

わざわざ灰にして埋めて土に返して植物にしてそれを食べて生命のリレーとかいうより、新鮮な臓器を直接野犬に与えたおばあさんは市長からエコ大賞の感謝状が送られましたが、こんなものに紙を使うのはもったいない、と非物質化したおばあさんは、賞と言うのは概念だから概念だけでいいのに、市長だって税収減のあおりを受けてもう身体がほぼ透けてるじゃないか。

 

究極のエコは死ぬこと。

究極のエゴは死ぬこと。

 

才能無いなら死にたい、と21世紀生まれのアイドルは言った。

 

究極のエロは死ぬこと。

給食のセロ リは残した。

 

下田美咲という女性がこういっていた。

 

「私が食べて数時間後に便として出すことと、食べずに捨てて生ゴミになること、どう違うのだろう。」

「自分の胃袋に入れば価値があって、ゴミ箱に捨てるのは粗末にすることだ、と言う人は、どれだけ自分の命や身体を過大評価しているんだろうと思う。 私の胃袋もゴミ箱も、食べ物からしたら同じ、ただの行き先であり入れ物だし、美味しく頂けば大切にしていることになると思っているのなら、あまりにエゴだ。私が出荷された豚の家族なら「あなたたちの感想なんかどうでもいい。何も食べないで餓死して滅びてくれ」と思う。」

 

そう、わたしたちは大きめのゴミ箱。

 

受け止めてください! 僕の気持ちを。

いいですよ、ゴミ箱としてなら、回収しますよ。

 

才能無いなら死にたい、と言っていたアイドルは身体がキレイなまま残って苦しまずに死ねる薬をインターネットで購入したが、

先日失踪した端正な顔立ちの俳優がかくまわれていた先で適当に作ったもので、少女の身体からきれいに幽体離脱した魂はおばあちゃんの

 

おばあちゃんの遺書に書いてあった言葉はたった四文字、

拡    散        希                望

 

心を込めて作ったんで、受け止めてください!

受け止めますよ、ゴミ箱としてなら。

 

心を込めて作ったものに大して意味は無い。

言葉を尽くして言ったことに大抵意味は無い。

 

こころ こころ ここどうぞ よその こども ホロコースト

客を信頼する

全て私が悪い。全て私が悪い。この悪さをひきずって、この肉袋で生きていくんだ。

 

この心の黒い穴を掘れば、本当に、同じ誰かへと続くトンネルになるんだろうか?

 

 

ライヴをやればやるほど、孤独をまき散らして「渋澤さんは孤独なんですね」って言われて遠巻きに眺めるオーディエンスが増えていく一方な気がする。

本当に、ここは、同じ誰かへとつながるトンネルですか? お間違いないですか?

 

でも同時に、私にはまだ孤独が足りないとも思う。私の孤独は分かりやすすぎる。私の孤独は安っぽすぎる。

 

ライヴハウスでは、ディスとかツイッターとか分かりやすい話とか固有名詞とか使わないと皆の気を引けないと思い込んでる。

音楽を聴きに来た音楽好きな人の前で音楽以外をやるのだから、よほどのことじゃないと皆の気をひけないと思い込んでる。

私は音楽を(多分)好きだけど、愛とか花とか海とか歌う弾き語りなんて10秒と聴けないのだ(その数少ない例外が大森靖子であり、原田卓馬であり、小棚木もみじであった)

 

こういう、「飛び道具を使わないと客はこっちを見ない」と思い込んでる態度は、ある意味でオーディエンスを信頼していないということだ。あるいは自分に自信が無いということだ。

でもどっちにしろ私は、本当に、心の底から、愛とか花とか言いたくない。

愛とか花とか歌ってる人は本当に心の底から愛とか花とか思ってるんだろうか? 愛とか花とかについて考える日常を持っているんだろうか。私は無い。その2億倍、ディスとツイッターと固有名詞について考えている。だから私はディスとツイッターと固有名詞の話をしている。

 

私の演目の中で、ライヴハウスでウケが悪いもの、すなわち飛び道具が少なめの文学寄りのものは、私に技量が足りないから聴いてもらえないんだろうか? それとも客の民度が足りないんだろうか?

こんなことを一切考慮せずに書ける純文学という分野って、ある意味最高だよな。誰でも文学賞に応募して、まともな審査員に読んでもらえる。審査員のことをまともだと思っていない人もいるけど、私は、三度応募した小説が大変妥当な評価をもらって返って来たので(二次通過、二次通過、選外)、審査員のことはとても信頼している。

 

 

殆どの人間は、ライヴハウスで音楽をやっていない。純粋な意味では。

音楽に付随するもの(MCでも見た目でも悲壮感でも貧乏アピールでも身内のパリピポのノリの良さでも)、あらゆるものがライヴハウスの商品になるしそれはそれで何の問題も無い。なぜなら音楽だろうが音楽じゃなかろうがあらゆる手段を使って目の前の客に己の「生き様」を見せるのがライヴだからだ。

 

だから、客が少ないことを悔しがって「俺は誰よりも音楽のことを考えてるのに」と言ってるバンドマンは二重の意味で愚かだ。

第一に、君たちがやってるのは音楽じゃなくてライヴだ。

第二に、たくさん考えりゃ振り向いてくれると思い込んでるのは片思いの童貞みたいでキモい。

 

(余談だが物書きの世界では、「小説のことばっか考えている小説書きはダサい」という風潮がある。女の尻追っかける片手間に小説書くヤツが一番強い、的な風潮がある。参考にどうぞ。)

 

本当に「音楽のことを考えている」、感度の良い人間が、ライヴハウスからいなくなってしまうのを見ている。

先日、ライヴハウスで、あるイベンターが、ライヴは良いが客入りの悪いバンドマンに「もっと打ち上げとか行って人間関係作れ」的なアドバイスをしていた。まあ、そういうこった。

 

私は客時代、いつもひとりでライヴハウスに行ってSuiseiNoboAzを観て、ヘトヘトのビッショビショに情動失禁して、「死にたい、孤独だ、SuiseiNoboAzは私を殺しに来る」と思い、その思いを誰とも共有せずに黙って帰った。

 

打ち上げで喋って良い人だったからライヴきちゃった〜 ハハハハハ。

こんな話耳に入れちまったらライヴハウスの客をますます信用できなくなるぜ。もう打ち上げまで残らん方がいいのかも、と思ったけど、私もまた打ち上げでイベンターの人に会ってライヴを一本とってしまった。私もまあ、そういうこった。

 

他人の神様の名前をみだりにとなえてはならない。

宗教戦争が始まる。始めた。始められた。

 

画家が絵を描く前に真っ白いキャンパスを用意するように、料理人が自分の店の店構えにこだわるように、ライヴ屋はハコとオーディエンスと対バンを整えるべきだ、という見解もある。

それとも、どんなキャンパスでも、どんな厨房でも腕を振るえる人間が至高なのだろうか。

 

私は、あらゆる場所で私を出してきて(文学フリマ、ネット、詩の朗読会、ライヴハウス、友人関係…)あらゆる切り口で私のコアを知ってもらって、客をなんとかかき集めた。だから私の客のことは大変信頼している…………いや、どうなんだろう?

私が客を信頼できないとしたら、それは私が「今までの私」を信頼できていないということだ。「今までの私」が、客を集めてきたんだから。

 

客を信頼しなければならない。

ハコと対バンを信頼しなければならない。

私が、紙を信頼するのと同じレベルで。

 

しかしその前にはまず、私が私を信頼しなければならない。

 


 

文中に出てきた小棚木もみじさんと対バンします。

新宿JAMにて19時より。私の出番は20時5分。もみじさんの出番は21時5分です。ちゃんと私のライヴアクトをYouTubeで見て呼んでくれた信頼できるイベンターさんの企画なので、信頼して臨もうと思います。

 

全幅の信頼を置く友人が最高のステージを用意してくれました。

場所もすごく愛着のある場所だし、何より対バンが最高です。こんな経験の浅い私にここまでの大舞台を用意してくれていいのか? ありがとう友人。期待にこたえる

1/16に高円寺ミッションズ。

 

これる人はこの記事にコメントか、ツイッター@RayShibusawaへのリプライかDMか、メールinfo@rayshibusawa.her.jpへ連絡願います。予約してくれるとテンション爆上げになって明らかにアクトが良くなるので、「まあいけたら行くかも」レベルでもぜひ、ふぁぼか応援感覚で気軽に連絡、よろしくお願いします。

つづきはwebで。

今日はtamatogiというオープンマイクだった。

11/1の新高円寺クラブライナーでのライヴでバンドマンdisり芸をやって局所的伝説を作って(YouTubeこれです)、スペインに高跳びした渋澤は、帰国後は一転してライヴアクトで低迷を続けていた。

ちょっとライヴやりすぎて疲れたかも、と思って(実際帰国後はオープンマイクを含めれば11/19,20,24,25,26とやってた)しばらく間を空けることにしたのだが、既に決まっていた12/13,14,19のライヴハウスでのライヴは、カレンダー見るだけで緊張するくらいに重荷に感じていた。

 

でも昨日久々にオープンマイクに出て、「ライヴビビり」が完全に解消した。もう12/13,14,19も楽しみでしかない。

 

オープンマイクの面白い所は、「出順不明」「対バン不明」「制限時間が極端に短い(だいたい5分)」など、制約が多く、しかも、どういう場になるか全然予想がつかないところだ。多岐にわたるジャンルの演者が目まぐるしく変わることによって場の雰囲気もころころ変わり、私は「次呼ばれたら何を読むか」3パターンくらい考えながら迷っていた。

結局、自分の出番が回って来た時に直感で、「サブカルチャーを殺す」をやった。今回は初参加のオープンマイクで、9割方しらない人だったのでやりやすかった(私は、えてしてアウェーの方が燃えるのだ)。でも前フリや自己紹介で時間をとりすぎてしまい詩の途中でストップかけられてしまったのである意味生放送なら事故レベルの失敗。でも咄嗟に「続きはwebで」って言えたから、アクトとしては悪くなかった気もする。

白熱しすぎて早口になってしまったが自分の体感としてはすごく気持ちの良い早口だったから、これは矯正するのでなくスタイルとして昇華すべき早口なんだろうな、と思う。なんか、「早口すぎるよな」とは分かってたけどあえて加速して自分の早口レベルの限界に挑戦したくなってしまったのだ。本番中に実験するとはつくづく良い度胸である。でも、「誰も自分を観に来た客がいない」からこその実験だったし、オープンマイクの失礼極まりない使い方としてはすごくまっとうな気もする。

 

というわけで、今回は単体で見て大成功とはいいがたいライヴだったが、

・場の空気を読もうとした

・リスクをとれた

という点で、良いリハビリとなった。

 

「リスクをとるのを恐れて無難におさめようとすること」と、「やる気が無いこと」は、自分の中ではニアリーイコールだ。

生身のめちゃめちゃ活きのいい身体が跳ねてるから一体どうなるか分からないのがライヴで、そういう意味でまっとうにライヴできた。

 

 

 

12月のライヴ、あと三本あります。もうライヴの勘を取り戻した私は良いライヴしかする予感が無いので、ぜひ観に来てください。

 

■2016/12/13(火)19時〜高円寺無力無善寺  私は20時10分くらいから。 対バンの本田ヨシ子さんのめちゃキマる音楽がおすすすすめなのでぜひ一緒に観てくれ。

 

■2016/12/14(水)19時〜 下北沢ベースメントバー 私は19時半〜。 ライヴハウスでバンドと対バン! 「楽器を持たない歌も歌わない、延々くっちゃべってる変なお姉さん」として、ぶちかましてきます

 

■■■■激オシ■■■■  2016/12/19(月)新宿JAM 「音呑」 開始時間未定(多分19時とか?)私の出番は多分20時以降のどこか。

こちらもライヴハウスでのライヴです。知り合いのイベンターなのでかなりアゲアゲに盛り上げてくれてイカした場になると期待してます。私も「ライヴ」感超出してきます。変な衣装を着る可能性があります。小棚木もみじという少女の弾き語りは激オシなので一緒に観てください。たぶん祭りっぽくなるDAYなので渋澤と話したりしたい人はこの日おすすめ。

 

 

12/10

今日もインターネットにはいろんな感情があふれている。

みんな忙しいから、知らない人の感情には興味ない。知ってる人、自分に利害関係がある人、自分が寂しい時に寂しいと言ったらかまってくれる人にだけ興味をもって、感情というものを共有しあっている。

でもどうせ感情なんて違うんだから、さみしいという記号の4文字に入れているものは各自違うのに、同じ入れ物を交換し合って共有してるってことにしてるだけだと思う。

 

私はできあいの入れ物は使わない。

私はユーモアがあるので、さみしい時にさみしいといわない。

私はユーモアがあるので、かなしい時にかなしいといわない。

私はユーモアがあるので、たのしい時にたのしいといわない。

 

私はオリジナリティあふれる表現を駆使して自分だけの入れ物を自分だけで作り上げる。だから、私のことを知らない人にも興味持ってもらえて、「あるあるわかる」と言ってもらう

 

みんなが言えないことを、みんながうすうす気づきつつも言葉にできないことを、みんなが怖くて言葉にできないことを、私が浮かび上がらせてみせる。それで、みんなをいやす、はげます、つきさす、脅かす、大体楽にしてあげる。

それが私の仕事だ。

 

「渋澤さんは才能があるから女として見れない」って言われました。

嫉妬しちゃうから、ライバル心出ちゃうからって言われました。

じゃあ私は誰に「さみしい」「つらい」って言えばいいわけ?

 

とある日のツイート。

『今日のライヴはすごく良かった」という意味で、「行かなかった人は後悔すべき」っていう人いるけど、あんまし好きじゃないんだよなー。

私は「この道を選んだことを常に肯定してる方が楽しい人生になる」という哲学を持ってるので、「後悔」なんていう迷惑な代物をファンに押し付けんなって思う。』

 

と書いたら、友人から「私のこと? ごめんね」って返信が来て、本当にどうでもいいなと思った。私は知らない人に届けるためにできるだけデカい声で発してるので、たまに、うっかり近場の人の鼓膜を破ってしまう。お願いだから近くに寄らないでって思う。

 

都合がいいから、近距離の人にも遠距離の人にも愛されたいと思う。

お客さん今日はどちらまで? 山に行ってください。誰もいない、本当に誰もいない山奥で、いつでも人目を気にせず自分のためだけに最大の音量で思いっきり叫べて、かつ、うっすら返ってくるやまびこによって自分だけを癒すことが出来る、あ、でももしかしたらたまたま誰かの耳に入ってついでに癒されることもあるかもしれない、そんなところまでお願いします。

高速使うけど、いいすか?

 

昔昔あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山にしばかりに、あなたは私をさがしにきました。

耳栓をして抱きしめてくれ。耳栓をして抱きしめてくれ。

 

あの美しい男の子が、薬物を使用していたかなんて、下々のものにはわからないし、分からないなら黙った方がいい。あの美しい男の子の人生とあなたの人生は1mmも関係ない。あなたは悲しんでいない、あなたは応援していない、あなたは彼を信じていない。し、彼はあなたを裏切っていない。あの美しい男の子の人生とあなたの人生は1mmも関係ない。そうやって、あの美しい男の子と自分の人生が関係あると思い込んでいる人たちが無責任に責任責任わあわあ言ってたのが昨日だった。わあわあ言う奴が週刊誌の売り上げを伸ばしている。わあわあ言うやつがいなければ、週刊誌は一瞬で滅びる。社会的制裁なんかいらない。刑務所的制裁だけで十分。もし黒だとしても、無音でいなくなって、無音で帰ってきてくれ。

 

久々に会った女友達と久々にのんべんだらりと喋った。

彼女も私も、最近彼氏と手ひどい別れ方をしたばかりだった。

どうやらやたらさみしい彼女は、夕飯を食べ終わったあとも私がビレバンに行ったりコンビニに行ったりするのについてきて、最後コンビニでアイスをかって、彼女の家付近まで一緒に食べながらかえった。

「こうやって深夜までだらだらぐたぐだしてると、男が持ち帰ってくれるんですよね」と彼女は言ってた。

ここを曲がれば彼女の自宅、私の家はまっすぐ先だ、という分かれ道に来て、いまだ彼女は名残惜しそうだった。でも私は、

「私たちはセックスできないからここで帰ろう」と言って、別れた。

超クールな感じだった。

 

男の子でしか埋められない穴があり、かつ、男の子でも埋められないのだ。

その穴は埋めるためでなく、掘るためにある。

手軽に手に取れる穴埋めをやめて、心の黒い穴を、孤独に耐えて深く深く掘り続けていれば、同じ誰かへとつながる、絶対に。

 

「心」というのは人間の脳の働きの中では低次なものだ。

心など無くても、人は起き、眠り、食事や排泄、いやそれどころか仕事だってできる。

こんな経験はないだろうか。今日だけは違う場所に出かけないといけないのに、玄関を出た途端、毎日使う通勤路をうっかり、「無意識に」歩いていた、ということが。

人間は意識なんかなくても生きていけるのだ。

 

「心をこめて」作ったものに大して意味は無い。「心をこめて」作ったものに大して意味は無い。

心なんかあるから、謝罪した「フリ」なんか求めるんでしょ。刑期のほうがよっぽど真摯だ。

業を全て売る



有名になっても幸せになるわけじゃない(音楽など人前でやるパフォーマンス系ならともかく、絵とか小説とか漫画の人は結構有名になっても私生活は地味なままだし仮に派手になったとて幸せになるかは不明、褒められたり人前出る機会増えてもそれと幸せはまた別なお話)





わたしは、自分の周りに好きな人とものをできるだけ寄せ集めるためにできるだけでかい声で好き勝手なことを言う必要があって、そしてそのためにできるだけ効率よい装置を作らないといけない……のだが、その装置作成の着手が遅れに遅れている。なぜかというと単純で、好き勝手なこと言えてないからだ。つまり装置に問題がある気がするのだ。





1日中家にいると結局だらだらと何もはかどらず、暇疲れして早く寝ちゃったりする。こうやって無職のくせに何一つ進まずまた年末か……去年と景色変わらねー。





3時間もしたけど何も描けなかった……(何を書きたかったかそもそもわかってなかった)



下田美咲論とか、PCツッコミ(ポリティカリーコレクトツッコミあるいはポリスコールツッコミです詳細は近日)とか、ポリアモリー本が面白かった話を書いてもいいんだけど、今夜は背骨をずるりと引き出すような、「わあなんじゃこんなこと考えてたんか自分」という文章を書きたいなって思った。





しかし、背中のジッパーを下すと、そこには背骨どころか……何もなかったのである……










えー! 才能あるとおもってたー! だからヒモックマでも許してたのに! OLのカオルさんもこれにはあきれ返った。





「開けるのが……早すぎたのかもね……」





リラックマの思念体が天井を漂いながらそうつぶやき、ふつりと消えた。









3時間粘って出なくて、心がざわざわするので座禅でもするのかと思って深呼吸始めたら泣いてしまった。せっかく1日何もない日を作ったのに1時間で無駄にしたなと思ったらさらに泣けてさらに無駄にした。それでこうやって弱気ブログ書いて更に無駄にしてる。





何が辛いかと言うと、人恋しくて人に会っても全然満ちず、ひどい時には目の前に人がいても孤独を感じるということ。なんでこんなに伝わらないの? って思う。





あまりに伝わらな過ぎてもう「こう言ったらこう返事しない? 私はそうしてほしい。そしたら満ちる」というパターンを詰め込んだロボットと永久に会話したいって思うくらい。予想外や即興やセッション感が会話のキモなのは重々承知なのですが、心が弱ってて予想外の大海原に進出できない。






まこういうこと聞かれただけで機嫌悪くなる私のキャパ狭が原因なんですけどね





(あんたみたいに能天気に生きたい)





ふぁぼもらっても満ちないと分かってても1日100回ツイッター見ちゃう。





打ち上げが好きなバンドマンて何なの?! 不潔だよ。

画廊でライヴ観てくれた人を一人、文学フリマで本買ってくれた人を二人、ネットの私の文章のファンだった人を一人、みたいな感じで、あらゆるルートからライヴへ集客をしている。

 

どこでライヴやっても大体毎回一人はグサッと来てくれる人がいて、ああ今日もここでやってよかったと思えることが多いんだけど、なんかそういう終演後のコミュニケーションにも飽きてきちゃった節もある

 

結局純粋にコミュニケーションできてるのってライヴの間だけでしょ その後の感謝とか雑談とか全部営業トークみたいに感じちゃってすごく嫌だ、自分が。そういえば私、客時代にも好きなバンドのバンドマンと話すのがすごく苦手だった、「良かったです」以外に話すことなくてすぐ逃げてた

 

ステージとフロアで目が合った瞬間の世界一高尚なコミュニケーションに、自分で泥を塗っていく。音速で言葉届けて最短距離で刺せたはずなのに、なんでぐだぐだぐだと、幕間の時間はこんなに長い?

 

打ち上げが好きなバンドマンて何なの?! 不潔だよ。

酒よりよっぽどトべる音楽が、あなたたちにはあるでしょうに。

 

いいよなあお前らはスタジオで遊びと創作と友情を同時進行出来て。

私の仕事はまず孤独になること。そして終始孤独でいること 打ち上げは無いです 

ツイッターをやればやるほど幸せは遠ざかり、寿命が縮む

幸せの青い鳥のはずなのにね。

 

「好きな人と好きなモノがガンガン寄ってくる! 超楽しい人生に過ごすためのたったひとつの簡単なやり方」(好きなモノを好きとできるだけデカい声で言う、つまりライヴをするってこと)っていう、ものすごい前のめりなタイトルの自分の記事を読み、自分で自分をチアーアップするなどしていた。

 

「ライヴ終わった‼ ちょー楽しかったわ記憶ないわ‼! これがステージに潜む魔物ってやつか!!! みんながハマるの分かるわもっと早くやればよかった。明日もライヴあるさいこー! 天国はここだし神様は自分!」

 

これ、10/18のライヴ直後の私のツイートなんですけど、今は「ああ一体私の神様はどこ行っちゃったんだろ」って気持ち。

 

なんかスペインから帰ってきてから全部不調なのだ。9時間寝ちゃうしバイトはブッチしまくるし、ライヴもバッドトリップばっかである。ノリで軽い罪も犯した(vsいや私は悪くない)。

 

本当は男の子になりたかった病もあっさり再発してしまったし(1か月半しか止まらなかった!!)、全部ひっくるめて精神はさみしい。

 

身体の調子もあまりに変なので1時間半かけて運動、ストレッチ、ツボ押しをしたらだいぶまともになってきた。

 

工藤ちゃんを、「何者かになりたくて、なれなくて、もがいている人」で「生き様全体をライヴアクトとして剝き出しにしちゃってる人」と書いたけど、まあ私も同類である。私はライヴに関してはド素人で、割と体当たり系である。勿論、台本は文字だから長年小説を書いてきたスキルを駆使して緻密に作りこむが、割と本番は場の波に呑まれる。それにより超良くなることもあるし(いわゆるビギナーズラックだ)、超悪くなることもある。良くも悪くも不安定なのだ。

 

ライヴの出力に関してはド素人ゆえ細かいツマミの調整ができずすべてフォルテッシモ、魂の露出全開である。だから失敗すると全存在で傷つく。(成功すると「神様は私!!」とか言い出す)

 

11/24のライブの後、くさくさして「私が一番面白いもん! 私が一番面白いもん! 思い知れ世界!」とつぶやきながら夜明け4時に自作の歌をサウンドクラウドに吹き込んだ。しかし夜だから体のコンディションも良くないし周囲に気を使って大声も出せない。その微妙なサンクラを聞いた一人が、私に幻滅してしまったそうだ、と、人づてに聞いた。ライヴに来てくれるはずだったらしいのにー。うわー。間違ったインターネットの使い方―!

 

しかし今時、インターネットによりすぐりの最強の自分だけをアップするなんて使い方は時代遅れだ。失敗はさらなる成功で洗い流すしかない。情報量で勝負。

 

……本当はこの「情報量で勝負」っつう時代の流れ、大嫌いなんだけどね。

年に1本、いや数年に1本、いや生涯に何本か名作を書いてくれるお気に入りの作家が数名いたら、余裕で人生なんか回るのにね。

あんまりたくさん行動されても追い尽くせないから、ドロップするものの量でなく密度を上げてほしいんだけどね私は。そして私も本来、そうでありたい。

 

なんなんだろうね。でも一日用事が無くて家にいるとそれだけで無駄に落ち込むから(働け)、私も外に出て生き様丸出し系のライヴやる方が結局健康に良い

 

 

そんな渋澤怜の次のおすすめライヴは

12/14@下北沢ベースメントバー

12/19@新宿JAM です。

 

両方ともライヴハウスです。ライヴハウスでアウェーに切り込む私の方が面白いと思うのでぜひ観に来てください。本当に、音楽やる場所で音楽やらずに周りに「?」をまき散らしながら謎の前衛詩をくっちゃべるのはマジで心臓に悪いのですが、客の表情を「なんじゃこりゃ」から「こいつおもしれえかも」に変えていく作業はオセロの終盤でバッタバタひっくり返して大逆転するくらい気持ち良いです。そんな渋澤を目撃しよう

 

特に12/19はおススメ度5つ星です。対バンも良いし、好きなハコだし、場も味方になってくれる気がする

サブカルチャーを殺す

こんにちは。「インターネットおばさん」こと、渋澤怜です。

 

サブカルチャーを殺しに来ました。

サブカルチャーを殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

サブカルチャーを殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

サブカルチャーを殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

 

 

これがサブカルの本義、殺し屋の2歩後ろには常に殺し屋がついている。

そうです人は誰かを殺さないと生きていけません。私はしらす丼が大好物ですが食べるたびにしらすを大量殺戮に加担してしまい本当に申し訳ないと思っている。でも次の瞬間「私はしらすよりも高尚な生命体だから、別にいいのだ」と思うことによってしらすを精神的な意味でもう一度殺す。

 

しらすじゃ殺し足りないから、もっと大きな獲物を探す。獲物は大きくて、かつ自分に近い方が良い。その方が隣にいる自分の輪郭がよりハッキリするから。

写真にうつるなら、自分の真隣はブスがいい。でもそいつと同じフレームに入ってる時点で自分もブスだ。なら写真に写ること自体やめようよ、自分はここにいるのに自分の一体何を確認する必要があるんだ? 全ての写真は心霊写真だ。つねに2歩後ろに自分を殺す自分が写ってるよ。(ま、多くの人がそれに気づかないからいつまでたってもパシャパシャ撮り続けてるんだけどね)

 

自分の写真を見せまくるのはナルシスト扱いされてアウトなのに、子どもの写真を見せまくるのはセーフなのは一体なんでですか? 自分の遺伝子が半分入ったコピーじゃないですか。自分のコピーの写真見せまくる人とかキモくないですか。まだ自分の恋人の写真見せる人の方がマシなはずなのに、世間では子供より恋人の写真見せる方がダメってことになってる。

あ! そういや女の子がやたら音楽詳しいと「元カレの影響?」って言われるっていう地獄があったな。

 

だからさ、言ったろ、自分を語る固有名詞は少ない方がいいんだよ。3つくらいそろうともう「ああ、それ系好きな人ね」って言われる(大森靖子、最果タヒ、はいもうリーチでしょ)。

 

いつか、「渋澤怜を好き」ということが「こういう固有名詞レースからおりてます」ってことの象徴になれば最高だ、でも、一瞬なんだろうな。すぐに私も、誰かの名札になってしまうだろう、だって私も固有名詞なんだから。

たたえた孤独の量が違えんだよ、貴様は芸術やらない方が幸せだ

いまいちなライヴをすることでこんなに落ち込むということを学んだ。この落ち込みを乗り越えてライヴを重ねてきたすべてのバンドマンに敬意を感じる。

 

正直、11/1のライヴがなんで良かったのか、何をもって良かったとされているのかわからないし、動画を見てもその「良さ」というのはサッパリ映っていない。

今日のライヴも、何をもってしてダメとジャッジされているのか、なんでダメになったのか、サッパリわからん、ただ初見ではない客何人もに「すごく緊張してたね」と言われた。確かに緊張してた、全然楽しくなかった、魔法で時間が伸び縮みしているような、勝手に身体が動いていく様を幽体離脱した魂が少し後ろで観ているような感じが、なかった。客の目も見れなかった。私が呼んだ客が沢山いたのに全然安心できなかった、謎だ。

ATフィールドを張ったのは私か、君たちか、あるいは場か空気か。

自分が呼んだ客が、他の弾き語りシンガーのチケットを買っていてすごく腹が立った。普段ならこんなことでは全くイラつかないのだが。みんな違ってみんないいし、他人のことなんてマジどうでもいいのに「私が一番面白い! 私が一番面白い! 頭良くて何が悪い!」とずっと脳内で言ってた(終盤は声にも出してた)。

一番もクソも無えしこんな井戸の中の蛙で何を言っても完全に無意味で、まったくもっておかしかった。終演後に私以外の弾き語り女子がみんなでご飯食べに行ってるのをSNSで知り変な打撃を受けた、それこそいつもならこんなことまったく気にしないどころか「ハッ! あのアクトみて私に興味持たないようなセンスの無いやつはこっちから願い下げじゃ! ライヴやると人間のソートが速くできて便利便利」とか言ってられるのに、どうした、私はステージに乗ってれば最強のはずではなかったのか、11月は全部変だ、

ゾロ目の月は矢張り気をつけねばならない。

 

 

工藤ちゃんは毎日、というか下手したら1日2本ライブをしている。なんだか色気がダダ漏れている人だった。神秘の生命体だった。(参考:渋澤がセクシーとか色気とか言ってるときはこういう感じで褒めてる)

サブカルとか言って自分や他人をカテゴライズしてセーフとかアウトとか言いあう手遊びは飽き尽くして私は真に自分と、自分の超大好きなものにしか興味がない。そして自分も、自分の超大好きなものも唯一無二だからカテゴライズとか永遠に要らない。のに、大森靖子フォロワーとか弾き語り女子界隈とかいう地獄みたいな単語を聞いてしまった。もう二度と聞かねえからな私は。

 

自分を説明する時に使う固有名詞は少なければ少ない方が良い。3つくらいそろうともう「ああ、それ系好きな人ね」って言われる(大森靖子、最果タヒ、はいもうリーチでしょ)。

すぐに「●●さんて知り合いですか」とか「このイベントはどこで知ったんですか」とか言ってカテゴライズしてくるプロファイリングしてくる警察かよ、ただ声色を味わえ。水野しずどう思いますかじゃねえよ自分の話しろ。

知り合いのカップルを見ながら、あーいーなーとか思う(とても心が弱っていたのだ)。こんなに削れるのなら、一刻も早く全肯定してくれる存在を作らないと、削られ尽くして終わる。バンドメンバーか彼氏が早急に必要、それかライヴやめるか。そして私はこのままじゃきっと小説も書けないだろう。

「本当は男の子に生まれたかった」コンプレックス

うわーん 自分がステージに乗ることによってバンドマン・コンプレックスを解消したと思っていたのに、「本当は男の子に生まれたかったコンプレックス」は色濃く残ってるよー 

バンド観てるのは平気になったけどバンドマンが群れてわいわいきゃっきゃやってると辛いよーどれくらい辛いかと言うとメンバーみんなでスタジオとか河原でバーベキューとかしてる画像がツイッターで回ってくるだけで辛くなるくらい辛いよー

 

男の子になりたいとか、男の子になってバンドをやりたい人生だったという反実仮想がいまだに湧くのは性欲とはきっと違くて、あーあ一人でステージ立ってる最強の私になれば永遠に最強と思ってたのに、バンドメンバーを得ないとこのコンプレックスは解消しないのだろうか? だとしたら結構な修羅な道だぞこれは。

 

そしてその場合はメンバーは男なんだろうか女なんだろうか?

男みたいな女、がいい気がする。

 

「渋澤怜と、バンドマンの元カノズ」とか、「SUEZEN」っていうガールズバンド組みたい、とか冗談でずっと言ってたけどあながち実現しないといけないのかもしれない。

 

あ〜〜 修羅〜〜

 

でも最近渋澤怜のドキュメンタリを作ってもらえる話が立ち上がったしあながちいろんなことはすぐ実現するのかもしれない。

 

修羅〜〜