「自意識」という名の病

何が大病って、この世で一番大きな病気は「自意識」という名の病であるよ。

 

皆さんは、ケータイが壊れてメールや電話が出来なくなった時、

「ケータイ壊れました、急用の時はDM下さい」

ってTwitterに書こうとして

「……でも『急用なんてあるわけないくせに人気者ぶりやがってナニこいつー』って思われたら、やだなー」

と思って怖くて書けなくて、結局

「……って書いてもケータイ直った時にメールいっぱい来てないかなって

ものすごい期待しちゃうよね」

と、余計なツイートをして茶化してしまう人の気持ちが分かりますか。

 

「飾る」という行為が無邪気に出来なくて、冷蔵庫に好きなバンドのフライヤー1枚貼るのだって

「なんかちょっと『マイナーなインディーズのバンド好きぶってる私』って感じ出ちゃうかなあ……? でもこのバンド、本当に好きなんだよ、狙ってるわけじゃないんだよ。いやでも、待て、本当に狙ってるわけじゃないのか? なんだかんだ言ってそう思われたいんじゃないの?」

とかひとりでぐるぐる自家発電エネルギー消耗し、

「えいや!」と叫んで隣に

「杉並区 ゴミの日カレンダー」

をペタリと貼ってやっと心の安寧を得る、という、人の気持ちが理解できますか?!

犬や猫を見て「カワイイ!!」と思い、光の速さで愛が脳を巡るより速く「ハッ私は犬や猫を見て『カワイイ!』とか言うキャラじゃない!」という抑制が先回りし、他の女子達が素直にワンチャンをナデナデするのを、「あ〜、いいなあ〜、私もナデナデしたいな〜、でも出遅れちゃったし……クソ……!!」と思いながら歯を食いしばって見つめていないといけない、という、人の、気持ちが、分かりますか?!?!
 


知ってるの、誰も私のことなんて見てないの。

誰も私のことなんか気にかけてないの。


それでも、自分で勝手に張り巡らせた自分監視システムから逃れられなくて、このまま自分の脳の中だけが誇大化していって頭蓋骨の中で圧死してしまいそう。 

もうこいつは病気なんじゃないかしら。
医者行ったら薬もらえるんじゃないかしら。
でも医者なんか行ったら、

「私自意識過剰神経症で薬飲んでるの、ナイーヴでセンシティヴでしょ、私! うふふふ」

と、更に余計な自意識をこじらせてしまうのは目に見えている。

自分なりに治療法を考えたのだけど、もうこれは子供を産むしかないのかなと思っている。聞くところによると、子を産むと憑きものが落ちたようにケロっとして、自意識もいい具合に子供の方へ配分されて、ナリもフリも適度に構わなくなるというじゃないか。


おばさん化、と言うなかれ、私と同世代の、20代の青年でも、そういう、1人くらい子供産んでる女性にこそ、エロスを感じる、という人が、結構いるんだぞ(きっと同世代の自意識過剰な女子といると疲れちゃうんだね)。

 

あるいはもう逆に、めっちゃめちゃ人気者になることだな。

めっちゃめちゃ人気者になって、それこそ一挙一投足が注目されるようになったら、

今は「自意識の無駄遣い」でしかないこの行為も

「必要なセルフブランディングの一環」として、経費で落ちるわけだからな!

 

しかし、出産も人気者化も、すぐには無理……。

 

ああ、この脳味噌に御札のごとく貼りついて私の思考の自由を封印してる自意識をベリッと剥がして、早く解き放たれたい……。

 

最近の私の唯一の望みは加齢による緩やかな自意識の剥離です。

頬が落ち目が窪み皮膚がたるんで髪がバサバサになっていくのは

本当に恐ろしいことだけど、

ただひとつ、自意識が薄くなっていくことだけは楽しみです。


それでも駄目だったら来世に期待だ。

いや、私ほどの自意識の持ち主だと輪廻すら断られちゃうかもしれないな……

(まるで汚れのこびりついた空容器はリサイクルに回してもらえないように……)、


……いや、そこまで思うことこそ自意識過剰だね……

私だけ輪廻しない特別な存在だって思い込むなんておこがましいよね……。


 

 ……どうでもイイネ!

私はあなたのトースターになりたい

 

さて、さきほども書きましたが、引っ越しました。

今回の大発見は
「不動産屋さんほど楽しいものは無い」
ということですね。
あれ、タダで見放題でしょ? 
「他の所で決めてしまいました」って言えば、一切お金とられないでしょ。
だからまた、新居を探すフリして見に行きたいな。あるいは誰かの新居探しについていくか。

 
何が好きかって、内見の、あの、なんーも家具のない部屋に入る時の、あのトキメキがね! 
初めてやるRPGゲームのはじめのムービー見てる時みたいな、わくわく感がね! 
もう、まだ何も書き込まれていない、いや、新築でなければ少しは書き込まれているだろう痕跡を不自然に押し込めている、まっさらな白い箱の部屋に入るとわくわく、というか、ちょっとぞくぞく、というか、ああ、ホラーで人が死ぬ前の感じに似ている、と思う。あるいはもう殺人事件が起きちゃった後の部屋かもしれない。人の痕跡があったのに、それが無理矢理撤去された感じ。なんにせよたまんないよね、あれ。

 
思えば小さい頃から、家を買うという両親に連れられてショールームに行った時は冷蔵庫をやたらパカパカさせて喜んでいた。
大体電源入ってなくて、ニセモノの牛乳とか野菜が入ってるんだよね。
あの感じにも似ている。すっからかんの空間は稀有である。


 
そんなこんなで私が選んだのは、入った瞬間
「君に決めた!」
とひとめぼれした部屋だったのだが、
何がいいってほぼ正方形。八畳。柱などの凹み無し。
完璧な、まるで豆腐の内側に住んでいるような、幾何学的に静謐な感。
ま、家具置いたらあんま関係無いんだけどさ。
というわけで私は家具を置きたくなくて置きたくなくて仕方ありませんでした。
引っ越し一日目の、全てのモノが床に直置きで家具が一切無い部屋に、永遠に住んでいたかった……。


とはいえいつまでも何もかもを段ボールから探り出す生活というわけにもいかないので、家具は買いました。
でも出来るだけ少なく。
タンスはやめて収納ケースに。ベッドは下に引き出し付き。テレビも無し、オーディオも無し。両方パソコンで出来るし。


……でも私、どうしても我慢出来なくて、場所の無駄と思いつつ買ってしまったものがあるのです……、
それがドレッサーと、ミニチェスト。
だって可愛いんだよ(!)。
ドレッサー無くたって机かテーブルで代用できる(あるいは机とテーブルだってどちらかだけでいいのかもしれない)し、ミニチェストだって、無印の透明のプラケースの方が遥かにかさばらず収納力も高い。
でも、夢だったんですよね、一人暮らししたら「ドレッサー置くこと」「チェストに下着しまうこと」って。こう……仕切りの中に、納めてしまうのが。


今って電子レンジでパンも焼けてオーブンも出来て、パスタも茹でたり出来るんですね。
私も場所の都合もあってそういう多機能ものを買ったんだけど、電気屋でハッと目に留まって「カッコイイ!!」って思うのは、電子レンジじゃなくて「トースター」なんですよ。あるいは「オーブン」。単機能のもの。


その最たるものは、パンがポン! と出てくる、パンしか焼けない、トースターね。


「それしか出来ない」から「それにフィットした、それに最適化した」かたちをしている、という機能美が「カッコイイ!!」と思わせるのかしら。
あるいは「パンを焼くためにわざわざそのためだけの機械を揃える」という、美学を貫く美食家の寵愛を受けて、その身を輝かせているのかしら。


とにかく電子レンジは格好悪い。
iphoneも、いろいろ出来て便利だけど、ボタンがついててアンテナの立つ、昔の携帯電話の方が格好良い。
ドレッサーも、うん、あんなものは可愛いだけのただのバカでかい鏡のついた机で収納力のカケラも無いけど、うん、可愛い。


でも世の中はきっとiphoneとか電子レンジの方向に進んでいくだろうし、そのうち電子レンジで米も炊けて炊飯器は絶滅し、iphoneは発熱してIHクッキングヒーターを兼ねるだろう。

モノマニア、モノアニマ

そうこれは事件です。

「料理はコーンフレークに牛乳をかけるより難しいことは出来ない」
「ミクシーニュース以外のニュースは見ない」
「自民党と民主党を50%の確率で言い間違える」
でおなじみ、低スペック社会人のわたくし・渋澤が! 

 
不動産屋さんに行き! 
契約書にサインをして! 
おうちを! 
借りて! 
住んでいます!

 

……生まれて初めての一人暮らしです。
生まれて初めて、自分を産んだ人と別な家で暮らしています。
これはもう、第二の誕生と言っても良いくらいの大事件で、まるで赤子が世界と言葉を覚えるすさまじいスピードに追随する勢いで、私も今、あらゆることを覚えているのですよ。
ゴミの出し方とか。冷凍エビの解凍の仕方とか。ドライが洗える洗剤とか。それはもう、お母さんが今までやってきてくれたことを、全部ね。

 
まるで原始生物が細胞分裂で増えるように、母から醤油やら味噌やら米やらタオルを分け与えられ、私は東京の小さな分家の世帯主になったんだけど、それでも、買わなきゃいけないものが、死ぬほどある!
綿棒とか排水溝のネットとかS字フックとか延長コードとか……全部100均で買っても100個買ったら一万円だし、100個買っている自信もある。
そしてそれら新しいものたちの使い方をいちいち面喰らいながら覚えなければならないのだよ。こすらずに汚れが落ちる洗剤と、洗剤をつけなくてもこすれば汚れが落ちるブラシの両方を携えて、どっちの言うことを聞こうかと途方に暮れたり。

 

家電も全て買いました。冷蔵庫洗濯機電子レンジ掃除機炊飯器コンロプリンタードライヤーアイロンしめて11万円。
電化製品に興味の薄い私だから、それらが新居に、どーん! と一番乗りで運び込まれて来た際には、新品にはしゃぐ元気より先に取扱説明書の多さに疲弊してしまって、


「ああ……もう、いいから……、私とかもう、いいから……家電君たちで楽しくやってよ。さよなら」


と言って実家に帰ってしまおうかと思った。冷蔵庫なんて私より存在感あるんだからね。家主っぽい。

 
そう、そうなんですよ、油断しているとモノに乗っ取られそうになるんです。
自分のためにモノがある、はずなのに、モノたちを生かすためにこの部屋に人間一匹が居ついている、というような気になるのです。
電子レンジがこの世に生を受けたことを意義づけてあげるために、私がかぼちゃをチンする。鶏肉を解凍する。そして適宜、お掃除したり世話を焼いてあげる、と。

 
モノに振り回されずに生活できるようになるのはまだ先なのかしら。
この、モノ・対・私の、静かなる綱引きに無事勝利すれば、平和はもたらされるのか。
今は洗濯機も電子レンジもいちいち取説見ながらやってるから時間がかかってしょうがない。
(しかしどっちもいろんなボタンついてるけど、使うのって結局1個か2個ですね)

 

しかし人間ってなんで、何も持たずに生まれてくるんだろう。
オギャーと生まれたその時に、冷蔵庫洗濯機掃除機電子レンジ……が胎盤と一緒にズルリと出てきたら、何も今頃苦労をしなくても済んだのにね。
あるいは全裸生肉生活に耐用するか。
 

 

私は音楽と結婚したい

あまりにも良かったライヴの興奮が冷めやらぬまま、ツイッターにこう書いた。

「スイセイノボアズとオワリカラ以外のバンドが全部絶滅しても、別にいいや」

そしたら後日、ライヴハウスで会った友人に、その呟きを見て
「『死ね』と思った」
と言われた。
「他の音楽も知らないくせに」と。
 
「死ね」だと?!?!

その時は「死ね」と言われたことにショックが大きすぎて、
みぞおちを親指で押されたようにぐう、と黙って何も言い返せなかったのだが、
ショックが癒えたのち、反比例してぐつぐつと、怒りと軽蔑の念が湧いてきた。

ねえ、分からないかな、分からないのかな、あなたにはね。あんまり一般的じゃないのかしらね、こういう形の愛情表現は。

つまりそれは無人島に一冊しか本を持っていけないとしたら、とか、最後の晩餐で何食べるかとか、宇宙人が飛来してきて「私の星には『音楽』というものは無い。あなたがたの星の一番いいその『音楽』というものを、くれないか」と言われた時何を差し出すか、とか、そういう類の質問と同じなの。ギンギンに研ぎ澄まされた選択肢の先端にも生き残るくらい、あたしそのバンドを愛してるんだよ、っていう、要は愛情の表現手段なの。

それを何、確かに「自分の好きな音楽以外絶滅してもいい」って確かに過激な言い回しだけど、「他の音楽も知らないくせに」って、知らなくていいんだよ、他を知らなくてももう、未来の選択肢つぶしても余は満足じゃ、苦しゅうない、っていう、そういう表現なのさ、まさに。酸いも甘いも噛み分けた、レコードからitunesまで経て経て経まくった音楽オタクじじいじゃ、ないよ、ないわよ、そんなこと百も承知さ。音楽じじいなんかになりたくないわ、私、オワリカラとスイセイノボアズで人生を「あがり」にしちゃってもいいわ、という、そういう表現なんだよ。それとも君は、全知全能の音楽オタクじじいになるつもりなのかい。

スイセイノボアズとオワリカラは、
インディーズで、
百人入ったらパンパンになっちゃう小っちゃなライヴハウスで活動してて、
CDはタワレコに売ってるけどライヴ行ったら本人たちがフロアの隅っこで手で売ってて、
全然有名じゃないバンドである。
 
「ビートルズ以外絶滅してもいい」なら許されるのか? 
こんな世界の隅っこでお気に入り二個見つけただけで、他のバンドにそっぽ向くのは、広大な音楽というフィールドに対して誠意を欠くと? ふん、別に音楽どう聞こうが勝手じゃないか。一生涯カレーしか食べない、という愛し方もあれば、世界中の味覚を試し尽くし、カレーを食べる暇も無く、臨終の床についてやっとカレーに「やっぱり、君が、一番だった」と伝える愛し方もあって、別にどっちだっていいのだ。第一私は音楽なんかより文学の方がよっぽど好きで、でも「カート・ヴォネガット以外の小説が焚書になっちゃっても別にいいや」と思ってるよ。

それなのにねえ、私、ビートルズはよく分かんないけどあたしは今日はあんたのバンドを聞きに来たんだよ。あんたのバンドがこの前ちょっと良かったからもう一回聞きに来てんじゃない、それも分かってるくせに。あ、もしかして、嫉妬? ボアズに嫉妬してんの?


……ふう。
とここまで二分半くらいで脳内で相手をこてんぱんにして、でも、結局、振りだしに戻るのである。


……なんだかんだ言って分かってるんだ、
どうあがいたって癪に障るんだよ、
「〇〇以外の●●は絶滅したって構わない」っていう言い方は。

でもね、そこでハッと気づくんだ。「恋愛」だけは、この言い回しが許されるんだよ。と言うかむしろ甘美に響く。

「君以外の女は女と思わない」
「生涯でたったひとりの男性」
 
そして更にゾッとすることに、ほんのちょっと世界の隅っこを齧って、たったの一人を見つけてそれで「あがり」にしちゃうことが、むしろ、「美しい」と言われていることだよ。

ひええ。なんて恐ろしいんだ。
それが「結婚」というやつなんだね。私の星にはありませんが。



私は音楽と結婚したいよ。


放射能が、来る!!

 (前の日記からやや続くよ)
ここ最近よく聞く台詞。

「自分はもういい、でも子供のことを考えると」

これ聞くたびに、雪見大福の皮みたいに私にもっちりと纏わりついてくる違和感はなんなの。

自分は自分用に買ったガルボやらアルフォートやら「一人用のお菓子」を
一人で食べきらないと絶対に気が済まなくて、
決して誰にも分け与えないんだけど、
そんな風だから子供なんか育てる気も起こさない
(おやつどころか根こそぎ持っていかれるんだよ、稼ぎや心配りや何やかやを!) 

その、「おやつを友達に分け与えない」気質の私からすると
冒頭の発言に含まれる壮大な「母の愛」みたいなものにびっくりしてしまって、
「いやいやあんた、自分を大事にしなさいよまず」と、
思ってしまうのである。
「自分はいい」とかじゃなくて。
そりゃまあ、放射線は老い先短い人には影響は少ないものだけどさ。

なんか「母の愛」テイストのものっていうのは、壮大な矛盾がある。
自分を脇っちょに追いやって子を守る母、その母だって誰かの子なのである、当たり前だけど!
「母の愛」とか言って自分を適当に扱うのは母の「母の愛」をムゲにしちゃうことなんじゃないの。
 
もうひとつ、似たような違和感を感じるシーンがあって、
それは映画などで船が難破した時子供を優先して救命船に乗せて
自分は海の底に沈んでいく、偉大な博士とか政治家とか。
例えば博士(世界を救うためのすごい知識や技術を持ってる)みたいに
すでにすごい人になってる人よりも、
どんな大人になるかよくわかんないガキの方が優先して助け出されるべきなのだろうか?? 
なんかみんな子供を大事にしすぎなんじゃないか。子供ってそんなにすごいのか??

もうひとつひっかることがあって、それは殺人事件があった時、
被害者が子供とか大学生だとものすごく同情的に報道されることだ。
「前途ある若い命を」
と。
それはすでに偉大な地位や職についてる立派な大人が殺されるのよりも
ずっと残酷なこととして扱われる、
でも社会のコストや培った人間関係(つまり悲しむ人の数!)のことを考えると、
大人が殺された方がよっぽど大事(おおごと)だと思うんだけど。
「前途ある」って言うけど、玉か石かよく分かんない、良くも悪くも可能性の塊でしかない子供の方が、
「玉」だった大人より大事にされることって、よく考えると分からない。
だって通り魔になるかもしれないんだよ、子供。
(もちろん心情的には、可愛くて無力で可能性いっぱいな子供殺す方がひどい! 
とは思うんだよ、私だって。心情的には。)

この、子供を「もしかしたら一億円当たるかもしれない宝くじ」として、
大人を「すでに外れた宝くじ」として扱うやり方は
人類の壮大な自己否定。
誰かの「玉」の子として育てられた子が、いざ立派に育ったら自分のことは見限って、
また「玉」の子として誰かを育てるの。
そしてそれが、「母の愛」「人道的」として推奨されてるの。

じゃあ一体どこへ向かってるんだろう、人類は?! 


でもまさにそのことによって人類が続いているのよね。なんなんだよちくしょう。


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お気づきでしょうがエッセイを書く練習をしています!!(1400字=A4   一枚以内)

おやつの話と、子供が怖い という話

おやつに対する場合において、自分のエゴパワーは最大となる。
つまりおやつだけは、絶対に、誰にも、あげない、ということだ。何があっても。そう……、
たとえ、相手がおやつをくれても(お返しはしない)。

 社会学において人間関係のモデルとして頻繁に持ち出される
「囚人のジレンマ」ゲームの想定のごとく、
相互互恵関係が、長期的には最大の利益をもたらすというのは、
諸君の実生活に照らして考えてみても、明らかであろう。

つまり相手を出し抜いて短期的に大きな利益を得るより、
相手と協力してそこそこの利益を得た方が
長い目で見たら得ということである。

つまりおやつは「もらったらお返しする」方が、そのうちいいことがあるからいいに決まってる、のに、
私は、
そうは、
出来ない! 

だって全部食べないと食べた気にならないじゃないか。
 
売店でおやつを購入して、誰の目にも触れぬように職場のデスクに滑り込ませる
(上着のポケットにお菓子を入れて上着ごとしまうのが常套。
その他、封筒を持って売店に行って、書類のフリして引き出しにしまう等)
(しかしそんなことしなくてもいちいちよこせと言ってくるいじわるな人は職場にはいない。ただの本能である)

友人同士でコンビニに行ってお菓子を買うときは、
分けられないもの(チョコバーとかアイス(ピノ以外)とか)を買う。
あるいは分けても惜しくないもの(チョコボールとかプチシリーズとか。ポーションの多いもの)を買う。
ガルボとアルフォートは大好物だが絶対買わない。ポーションが少ないからである。

そんなこんなで
「自分のおやつは絶対あげない、でも他人のおやつはできるだけもらう」というゴーヨクな私が、
だから、子供なんて、欲しいなんて、絶対思うわけがない。
おやつどころか自分の稼ぎやら心のパッションやら根こそぎもってかれるんでしょ! 

私子供の卵ボーロ横取りするよ。


そしてそんなに愛とお金とパッションをかけて育てた子ともと、友達親子みたいに仲良しこよしになれるという保証は無く、

「ビール大好きサッカー大好き、休日はドライブかバーベキューかスポーツバー、ネットはしません」
という健全少年に育とうものなら……、
寒気がする。
「お母さんは地味で陰気で近所付き合いが悪い」
って心の中で思われているに違いないと思いながら
毎日いってらっしゃいと送り出さないといけないわけ……?! 
寒気がする!! 

そもそも五歳で
「小学校にあがったらサッカーチームに入りたい」
と言った時点でネグレクトだ。

だってあんな、日曜ごとに送り迎え、お弁当とかタオルとか、
アクエリアスとか、
そして何よりママ同士の付き合いとか……身の毛がよだつ。

まあそんなこと以前に障害児が生まれるかもしれない。
そこまでいかなくとも喘息やらアレルギーやら、手間のかかる子は結構高確率で生まれるはずだ。

自分(と自分の好きな人)の遺伝子を半分ずつ持った人間が生まれる、そしてその人間とは生まれた時からお付き合いできる、というのはすごくロマンチックな感じがするけど、自分と自分の好きな人にそっくりで可愛くて賢くて音楽好きでスポーツは嫌いじゃないとやだ。育てたくない。とか言ってる時点でやっぱり絶対子供産んじゃいけない。