12/10

今日もインターネットにはいろんな感情があふれている。

みんな忙しいから、知らない人の感情には興味ない。知ってる人、自分に利害関係がある人、自分が寂しい時に寂しいと言ったらかまってくれる人にだけ興味をもって、感情というものを共有しあっている。

でもどうせ感情なんて違うんだから、さみしいという記号の4文字に入れているものは各自違うのに、同じ入れ物を交換し合って共有してるってことにしてるだけだと思う。

 

私はできあいの入れ物は使わない。

私はユーモアがあるので、さみしい時にさみしいといわない。

私はユーモアがあるので、かなしい時にかなしいといわない。

私はユーモアがあるので、たのしい時にたのしいといわない。

 

私はオリジナリティあふれる表現を駆使して自分だけの入れ物を自分だけで作り上げる。だから、私のことを知らない人にも興味持ってもらえて、「あるあるわかる」と言ってもらう

 

みんなが言えないことを、みんながうすうす気づきつつも言葉にできないことを、みんなが怖くて言葉にできないことを、私が浮かび上がらせてみせる。それで、みんなをいやす、はげます、つきさす、脅かす、大体楽にしてあげる。

それが私の仕事だ。

 

「渋澤さんは才能があるから女として見れない」って言われました。

嫉妬しちゃうから、ライバル心出ちゃうからって言われました。

じゃあ私は誰に「さみしい」「つらい」って言えばいいわけ?

 

とある日のツイート。

『今日のライヴはすごく良かった」という意味で、「行かなかった人は後悔すべき」っていう人いるけど、あんまし好きじゃないんだよなー。

私は「この道を選んだことを常に肯定してる方が楽しい人生になる」という哲学を持ってるので、「後悔」なんていう迷惑な代物をファンに押し付けんなって思う。』

 

と書いたら、友人から「私のこと? ごめんね」って返信が来て、本当にどうでもいいなと思った。私は知らない人に届けるためにできるだけデカい声で発してるので、たまに、うっかり近場の人の鼓膜を破ってしまう。お願いだから近くに寄らないでって思う。

 

都合がいいから、近距離の人にも遠距離の人にも愛されたいと思う。

お客さん今日はどちらまで? 山に行ってください。誰もいない、本当に誰もいない山奥で、いつでも人目を気にせず自分のためだけに最大の音量で思いっきり叫べて、かつ、うっすら返ってくるやまびこによって自分だけを癒すことが出来る、あ、でももしかしたらたまたま誰かの耳に入ってついでに癒されることもあるかもしれない、そんなところまでお願いします。

高速使うけど、いいすか?

 

昔昔あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山にしばかりに、あなたは私をさがしにきました。

耳栓をして抱きしめてくれ。耳栓をして抱きしめてくれ。

 

あの美しい男の子が、薬物を使用していたかなんて、下々のものにはわからないし、分からないなら黙った方がいい。あの美しい男の子の人生とあなたの人生は1mmも関係ない。あなたは悲しんでいない、あなたは応援していない、あなたは彼を信じていない。し、彼はあなたを裏切っていない。あの美しい男の子の人生とあなたの人生は1mmも関係ない。そうやって、あの美しい男の子と自分の人生が関係あると思い込んでいる人たちが無責任に責任責任わあわあ言ってたのが昨日だった。わあわあ言う奴が週刊誌の売り上げを伸ばしている。わあわあ言うやつがいなければ、週刊誌は一瞬で滅びる。社会的制裁なんかいらない。刑務所的制裁だけで十分。もし黒だとしても、無音でいなくなって、無音で帰ってきてくれ。

 

久々に会った女友達と久々にのんべんだらりと喋った。

彼女も私も、最近彼氏と手ひどい別れ方をしたばかりだった。

どうやらやたらさみしい彼女は、夕飯を食べ終わったあとも私がビレバンに行ったりコンビニに行ったりするのについてきて、最後コンビニでアイスをかって、彼女の家付近まで一緒に食べながらかえった。

「こうやって深夜までだらだらぐたぐだしてると、男が持ち帰ってくれるんですよね」と彼女は言ってた。

ここを曲がれば彼女の自宅、私の家はまっすぐ先だ、という分かれ道に来て、いまだ彼女は名残惜しそうだった。でも私は、

「私たちはセックスできないからここで帰ろう」と言って、別れた。

超クールな感じだった。

 

男の子でしか埋められない穴があり、かつ、男の子でも埋められないのだ。

その穴は埋めるためでなく、掘るためにある。

手軽に手に取れる穴埋めをやめて、心の黒い穴を、孤独に耐えて深く深く掘り続けていれば、同じ誰かへとつながる、絶対に。

 

「心」というのは人間の脳の働きの中では低次なものだ。

心など無くても、人は起き、眠り、食事や排泄、いやそれどころか仕事だってできる。

こんな経験はないだろうか。今日だけは違う場所に出かけないといけないのに、玄関を出た途端、毎日使う通勤路をうっかり、「無意識に」歩いていた、ということが。

人間は意識なんかなくても生きていけるのだ。

 

「心をこめて」作ったものに大して意味は無い。「心をこめて」作ったものに大して意味は無い。

心なんかあるから、謝罪した「フリ」なんか求めるんでしょ。刑期のほうがよっぽど真摯だ。

業を全て売る



有名になっても幸せになるわけじゃない(音楽など人前でやるパフォーマンス系ならともかく、絵とか小説とか漫画の人は結構有名になっても私生活は地味なままだし仮に派手になったとて幸せになるかは不明、褒められたり人前出る機会増えてもそれと幸せはまた別なお話)





わたしは、自分の周りに好きな人とものをできるだけ寄せ集めるためにできるだけでかい声で好き勝手なことを言う必要があって、そしてそのためにできるだけ効率よい装置を作らないといけない……のだが、その装置作成の着手が遅れに遅れている。なぜかというと単純で、好き勝手なこと言えてないからだ。つまり装置に問題がある気がするのだ。





1日中家にいると結局だらだらと何もはかどらず、暇疲れして早く寝ちゃったりする。こうやって無職のくせに何一つ進まずまた年末か……去年と景色変わらねー。





3時間もしたけど何も描けなかった……(何を書きたかったかそもそもわかってなかった)



下田美咲論とか、PCツッコミ(ポリティカリーコレクトツッコミあるいはポリスコールツッコミです詳細は近日)とか、ポリアモリー本が面白かった話を書いてもいいんだけど、今夜は背骨をずるりと引き出すような、「わあなんじゃこんなこと考えてたんか自分」という文章を書きたいなって思った。





しかし、背中のジッパーを下すと、そこには背骨どころか……何もなかったのである……










えー! 才能あるとおもってたー! だからヒモックマでも許してたのに! OLのカオルさんもこれにはあきれ返った。





「開けるのが……早すぎたのかもね……」





リラックマの思念体が天井を漂いながらそうつぶやき、ふつりと消えた。









3時間粘って出なくて、心がざわざわするので座禅でもするのかと思って深呼吸始めたら泣いてしまった。せっかく1日何もない日を作ったのに1時間で無駄にしたなと思ったらさらに泣けてさらに無駄にした。それでこうやって弱気ブログ書いて更に無駄にしてる。





何が辛いかと言うと、人恋しくて人に会っても全然満ちず、ひどい時には目の前に人がいても孤独を感じるということ。なんでこんなに伝わらないの? って思う。





あまりに伝わらな過ぎてもう「こう言ったらこう返事しない? 私はそうしてほしい。そしたら満ちる」というパターンを詰め込んだロボットと永久に会話したいって思うくらい。予想外や即興やセッション感が会話のキモなのは重々承知なのですが、心が弱ってて予想外の大海原に進出できない。






まこういうこと聞かれただけで機嫌悪くなる私のキャパ狭が原因なんですけどね





(あんたみたいに能天気に生きたい)





ふぁぼもらっても満ちないと分かってても1日100回ツイッター見ちゃう。





打ち上げが好きなバンドマンて何なの?! 不潔だよ。

画廊でライヴ観てくれた人を一人、文学フリマで本買ってくれた人を二人、ネットの私の文章のファンだった人を一人、みたいな感じで、あらゆるルートからライヴへ集客をしている。

 

どこでライヴやっても大体毎回一人はグサッと来てくれる人がいて、ああ今日もここでやってよかったと思えることが多いんだけど、なんかそういう終演後のコミュニケーションにも飽きてきちゃった節もある

 

結局純粋にコミュニケーションできてるのってライヴの間だけでしょ その後の感謝とか雑談とか全部営業トークみたいに感じちゃってすごく嫌だ、自分が。そういえば私、客時代にも好きなバンドのバンドマンと話すのがすごく苦手だった、「良かったです」以外に話すことなくてすぐ逃げてた

 

ステージとフロアで目が合った瞬間の世界一高尚なコミュニケーションに、自分で泥を塗っていく。音速で言葉届けて最短距離で刺せたはずなのに、なんでぐだぐだぐだと、幕間の時間はこんなに長い?

 

打ち上げが好きなバンドマンて何なの?! 不潔だよ。

酒よりよっぽどトべる音楽が、あなたたちにはあるでしょうに。

 

いいよなあお前らはスタジオで遊びと創作と友情を同時進行出来て。

私の仕事はまず孤独になること。そして終始孤独でいること 打ち上げは無いです 

ツイッターをやればやるほど幸せは遠ざかり、寿命が縮む

幸せの青い鳥のはずなのにね。

 

「好きな人と好きなモノがガンガン寄ってくる! 超楽しい人生に過ごすためのたったひとつの簡単なやり方」(好きなモノを好きとできるだけデカい声で言う、つまりライヴをするってこと)っていう、ものすごい前のめりなタイトルの自分の記事を読み、自分で自分をチアーアップするなどしていた。

 

「ライヴ終わった‼ ちょー楽しかったわ記憶ないわ‼! これがステージに潜む魔物ってやつか!!! みんながハマるの分かるわもっと早くやればよかった。明日もライヴあるさいこー! 天国はここだし神様は自分!」

 

これ、10/18のライヴ直後の私のツイートなんですけど、今は「ああ一体私の神様はどこ行っちゃったんだろ」って気持ち。

 

なんかスペインから帰ってきてから全部不調なのだ。9時間寝ちゃうしバイトはブッチしまくるし、ライヴもバッドトリップばっかである。ノリで軽い罪も犯した(vsいや私は悪くない)。

 

本当は男の子になりたかった病もあっさり再発してしまったし(1か月半しか止まらなかった!!)、全部ひっくるめて精神はさみしい。

 

身体の調子もあまりに変なので1時間半かけて運動、ストレッチ、ツボ押しをしたらだいぶまともになってきた。

 

工藤ちゃんを、「何者かになりたくて、なれなくて、もがいている人」で「生き様全体をライヴアクトとして剝き出しにしちゃってる人」と書いたけど、まあ私も同類である。私はライヴに関してはド素人で、割と体当たり系である。勿論、台本は文字だから長年小説を書いてきたスキルを駆使して緻密に作りこむが、割と本番は場の波に呑まれる。それにより超良くなることもあるし(いわゆるビギナーズラックだ)、超悪くなることもある。良くも悪くも不安定なのだ。

 

ライヴの出力に関してはド素人ゆえ細かいツマミの調整ができずすべてフォルテッシモ、魂の露出全開である。だから失敗すると全存在で傷つく。(成功すると「神様は私!!」とか言い出す)

 

11/24のライブの後、くさくさして「私が一番面白いもん! 私が一番面白いもん! 思い知れ世界!」とつぶやきながら夜明け4時に自作の歌をサウンドクラウドに吹き込んだ。しかし夜だから体のコンディションも良くないし周囲に気を使って大声も出せない。その微妙なサンクラを聞いた一人が、私に幻滅してしまったそうだ、と、人づてに聞いた。ライヴに来てくれるはずだったらしいのにー。うわー。間違ったインターネットの使い方―!

 

しかし今時、インターネットによりすぐりの最強の自分だけをアップするなんて使い方は時代遅れだ。失敗はさらなる成功で洗い流すしかない。情報量で勝負。

 

……本当はこの「情報量で勝負」っつう時代の流れ、大嫌いなんだけどね。

年に1本、いや数年に1本、いや生涯に何本か名作を書いてくれるお気に入りの作家が数名いたら、余裕で人生なんか回るのにね。

あんまりたくさん行動されても追い尽くせないから、ドロップするものの量でなく密度を上げてほしいんだけどね私は。そして私も本来、そうでありたい。

 

なんなんだろうね。でも一日用事が無くて家にいるとそれだけで無駄に落ち込むから(働け)、私も外に出て生き様丸出し系のライヴやる方が結局健康に良い

 

 

そんな渋澤怜の次のおすすめライヴは

12/14@下北沢ベースメントバー

12/19@新宿JAM です。

 

両方ともライヴハウスです。ライヴハウスでアウェーに切り込む私の方が面白いと思うのでぜひ観に来てください。本当に、音楽やる場所で音楽やらずに周りに「?」をまき散らしながら謎の前衛詩をくっちゃべるのはマジで心臓に悪いのですが、客の表情を「なんじゃこりゃ」から「こいつおもしれえかも」に変えていく作業はオセロの終盤でバッタバタひっくり返して大逆転するくらい気持ち良いです。そんな渋澤を目撃しよう

 

特に12/19はおススメ度5つ星です。対バンも良いし、好きなハコだし、場も味方になってくれる気がする

サブカルチャーを殺す

こんにちは。「インターネットおばさん」こと、渋澤怜です。

 

サブカルチャーを殺しに来ました。

サブカルチャーを殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

サブカルチャーを殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

サブカルチャーを殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

 

 

これがサブカルの本義、殺し屋の2歩後ろには常に殺し屋がついている。

そうです人は誰かを殺さないと生きていけません。私はしらす丼が大好物ですが食べるたびにしらすを大量殺戮に加担してしまい本当に申し訳ないと思っている。でも次の瞬間「私はしらすよりも高尚な生命体だから、別にいいのだ」と思うことによってしらすを精神的な意味でもう一度殺す。

 

しらすじゃ殺し足りないから、もっと大きな獲物を探す。獲物は大きくて、かつ自分に近い方が良い。その方が隣にいる自分の輪郭がよりハッキリするから。

写真にうつるなら、自分の真隣はブスがいい。でもそいつと同じフレームに入ってる時点で自分もブスだ。なら写真に写ること自体やめようよ、自分はここにいるのに自分の一体何を確認する必要があるんだ? 全ての写真は心霊写真だ。つねに2歩後ろに自分を殺す自分が写ってるよ。(ま、多くの人がそれに気づかないからいつまでたってもパシャパシャ撮り続けてるんだけどね)

 

自分の写真を見せまくるのはナルシスト扱いされてアウトなのに、子どもの写真を見せまくるのはセーフなのは一体なんでですか? 自分の遺伝子が半分入ったコピーじゃないですか。自分のコピーの写真見せまくる人とかキモくないですか。まだ自分の恋人の写真見せる人の方がマシなはずなのに、世間では子供より恋人の写真見せる方がダメってことになってる。

あ! そういや女の子がやたら音楽詳しいと「元カレの影響?」って言われるっていう地獄があったな。

 

だからさ、言ったろ、自分を語る固有名詞は少ない方がいいんだよ。3つくらいそろうともう「ああ、それ系好きな人ね」って言われる(大森靖子、最果タヒ、はいもうリーチでしょ)。

 

いつか、「渋澤怜を好き」ということが「こういう固有名詞レースからおりてます」ってことの象徴になれば最高だ、でも、一瞬なんだろうな。すぐに私も、誰かの名札になってしまうだろう、だって私も固有名詞なんだから。

たたえた孤独の量が違えんだよ、貴様は芸術やらない方が幸せだ

いまいちなライヴをすることでこんなに落ち込むということを学んだ。この落ち込みを乗り越えてライヴを重ねてきたすべてのバンドマンに敬意を感じる。

 

正直、11/1のライヴがなんで良かったのか、何をもって良かったとされているのかわからないし、動画を見てもその「良さ」というのはサッパリ映っていない。

今日のライヴも、何をもってしてダメとジャッジされているのか、なんでダメになったのか、サッパリわからん、ただ初見ではない客何人もに「すごく緊張してたね」と言われた。確かに緊張してた、全然楽しくなかった、魔法で時間が伸び縮みしているような、勝手に身体が動いていく様を幽体離脱した魂が少し後ろで観ているような感じが、なかった。客の目も見れなかった。私が呼んだ客が沢山いたのに全然安心できなかった、謎だ。

ATフィールドを張ったのは私か、君たちか、あるいは場か空気か。

自分が呼んだ客が、他の弾き語りシンガーのチケットを買っていてすごく腹が立った。普段ならこんなことでは全くイラつかないのだが。みんな違ってみんないいし、他人のことなんてマジどうでもいいのに「私が一番面白い! 私が一番面白い! 頭良くて何が悪い!」とずっと脳内で言ってた(終盤は声にも出してた)。

一番もクソも無えしこんな井戸の中の蛙で何を言っても完全に無意味で、まったくもっておかしかった。終演後に私以外の弾き語り女子がみんなでご飯食べに行ってるのをSNSで知り変な打撃を受けた、それこそいつもならこんなことまったく気にしないどころか「ハッ! あのアクトみて私に興味持たないようなセンスの無いやつはこっちから願い下げじゃ! ライヴやると人間のソートが速くできて便利便利」とか言ってられるのに、どうした、私はステージに乗ってれば最強のはずではなかったのか、11月は全部変だ、

ゾロ目の月は矢張り気をつけねばならない。

 

 

工藤ちゃんは毎日、というか下手したら1日2本ライブをしている。なんだか色気がダダ漏れている人だった。神秘の生命体だった。(参考:渋澤がセクシーとか色気とか言ってるときはこういう感じで褒めてる)

サブカルとか言って自分や他人をカテゴライズしてセーフとかアウトとか言いあう手遊びは飽き尽くして私は真に自分と、自分の超大好きなものにしか興味がない。そして自分も、自分の超大好きなものも唯一無二だからカテゴライズとか永遠に要らない。のに、大森靖子フォロワーとか弾き語り女子界隈とかいう地獄みたいな単語を聞いてしまった。もう二度と聞かねえからな私は。

 

自分を説明する時に使う固有名詞は少なければ少ない方が良い。3つくらいそろうともう「ああ、それ系好きな人ね」って言われる(大森靖子、最果タヒ、はいもうリーチでしょ)。

すぐに「●●さんて知り合いですか」とか「このイベントはどこで知ったんですか」とか言ってカテゴライズしてくるプロファイリングしてくる警察かよ、ただ声色を味わえ。水野しずどう思いますかじゃねえよ自分の話しろ。

知り合いのカップルを見ながら、あーいーなーとか思う(とても心が弱っていたのだ)。こんなに削れるのなら、一刻も早く全肯定してくれる存在を作らないと、削られ尽くして終わる。バンドメンバーか彼氏が早急に必要、それかライヴやめるか。そして私はこのままじゃきっと小説も書けないだろう。

「本当は男の子に生まれたかった」コンプレックス

うわーん 自分がステージに乗ることによってバンドマン・コンプレックスを解消したと思っていたのに、「本当は男の子に生まれたかったコンプレックス」は色濃く残ってるよー 

バンド観てるのは平気になったけどバンドマンが群れてわいわいきゃっきゃやってると辛いよーどれくらい辛いかと言うとメンバーみんなでスタジオとか河原でバーベキューとかしてる画像がツイッターで回ってくるだけで辛くなるくらい辛いよー

 

男の子になりたいとか、男の子になってバンドをやりたい人生だったという反実仮想がいまだに湧くのは性欲とはきっと違くて、あーあ一人でステージ立ってる最強の私になれば永遠に最強と思ってたのに、バンドメンバーを得ないとこのコンプレックスは解消しないのだろうか? だとしたら結構な修羅な道だぞこれは。

 

そしてその場合はメンバーは男なんだろうか女なんだろうか?

男みたいな女、がいい気がする。

 

「渋澤怜と、バンドマンの元カノズ」とか、「SUEZEN」っていうガールズバンド組みたい、とか冗談でずっと言ってたけどあながち実現しないといけないのかもしれない。

 

あ〜〜 修羅〜〜

 

でも最近渋澤怜のドキュメンタリを作ってもらえる話が立ち上がったしあながちいろんなことはすぐ実現するのかもしれない。

 

修羅〜〜

浅く他者とつながるネット回線を切って、心の黒い穴を深く深く掘って同じ誰かへとつながるトンネルを作りたいんだよ

小野美由紀さんのブログをすごく良い気持ちで読んでいたのに、LINE通知が来てぶち壊しになってしまった。2,3日に一度、運よく調子の良いwifiスポットのカフェに立ち寄った時しかネットが出来なかったスペインが丁度良かった。帰国後に早速ネット疲れ、LINE疲れ、告知疲れしている。

 

本当は小説が書きたい。3年前に書いて、でもなんだかあんまり愛せず軽い虐待みたいな扱いをしていた小説「世界ちゃんとバラバラ・ガールズ・ディストピア」(愛せなかった理由は、それまで二連続二次通過してた文藝賞の一次審査も通らなかったこと、ブランク後だから筆がなまっていたこと、普通に構成が甘いこと、文学フリマで全然売れなかったこと、そしてうタイトルが超村上春樹臭いなと後から気づいて嫌気がさしたこと(私村上春樹あんまり読んでないのに...)などだ)を、久々に読んで、ああ私はなんてせつない話が書けるんだろう、これを書いた人の孤独の量すさまじすぎだろと思った。ひたすらにエモかった。この小説は愛されるに足ると思った。

 

小説を書かない時間がどんどん長くなっていく。

小説を書かない時間が長くなると、「今しか書けない小説を、書かずに、『今』を捨ててるな」と思い始める。それは、毎月、孕むかもしれなかった子のために準備した子宮内膜がだらだら流れることが日常化してるのと同じような感じ。

 

ライヴも楽しい。観るのも演るのも楽しい(観るより演るほうが5億倍楽しい)。

旅行も、超楽しかった。

でも、心の中に勝る旅は無いのだよ。

 

書いてると、気が楽になる(今も楽になってる)。小説は、自分でも見たことの無い自分の背骨をズルッと引きずり出す行為だから超しんどいけど超楽しい。そして怖しいことに、自分が見たことのない自分を出すから、自分が知らない自分の欲望や、自分の未来の姿を予言することもある。(6年前に書いた「ロシアンガンジャ」を久々に読んだら、登場人物の一人が、私が数か月前に付き合った男とディテールが予言レベルで一致しており、青ざめた)

 

そして小説を書くのは、いかんせん自分の背骨を引きずり出す行為だから超―――時間がかかるのだ、準備も本番も。私はマルチタスクできそうでできないタチで、速効性の高いブログやライヴの後はすぐエゴサやファボ中毒になってしまうし、イベント前は告知中毒、イカした告知文書くことやMC何話そっかななんてことで頭がいっぱい。

常に頭がそわそわしてる。(明日は文学フリマ、明後日は念願のライヴハウスでのライヴなのだ)

「私は、書くのより売る方が好きなのか?!」と自己嫌悪に陥る。でも告知やめられない。イベントの「仕込み」をやめられない。

 

もう、小説を書かない時間をこれ以上長くしたくない。でもライヴやってるとライヴに気がそれてしまう。当たり前だ、こんなに手っ取り早く注目してもらえるんだもん。

小説は、半年かけて書いて、文学賞に応募して、落ちて、ネットにあげたり製本してみんなに読んでもらう頃にはもう完全に過去のものになってるしリアクションもなかなか届かない。ライヴはリアルタイムなのだ、目の前で客の顔が見えるのだ。

 

浅く他者とつながるネット回線を切って、心の黒い穴を深く深く掘って同じ誰かへとつながるトンネルを作りたいんだよ

 

なんで日本語通じないより通じる方がさみしいの。変だね。

さみしい。カミーノ道中はまったく寂しくなかったのに。やたら腹が減る。二週間、25km歩く代わりに普段の倍食べてたから、胃袋が広がったのか、さみしさが食欲に転嫁しているのか。

 

友人とLINE中に、会話の流れ的にスペインの写真を送ったら、「はいきたー! 海外旅行した人の! 自慢げに写真見せびらかすやつ!」って言われた。

ただ単に「きれーでしょーすごいでしょー」じゃなくて(そんなこと私がするわけないじゃないか!!)、この写真は君は気に入るだろう、この写真について君に語りたいことがある、と思うから写真を送ったのに分かってもらえなくて悲しい。

でも、誰かが「海外旅行行ってきたー」と無邪気なドヤ顔で言って許される風潮も、それを聞いた側が「へえすごい! どこ?」って聞かなきゃいけない風潮も、聞かれた側が「すごかったーきれいだったー」しか言わないで写真見せるだけのアホな態度だけとってもゆるされる風潮も、またその程度の感想しかレポれないショボい旅行でも日本ではとにかく「海外旅行」というものがワンランク上のものとして取り沙汰されてるから周りは感心しなきゃいけないみたいな風潮も、全部嫌なのは、分かる、でもだからこそ一緒にされたくなかった。帰国子女もいつもこういう気持ちを味わってるんだろうか。

 

昨日は大森靖子のライヴだった。愛とケアが伝わった。客は彼女に生かされ、彼女は客に生かされている、それがこんなに明確な形で提示されるライヴも少なかろう。神々しいのに身近で、ダサいのにファッションリーダーで、本当に不思議な人。

歌詞の「愛してる」とか「抱きしめて」の意味だけ分からなかった。語呂合わせみたいに感じた。

 

終演後、別ルートで仲良くなった友人2人と、更にその友人の初対面の人の4人で、ファーストキッチンでダベる。思えば、友人2人も各々ライヴがきっかけで交流が始まったから、全員ライヴきっかけの友人だ。状況や場所(会社が一緒とか、家が近い)より、好きなモノでつながる友人は強い。

 

良いものを見た後は心が解き放たれて、初見の人ともリラックスして話せるので良い。日本語が段々回復していく私。

 

なんか私のドキュメンタリ撮ってもらえるかも。超高まる。

 

スペインのスーパーマーケットで買ったお土産、あえてどれが何かを説明せずに好きに選ばせたら、3人ともすっげえええ警戒してて可愛かった。眺めまわしたり、嗅いだり。まあそれがフツーだよね。飛行機のチケットだけとってあとはノープランで単身海外行っちゃう私の方が日本人として例外よね。ちなみにスペインでマズくて食えないものはなかった。

 

私は単に面白い話をしようとしてるだけなんだけど、何しろ帰国が昨日なので、話題は旅行話ばかりになってしまい「●●人は~」「スペインでは~」ってばっか言ってた。みんな優しいから「出たー「欧米では」!」とか言わないけど、内なる自分が言ってた。

 

こんなにインターナショナルになった今でも尚、日本人は島国根性丸出しで、カミカゼを信じてて、日本は安全な聖域で、世界はスリと大麻と汚い水道にまみれてると思ってる。でも、自分たちが狭い島国の井の中の蛙と自覚する謙虚さと卑屈さも兼ね備えてて、だから海外旅行に行くことは世界標準の広い知識と見聞を持ち帰ることと結びついていて、だから、憧れと嫉妬と直結してる。

 

行くときは「気を付けてね」、帰ってくると「よく無事で帰って来たね」と言われる。

 

とにかく私は、邪念も邪推もしたりされたりせずに、旅行の話をしたいだけなのに。

 

私が海外旅行しただけでドヤるわけも、つまらない自慢話をするはずも無いに決まってるじゃないか。

 

なんで日本語通じないより通じる方が寂しいの。変だね。

嫌われたい

20161024高円寺無力無善寺

ライヴで読んだスクリプトのごく一部です。現場ではこの数十倍ヤバいことを言って、私もお客さんもズタズタになりました。

マジ、知ってる人ゼロ人の超ドアウェイな場所で、よくコレやったなーと思う。お客さんがカタかったからシラけてるのかと思って超不安だったけど終演後は2人も本を爆買いしてくれる人が現れたからかなり打率の高いコミュニケーションかとれたのでは(ただし嫌われた人にはめちゃめちゃ嫌われたと思う。そういう意味でも打率高め)。


ヤバいことを、やるのも観るのも疲れるよね。


20161101高円寺クラブライナーは、間違いなくめちゃちゃ面白いものを見せます。

2016.11.01(火) 「BARペガサスvol.174 古郡翔馬×安田ボンバーpre.」@高円寺club LINER OPEN16:45 START17:00(渋澤の出番は19時以降です) チャージ?1,000(drink別) 2D ?1,000 飲み放題 ?2,000





一緒に血まみれになろう!




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誰かに嫌われたいなあ、と常に思っている。





私のライヴを観に来てくれたお客さんは私のこと既に好きで興味もってて2000円握り締めてわざわざ足を運んできてくれていて超嬉しいマジ感謝ありがとうなんだけど、本当は、私のことを1mmも知らない人にいきなりステージをみてもらいたい。私の人格も性格も肩書も履歴も知らない状態でいきなり見てもらって好かれたり嫌われたりしたい。





知り合いが多い人が有利なんてつまらない。(知り合いいっぱい作る器用さが無いから芸術やってるはずなのに)。芸術だけで評価されたい。一番言いたいことを一番言いたいやり方で言う、この、これ、だけで、評価されたい。





インディーズの時は知り合いか、知り合いの知り合いしか見に来ない。ライヴハウスに行ったら、みんな音楽の話じゃなくて



「◎◎さんとバンドやってた◎◎さんが脱退して今やってる◎◎ってバンドのベースの人がやってる◎◎というイベントの系列の◎◎っていうライヴハウスが◎◎って言うんだけど…」



みたいな、人間関係の話しかしない。音楽の話はしないのか。いやむしろ話なんかするな。もう一回ライヴやれよ、とよく思う。





馴れ合いが嫌、と皆言うけれど、実のところ皆馴れ合いが大好きなのだ。だってみんな寂しいんだもん。



私は、私のことを1mmも知らない人にいきなり文章を、ステージを見られて、めちゃめちゃ嫌われた後にどうしても気になって帰宅後に「渋澤怜」で検索し、ツイッターをフォローされ、好きか嫌いか分からないうちになし崩し的に「これは、もう、好きだろ」という状態になってしまい、そしてそのことを私は1mmも知らずにいたい。





知り合いにしか知られないのなら、飲み会の余興で良いはずだ。なんでライヴハウスでやるの。



イイネが欲しいだけならフェイスブックに書いとれ、バーカ。



アンチに晒されたいから、クソリプが欲しいから、全世界公開でツイッターやってるんだ。







断頭台から見る高い景色は清い。