本当に言葉の力を信じてる人は「俺は言葉の力を信じてる」とは言わない 〜ポエトリースラムジャパンの話

昨日は、ポエトリースラムジャパンという詩の朗読の大会に出た。

詩の朗読の界隈は、ライヴハウス以上に競技人口が小さく(演者≒客で、純客ほぼゼロ)、みんな褒め合っててつまらないので、私は「蛮勇の外様」として言いたいこと勝手に書こうと思う。ここ私のブログだし。

 

昨日思ったのは、「正直、わたしはポエトリーリーディングがそんなに好きじゃないんだろうな」ってことだった。

 

演者としては、一回戦で自己紹介がてらカマした「インターネットおばさん」ネタが全然ウケなかったし(そもそも詩人はネットに疎い)、キャラ付け濃いめでプロレスのヒール的な露悪的な態度も好き嫌いがはっきり出てしまい、めちゃめちゃ戦いにくかった。

 

客側としても、私が全然良いと思わない人が勝ち進んだり、推してる人がすぐ負けたりして、あんまり楽しめなかった。

 

私は、2回戦まで勝ち進んだのち0.1ポイント差で負けた。あーあ、あそこで勝ったら決勝だったのになー(16人の演者のうち4人が決勝に出られる)。

いろいろと不満が溜まって、その後の観戦は同じフラストレーションを持つ仲間とひそひそ愚痴りあったりコンビニで人の金でハーゲンダッツ食って憂さを晴らしたりした。

 

愚痴り合いながら考えたのはこういうことだった。

 

二回戦での私のパフォーマンスは満点ではなかったが、たとえ私が自己内満点のパフォーマンスをしてもあの場では勝ち進めなかっただろう。

 

というのも、私のポエトリーリーディング観(というか、ライヴ観)はほかの人と全然違うのだ。

 

私は、実は、ポエトリーリーディングってほっとんど聞く気にならない。すごく技を磨いている数人以外は退屈だと思う。紙を見ながら棒読みするだけで、ダイナミクスも身体表現も音韻も抑揚も使わずにただけなげに朗読しすれば聴いてもらえる、と思ってるのは、甘えだと思う。

 

ものすごく良いテキストなら別だが。いや、ものすごく良いテキストでも、読み方が平坦だったら私は飽きて眠くなっちゃう。こんなにクロックの速い現代社会において、YouYubeの広告の5秒さえ大人しく待てない私みたいな現代人に対して、戦い方が甘すぎると思う。まあでもYouTubeの5秒を大人しく待てる現代人もいるんだから、ただひたすら、あの場が私に向いてないんだとおもう。

 

だから私の朗読スタイルは、「めちゃめちゃ良いテキストを書いたうえで、ダイナミクスも身体表現も音韻も抑揚もつけまくる」というものだ。

当然テキストは完全に暗記して、最低20〜30回、iPhoneの前で練習して動画を撮ってはそれを見て修正することを繰り返し、本番にのぞむ。

これが私のやり方で、私はこのやり方で作った私の朗読がめちゃめちゃ面白いと思う。

 

だからこのやり方で評価されないなら、黙ってよそに行けばいいだけの事って思った

 

 

 

 

 

ここで唐突に私の好きなポエトリーリーディングを紹介する。

別に飛び道具は使ってないけど、ただひたすらテキストの良さと修練の高さで勝負してる大島建夫さん。このレベルの修練じゃないと私聞けません

 

 

あと岡野康弘さん。

昨日はじめて観たんだけど、2秒に一回笑わせる短文パンチラインネタで常に飽きさせないんだけど、時折、ぞっとするような静まりや、しんみりさせるエモを提供するギャップが最高でした。

「ゲラゲラ!」「ゲラゲラ!」「ゲラ……ん、これ笑っていいやつ…?」ってなる時の、あの、場の感じ、超よかったよね?

(この人はひたすらテキストの良さで勝負するタイプ。書き文字でなく朗読に特化したテキストをちゃんと持ってくる周到さがすごく好きです)

(本当は動画を見てほしいけどまだないので、とりあえず昨日読まれたもののテキストはこちらです

 

 

 

 

さて、ここからは少し別なことを書く。「自己言及問題」だ。

ステージにおいて「俺は言葉の力を信じてる」(あるいは逆に「言葉なんて無力だ」)とか「マイク一本で立ってんだ」とか言う行為が、わたしはめちゃめちゃ嫌いだ。(言語系自己言及)

 

それから、貧乏けなげアピールとか上京苦労ストーリーとか親がいないとか学歴が無いとか言う奴もめちゃめちゃ嫌いだ。(自分語り)

 

それから、ステージ上で初めてだけどがんばるとか何をすべきか悩んでるとか今日来てくれた人ありがとうとか言う奴もマジ嫌い。(誠実アピール)

 

本当に言葉の力を信じてる人は「俺は言葉の力を信じてる」なんて言うのだろうか?  レジで金を出す前にわざわざ「俺は金の力を信じてる」とか言うか?

それは、出された紙幣そのもので、吐き出す言葉そのもので、表現すればよいのではないか?

きっと、偽札じゃないか何度も光に透かして確認したいんだろうね。それは家でやってからステージに来い。

 

自分語りしてくる奴は、だいたい『何もない日常がやるせなく過ぎていく』とか『信じられるものは何もないけど積み上げてきたものだけが本物だから』とかよく分かんないJPOPのつぎはぎとのコンボ決めてくることが多いんだけど「居酒屋でやれ」としか思えないし私はその先の話聞きたいからそこ早くはしょれ。悩み自体は平凡で、そこからヒリ出されるオリジナリティあふれる言葉が私は聞きたいんだよ。同情票を稼ぐな。

 

誠実アピールに関しては「甘えんな」「授業参観じゃねえんだよ」としか思えない。授業参観じゃねえんだよ!!!

 

もうすべて、ステージでやるべきことだと思えない。

 

私は苦労を一切してないし善人でもないし誠実アピールが使えるポジションでもないので、苦労人善人誠実アピールする奴は本当に嫌いだ。そういう奴はステージをさっさとおりて、実世界で皆に愛されて生きていけばいいと思う。演目じゃなく人格を愛されればいい。

 

 

 

こうやって書いてて気づいたのは、ポエトリーリーディングの現場が内輪くさいだけでなく、ポエトリーリーディングという演目自体が伝統的に内輪臭いんだろうってことだ。これはたった半年この世界に首突っ込んだだけの私の直感だし修練を積んだトッププレイヤーには当てはまらないと思うけど、とにかくこの界隈、あまりに自己言及が多すぎる。皆、日常の話しすぎ。日常嫌いの私には根本的にポエトリーリーディングという現場が向かないんだと思う。たまに参加する時は「蛮勇の外様」としての登場しかない。優勝なんて当然ありえなかったのだ。

 

 

ここまで読んで鋭い人は気づいたとおもうけど、私にとってラップは地雷だ。ラッパーはすぐ「マイク一本で立ってんだ」って言うし、地元や仲間の出自語りや苦労自慢が多すぎる。昨日はラッパーが半数近く参加してたので、もうそれだけで観客としての私にとってシビアだった。

 

 

 

 

 

ねえそろそろ、私があえてヒールポジションとる理由、わかってきました?

 

 

 

でもね、

私めっちゃあざといから、

決勝戦のために、ちゃんと「自分語り系」の「誠実アピールネタ」もってきてたんだよ。

皆こういうのが好きってちゃんと分かってたからね。一回戦と二回戦の悪態は布石だったのさ。

 

ま、私がやるんだから一筋縄でいく自分語りなわけないけどね。

みんな、私の貴重な自分語り聞けなくて残念だったわね。

 

 

までも、岡野さんと石渡さんが出た決勝はとても楽しかったし、別にいいや。

自分で自分を愛す

バカなので「新年だから!」と思って嫌なことをやめたり新しいことを始められている。このままバカさを利用して最高の2017年にしたい。

 

思い切ってひとつ、とても楽しいけど苦しいことでもあったことを減らしてみた(前述のジェットコースター案件である)ら、大量の時間が手に入って、

「わああ! 今日という日を一日中、私のために使っていいんだ!」

と思うと歓喜と恐怖が湧きあがり、初日は怖くて泣いた後疲れて9時間眠ってしまった。

 

2016年に最も突き刺さった言葉は、永田カビさんの「さびしすぎてレズ風俗行ってきましたレポ」の

「自分で自分を大事にすれば、他人に『私を大事にして!』と依存しないで済む」

という言葉だった

 

「そうそう私って全然自分のことを愛してなかったわ、いつも『なんで無職のくせにハーゲンダッツ食ってんだ』とか自分を縛るセルフ風紀委員が出てきてハゲダの味を楽しめないんだわ」と気づいたという話は先日noteに書いたとおりなのだが、

なんとこの3日間、おそらく生まれた時から脳内同居していたセルフ風紀委員を完全にひっこめることに成功しました。よっしゃー!

 

どうやってやったかというと、草薙龍瞬先生の「反応しない練習」(この方とお会いする縁があって、それがきっかけになりこの本を半年前に初読したんだけど、いつか私のバイブルになるだろうという確信があったのでいつでも読み返せるように手元にずっと置いてたんだけど、今回神がかったタイミングで再読できたため、輝かしい効力を発揮した)を、ゆっくりゆっくり、心に栄養を与えるつもりで読んで、言われた通りのことしたんですね。もう読みながらだくだく泣いて「大丈夫、絶対良くなります」って書いてあるから泣きながら復唱して「大丈夫、大丈夫」って念仏みたいに唱えてマジ大変だったんだけど。

 

この本、本当に画期的に合理的に、「余計なことに反応するな」ということが書いてあるんだけど、要旨はめちゃめちゃシンプル。

 

「なんでうまくいかないんだろう」「なんであの人は私を認めてくれないんだろう」「この先どうなってしまうんだろう」「なんであの時あんな失敗しちゃったんだろう」という妄想が出てきたら、「今」「この瞬間」に確実に存在する「身体」に集中しろ、と書いてあります。

 

「過去、未来」「概念」「頭」←→「今」「実体」「身体」 

前者は全部ウソ。確実に存在する後者だけを信じろってことですね。ハーゲンダッツ食ってる時はごちゃごちゃ考えずハーゲンダッツと己の舌に集中しろ、と。

 

今ここの身体に集中するために、「身体感覚を味わう」、それから「快楽の感情を肯定する」「けして自己否定しない」「作業場の効率をよくする」などが書いてありました。

 

これを踏まえて私がやったのは、走ったり、家じゅうの整頓をしたり、服を買ったり、座禅の本読んだり、料理しまくったり(あともうひとつスペシャルトライがあったけど後述します)。

 

まあ、めちゃめちゃ普通なんですけど。

しかしどれもこれも、「やりたい」と思いながら、一か月以上できなかったことなので、完全に自由になった自分の時間をふんだんに使ってやり切ったら相当の幸福感があった。

しかし、

「こんなしみったれた主婦みたいなことして幸福感じるなんて次元が低い奴だな」

とかセルフ風紀委員が出てきそうになったので、

「私は病人なの。まず心の体力を回復させることが最優先なの!」

と言ってひっこめた。

 

まず、自愛が優先。

他人に愛されることや対外活動(文章を書いて人に見せたりライブをやったり人に会うなどして他人に自己を見せていくこと)は二番目。

まずは、自分にうまいもの食わせて清潔な衣服と居住空間を整えて作業場を快適にして快楽をたくさん味わわせることが先決。

 

 

で、ここからは身体感覚の話をします。

人は、身体感覚に集中していると、頭でごちゃごちゃ考えられないそうです(セックスの時に考え事されてたら嫌ですよね)。逆に、頭でごちゃごちゃ考えていると、身体に意識を向けられないそうです(考え事してると料理の味が分からなくなるあの感じ)。

 

つまり、頭でごちゃごちゃ考えすぎる、私みたいな人は、身体感覚に集中すればごちゃごちゃ考えなくて済むのだ。

 

例えば草薙先生の本に、「過干渉の母がトラウマで、いつも誰かに監視されてる気がしてイライラしてたけど、イライラしたらホットヨガに行くことにしたら症状が劇的に好転した」女性の話が載っていた。

 

それから、永田カビさんの

「一人交換日記」にも「あまりに寂しいからか、病的に寒くて何枚着ても常に異常なほど凍えていたけど、レズ風俗に行って抱きしめてもらったら帰り道はほかほかで見違えるようだった」

って話があった。

 

「あ、つまり温めれば良いんじゃね? 今、死ぬほど寒いし。」

と思った私は早速ホットヨガのスタジオに体験レッスンを申し込んだ。私は元来、ちょっと尋常じゃないほどの冷え性なんだけど、じっとしてるのが嫌いだから半身浴も岩盤浴も全然続かなかった、しかし適度に動くホットヨガはちょうど良さそうとピンときた、というのもある。

 

 

結果、最the高。

 

なんだか「愛」という概念を知らない宇宙人に教えるとしたらここに連れてけばいいんじゃね? ってくらいの、自愛の極みだった。まあ私が冷えすぎてたから効果てきめんってこともあるだろうけど。

 

行く前は「あーん? 初めの二か月タダ? どーせ半年解約できないとか体験後即入会に限るとかいろいろ条件つけるんでしょ」とか思ってフィットネス商法にかなり懐疑的だった私なのですが、あまりに幸福感すさまじいので観念して即入会した(若干割高なプランにしていつでも解約できるようにしたけど)。

LAVAていう最大手のところです。これで私もフィットネスクラブに通うアラサー女だ。黙れ風紀委員、私は快楽を追い求めるんだよ。

 

 

 

 

昨日は、ポエトリースラムジャパン(詩の朗読の大会)の原稿が出来なかったので、気分転換にリンパヨガというコースに参加した。

ひたすら身体を触ってリンパを流し続ける中で「あ、私全然、自分の身体触ってなかったな、見てなかったな」と思った。

20代後半とか水商売やってた頃は、商売道具だから結構ケアしてたんだけど、最近は身体にかまけることに罪悪感があって鏡も見ないし服も買ってなかった。(風紀委員が「いいから創作活動に専念しろ」ってうるさかったんですね)。

 

身体を触りながら湧き出てきたのは「あー、原稿を頭からヒリ出そうとしてもダメで、身体から勝手に出てくるものを信頼してあげればよいんだな」という気づきだった。

 

そういう意味でも、セルフ風紀委員に駆り立てられて机に縛りつけられる私より、「自愛♪ 自愛♪」って言いながらヨガ通ってるフィットネス女子な私の方が、意外と良いものが書けるかもしれない。

 

まあ、結局その後、からだがあったまって眠くなって、何もしないで寝ちゃったし、今日は「まずは自愛♪」とか言って新年初出勤のバイトも休んじゃったんですけどね。

だってポエスラが明日なんだもーん(みにきてね)

 

 

 

心の無いロボットに心を教え込もうとするような3年間だった。

私がいかに心が無かったかというのはnoteのこの記事に書いたけど、まあ、なんだかんだ言って人間だから結局心はあったんすよ。でも風紀委員の存在があまりに強くて、ほとんど自分の声が聴けなかったんだと思う。

で、3年前に水商売というちょっと尋常じゃないほど心が丸出しの人々(客も嬢も)のなかにぶっこまれて私も心というものを強制表出させられて、でも出てきたばっかりでうまく使いこなせないからひたすら寂しくて変な恋愛をしたりこっち来いと言う人に引き寄せられて我を失ったり無駄道をたくさん食った

 

本当に、心の成長が遅い、というか、私はまだ3歳児だと思う。

他人に「褒めて」「認めて」と言うのではなく、自分で自分を愛せれば全然寂しくない、と、やっと気づいた。

実際この3日間、誰にも会わず仕事もせずに用事もゼロなのに、Twitterを見る機会が激減して驚愕している。

 

今年はさ、隣の他人を殺すことでなく、自分で自分を触ることで、自分の輪郭をはっきりさせていきたいですね。

 

 

 

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ちゃんちゃん。

割と究極の質問だと思うけど、「面白い」のと「幸せ」、どっちをとりますか

 

割と究極の質問だと思うけど、面白いのと幸せと、どっちをとりますか?

 

 

面白さをとった2016年だった。面白かったなー不幸だったなー。

それはつまり、ジェットコースターみたいなもんだった。

しかし本質的に他人に駆動してもらう乗り物は私の気に染まない。

(電車より自転車で都内どこでも行ってしまうのも、そういう理由だと思う)

 

他人は絶対に自分の思い通りにならない。ジェットコースターは思いつきで動き、しかも元の場所には戻してくれない。

 

2017年は幸せをとりに行く勇気がありますか? 自分で動かすチャリだか白鳥ボートだか知らないけど、心から自分のマシンを愛して自分のために面白く幸せに乗りこなすための鍛練に思い切って時間を費やせますか?

 

1000円入れて2分遊んでくれるジェットコースターに誘惑されませんか?

いつか来たる、同じく白鳥ボートなりチャリなりを乗りこなすことに時間を費やしてきた人がたまにひととき伴走してくれる時を信じられますか?

 

 

物販席で「バンドマンとは付き合うな」を売ってたら、

どうしたらバンドマン以外と付き合えるんですか、と聞かれた。

自分はバンドマン以外と付き合えないわけではないが、芸術家にしか興味が無いかもしれない、と言った。

しかも気づいたら仲良くなるのはバンマスばかりだ あるいは小説家とか画家とか、個人プレイの人ばかりだ。

 

まあ、そういうこった。

 

おまけですが知人が教えてくれたジェットコースターの動画です。ものすごくきれいで面白いです。

 

 

 

好きなタイプは死なない人

 

今月は一回しか泣いてなくて超偉いと思ってたんだけど、さっき皮膚科行ったら今日は予約診察だけです、って言われて、ちゃんと年末の休業日調べてきたのになんで門前払い食らわないといけないんだと思って、病院出た途端涙すごい出てきてあちゃーってなった。

 

昨日も何言ってるんだ分からない会話をされたうえに「何が分からないの?」っていわれてしまった
みんなもっとわたしにわかるように説明してほしい
わたしはめちゃめちゃわかりやすく説明してるのに、なんでみんなはそうしてくれないんだろうって思う
でも別にみんなわたしにわかりやすく説明するために話してるわけじゃないし、別にわたしのために存在してるわけでもない 主人公に話しかけられるためだけに存在してるRPGの村の人ではない

 

誰も私のために存在していない

 

知り合いが自殺未遂して、みんな彼のことは大好きだったけど全員ビリだ 置いてかれて平気で死なれた
誰も彼のために存在していない/彼は誰のためにも存在していない

 

「たたかう アイテム まほう にげる」に常に「しぬ」が加わってる人。人間の最大の変化に対して、ビビりが無い人。

 

 


すごい人やすごい芸術に会うと、怖い、と思って、すごさを味わうのを躊躇ってしまったりする。すごく好きな人の演奏の時こそ、余所事考えてしまったりする。打ちのめされてしまうのが怖いんだろうか。つまらないプライドで自分を守ってるだけなのか。死ぬのが/変わるのが、怖いんだろうか。

 

私は死なないタイプだ。

いれていれて

ある人に

「渋澤さんはなんでバンドマンのdisばっかするんですか。disは立場が上の人に対してぶつけてこそクリティカルヒットなのに、なんでうだつのあがらない地下バンドマンばっか相手してるんですか」

 

と聞かれた。

 

彼が意図していたのはたぶん、私の11/1のライヴパフォーマンスにおける

「『今日呼んでくれたAバンド、ありがとうございました、それからこれからでるBバンド、Cバンドも超かっこいいので楽しみにしてます、それからこの場を作ってくれたスタッフのDさん、ありがとうございます、俺たちは次で最後の曲でーす!』と言って、内輪の仲間にしか感謝せず、真っ先に感謝すべき純客に感謝できないサブカルクソ馴れ合いバンドマンは一生村の中で盆踊りしてろ!!」

という文句とか、ツイッターの

「プロになりたいならプロのライヴたくさん見ればいいのに、なんでインディーズのバンドマンはインディーズのライヴに行き合うんだろうね。私はインディーズの小説ってほっっっっとんど読まないよ」

という発言などだったんだと思う。

 

私はこう答えた。

 

「言われてみれば、確かに……。

しかし、私にとってバンドマンは昔からずっと性的で宗教的な存在だったから、自分がいざライヴハウスに出てみて彼らのクソな面を多々発見してしまうのが許せないんだと思います。

ライヴハウスは神殿だからしみったれたことで汚すな、と。お前らは私のヒーローのはずなんだからちゃんと格好よくいろ、と」

 

 

なんで音楽という形態を、バンドという集団を、男という性別を、うらやましがってしまうんだろう。

 

なんで、女の私が一人で最強の小説を書くことでは、私は満たされないんだろう?

 

2016年はこの気持ちに蹴りをつけようとしてライヴハウスにも立ってみた。

でも、なんで、女の私が一人で最強のライヴをしても、満たされないんだろう?

 

 

「俺たちは最高の集団で、俺たちの鳴らす音楽は最高で、俺たちが集まったらいつでも超楽しい」

とか云ってる集団、たとえそれがただの集団催眠で、鳴ってる音楽が大したことなくても、そういう集団が全然羨ましい。

 

このことはすでに2億回ブログに書いたからもう読んでくれる皆様も飽き飽きしてるとおもうんだけど、書くと少しだけ癒える(自分の心を客観視することで「あ、わけわかんねえこと言ってるな」と少しだけ冷静になれる)し、バイトが暇すぎてサボり放題なので書いてる。(何人がお気づきかわかりませんが私は、渋澤ビギナーに読んでほしいよく整理整頓された親切で密度の高い記事をnoteに、ハードコア渋澤ファン向けの未処理なパッションバミンバミンぶつけ系の文章をこのblogに、と場所を使い分けています)

 

だいたい生まれながらに一人大好きで集団行動が極度に嫌いだし自分の芸術はできるだけ自分のコントロール下に置きたいタイプだから本当にバンドやりたいわけでは全然ないのだ。(月に1度の大喜利ツイキャスのスケジューリングだけでも鬼面倒で、毎回キレそうになってた)

 

なんかたぶん要はさみしいだけで、「バンドマンうらやましい」を翻訳すると「自分(の芸術)を肯定して、自分と同じレベルで自分(の芸術)にコミットしてくれる応援者、マネージャー、編集者、後見人が欲しい」ということなんだと思う。そしてそれを互いにできたら最高だと思う。結局のところ私は芸術をやる人間にしか興味がなく、それが結構フェータルだ。

 

2016年の私は確実に誰かの後見人だった。砂漠に水をかけるような不毛さの中の戦いだったが結局結構な量の水をぶっかけたと思う。でも結局向こうは全然潤わないし、水をかけられた記憶さえろくに残ってないのだ。

でも逆に、一生懸命私に水をかけていたのに潤わないどころか私に認知さえされてない人がいたのかもしれない。

 

要は似たもの同士なのだ。ジョーカーじゃない限りは、同じ数字の人間が引き抜かれるのだ。

 

すぐ死にそうな奴の芸術は尊い

あの人がいない、ということを味わう。

だいたいいつもフラッといなくなるから、すべてのさよならは予行演習だったのだろう。

 

「俺のことをないがしろにするな」と言って怒る人は、他人をないがしろにしていない人なんだろうなと思う。他人のために、自分がやりたいことをあきらめたり、自分の時間を他人に分けてしまってる人なんだろうと思う。だから、ここぞという時に勇気をもって他人をないがしろに出来る奴が、羨ましくて仕方ないのだ。(他人を羨む前にまず、自分をないがしろにしてる自分に気付いてほしい)

 

今後、多くの人間が「周りの人を悲しませることはやめろ」「君は周りの人からどんなに愛されてるか分かってない」と言って彼を叱るだろうが、他人の悲しみや迷惑や愛、に、毛ほどの価値しか見出してない人間にそんなことをわからせるのは、猫に小判の価値をわからせるくらいの無理ゲーだ。

価値観の根本的に違う人間に、自分の価値観を押し当てるのはエゴだ。自己愛のために死ぬ奴もエゴだが、「俺が困るから死ぬな」なんて言う奴もエゴだ。おそらくエゴの押し付け合いをこの世では恋愛と呼ぶ(ことが多い)が、じゃあその恋愛圏に、彼とお前は入っているのか?

 

本当に、本当に死んだら悲しい相手って、10人もいなくない? あとの奴のことって割とすぐ忘れない?

 

そんなすぐ忘れちまう程度の悲しみを人質にとって他人の生き死になんてたいそうなものに首突っ込むなって話。俺は大事な相手が10人以上いる、なんていう愛に溢れた人間はどうかそのまともさを保ったまま、すぐ死にそうな奴から離れる勇気を。すぐ死にそうな奴はものすごい引力と斥力を同時に発して混乱させるけど、すぐ離れる勇気を。

 

そして遠くから眺めてろ。すぐ死にそうな奴がSOSののろしの代わりにあげる花火は大体めちゃめちゃきれいで、人はそれを芸術と呼ぶ。

私に無許可で死なないで

こんにちはー! 「渋澤怜の面白メトロノーム」へようこそ!

本日のトリップアドバイザーを務める、渋澤怜でーす!

みんな、ワープゾーンって聞いたことあるかな? ……多分あんまり聞いたことがないよね。

ワープゾーンは、宇宙の果てにあるといわれる、ブラックホールとホワイトホールの合体したもので、そこに飛び込めば別世界にワープできる、といわれているんだ。

 

みんな、ブラックホールは知ってるかな? 聞いたことあるよね。

地球が一円玉の大きさに圧縮されてしまうほどの強い強い重力をもった空間で、そこに近づいたものは全てブラックホールの中心に吸い寄せられてしまうんだ。でもね、ブラックホールに吸い寄せられたものはどうなると思う? そのままぺしゃんこになっておしまい? ううん、ブラックホールの中心は実は指輪みたいなわっかになっていて、そこをうまくくぐり抜けられたら、世界は反転してホワイトホールという、すべてのものをはじき出す怖ろしい斥力をもった空間につながって、なんと、別な宇宙に飛ばされてしまうんだ。

これが、ワープゾーン。

 

今日は皆さんを、宇宙の最果てのワープゾーンまで案内するよ!

こちらは頼れるエンジニア兼イケてるディスクジョッキーの×××××。

それじゃ×××××、ミュージック、スタート!

 

 

ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ・・・・・・

 

 

むかしむかし、あるところに、死にたがりの男の子がいました。

男の子は自分の死因を考えるのが大好きで、「熱狂的なファンに刺されて死ぬっていうのはどうかな?」「『心不全のため急逝』って一番カッコよくない? 本当の死因を隠してるっぽいでしょ。本当は自殺かもしれないし事故死かもしれないし、他殺かもしれない」「おじさんになるまで生きてるのはやだな、デヴィッド・ボウイみたいな格好良いおじさんなら別だけど」なんてことを言ってばかりの、自分大好きで鼻もちならない、カッコつけ野郎でした。

 

男の子は先のことを考えるのがあまり得意ではありませんでした。これから暑くなるかも寒くなるかもよく分かっておらず、総じていつも薄着でした。「まあいいや、どうせ再来年当たり死ぬっしょ」と言って服を買わない、お金も貯めない、そしてなけなしの小銭はひととき胃を温めるだけの酒の小瓶に費やす、そうやってまた、寒い寒い冬を迎えました。

 

冬を正攻法で乗り切るのが無理ゲーと思った男の子は、実は知っていました、どうしてこんなに懐が寒いのか。お金が無いこと、隣に女の子

がいないこと(≒いすぎること)、それらは全て真の理由ではありませんでした。

栄養不足と寝不足で男の子の体温は常に低く、いつもぼんやりとしている意識の中で男の子は、自分にはこの星の重力は合っていない、と思い始めました。僕は本当は別の星で生きるために生まれてきたんだ、僕の身体は地球に合ってないんだ、僕の本当のお母さんは別の星からやって来た宇宙人で、でも僕を生んだ後すぐにいなくなってしまって、だからお父さんが新しく見つけた地球人のお母さんが僕を育てたけど、でも、だから、あのニセモノのお母さんは僕のことを愛していないんだ、この星のすべてはニセモノなんだ。

 

時々、誰もいないのに誰かの声が聞こえる気がする。(えー全然そんなことないですよー)

時々、自分は誰かに操られていると感じる。(本当、自分なんてそんな、全然です)

時々、みんなが自分の悪口を言ったり、嫌がらせをすると感じる。(いえいえまさか、とんでもないですー)

時々、誰かから監視されたり、盗聴されたり、ねらわれていると感じることがある。(逆にそこまでってことは無いですよ全然―)

時々、消えてなくなりたい気分になる。(あー、それはちょっとあるかもー)

 

 

そう、あの、自分大好きな鼻もちならないカッコつけ野郎の男の子は、本当は、自分のことが大嫌いなのでした。

 

 

ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ・・・・・・

 

 

ワープゾーンへの行き方は、いくつかあるんですよ。外側から行く場合はスペースシャトルが必要ですので一般の方には不向きです。内側から行く場合は、精神の鍛練だけで済みますので、ご家庭でも経済的に実践できますね。

 

今、息をしていますか? ……していますね。していると思っていなくてもうまくできているのが息、していると思うとうまくできなくなるのが息。自分の息を完全に忘れる/完全にコントロールすることが出来ればそれはワープゾーン/瞑想と呼ばれます。

 

あなたがほかの場所に行くことと、あなたがほかの人間になることと、どちらが速いと思いますか? 前者だと思う人は頑張ってスペースシャトルを買ってください。人間は、毎日息をすることで、少しずつ中と外のものを出し入れして、少しずつ違う人間になっています。(ペルシアンズの中に、二週間前のペルシアンズの成分は全く残っていない。ペルシアンズと二週間前のペルシアンズをつなぐのは情報だけだ。)

 

だから、ね、仮に、2週間分の息をいっぺんにしてしまえば、あなたはこの宇宙空間のここ以外の場所に拡散して、ここにいるのはあなた以外の存在になる。すなわち、あなたはワープできるんです、他の世界へ。それが、ワープゾーンです。

(渋澤怜、突如×××××の首を絞める)

(×××××、2週間分激しく咳き込む)

 

ねえ、お母さんと同じ星に行きたいんでしょ? ねえ。

 

(どこに行っても、肉体から逃れることは出来ない)

 

自分が大好きで、大嫌いで、自分がもっている引力(自分は自分が思うより愛されているということ)、斥力(自分は自分が思うより他人に愛されているというわけないと思って他人の愛を跳ねのける力)で引き千切られそうな心の中にワープゾーンを作って、一回死んで、生まれ直して。こうやって、自分が気に入る新しい名前を付けて満足ですか? 自分だけが気に入る、新しい名前を。でも、名前って、呼ぶのは他人なんですよ?

 

 

究極のエゴは死ぬこと。

 

才能無いなら死にたい、と、21世紀生まれのアイドルは言った。

 

(事務所に無断で髪切るな)

 

だから冷凍睡眠でね、身体を氷漬けしちゃうの。それで、「私の見た目が好きなだけで本当の私のことなんて好きじゃないでしょ」って一生思わずに済むようにね、

 

(事務所に無断でケガするな)

 

こうして、地球では「死んだ」ということにしたアイドルは50年と15分の冷凍睡眠を経て別の星に生まれ直したのち、その星のイヴに相当する役目を担当し、念願のセンターを獲得したのでした。

 

(事務所に無断で死ぬな)

 

死にたがりの男の子の将来の夢は、自分の葬式に自分が出席することです。そうして、何人が泣くか、知りたいのです。何人の女の子が「本当はあなたのことがちょっと好きだった」と言って泣いてくれるか、知りたいのです。

 

究極のエロは死ぬこと。

 

(私に無断で死ぬな)

 

 

wikiでは生きてる。

なんで内臓は美しいピンク色をしているのか?(誰も見ないのに。)

なんで内臓はピンク色をしているの? 誰も見ないのに。

なんで私化粧してるの? 誰も見ないのに。

 

宇宙には誰もまだ見たことのない世界が広がっています。なんで誰も見たことが無いのに広がってるって言えるの?

あなたには、誰もまだ気づいていない才能がたくさん眠っています。なんで誰もまだ気づいてないのにあるっていえるの?

 

いつか見染めてもらうことを待ち続けていたらしわしわのおばあさんになって、でも内臓はきれいなピンク色のまま、おばあさんはぐるっと裏返って人生のB面。

なんで気持ち悪いことがあるかい。処女の性器と一緒さ、誰にも見られても使われてもいない、正真正銘のピンク色さ。

生まれて初めて空気に触れたおばあさんの内臓は今まで感じたことのない酸素をあっという間にとりこんで一気に腐る よりも早く、あっという間に野犬にたかられてバラバラになって終わりました。To be continued.放置中よ。掃除するの?

創意工夫を、こらしてこらしてこらしめておきました。

そんなふうよ。

 

はい、3分後の姿がこちらでーす。ああ、おばあさんの変わり果てた姿!

わざわざ灰にして埋めて土に返して植物にしてそれを食べて生命のリレーとかいうより、新鮮な臓器を直接野犬に与えたおばあさんは市長からエコ大賞の感謝状が送られましたが、こんなものに紙を使うのはもったいない、と非物質化したおばあさんは、賞と言うのは概念だから概念だけでいいのに、市長だって税収減のあおりを受けてもう身体がほぼ透けてるじゃないか。

 

究極のエコは死ぬこと。

究極のエゴは死ぬこと。

 

才能無いなら死にたい、と21世紀生まれのアイドルは言った。

 

究極のエロは死ぬこと。

給食のセロ リは残した。

 

下田美咲という女性がこういっていた。

 

「私が食べて数時間後に便として出すことと、食べずに捨てて生ゴミになること、どう違うのだろう。」

「自分の胃袋に入れば価値があって、ゴミ箱に捨てるのは粗末にすることだ、と言う人は、どれだけ自分の命や身体を過大評価しているんだろうと思う。 私の胃袋もゴミ箱も、食べ物からしたら同じ、ただの行き先であり入れ物だし、美味しく頂けば大切にしていることになると思っているのなら、あまりにエゴだ。私が出荷された豚の家族なら「あなたたちの感想なんかどうでもいい。何も食べないで餓死して滅びてくれ」と思う。」

 

そう、わたしたちは大きめのゴミ箱。

 

受け止めてください! 僕の気持ちを。

いいですよ、ゴミ箱としてなら、回収しますよ。

 

才能無いなら死にたい、と言っていたアイドルは身体がキレイなまま残って苦しまずに死ねる薬をインターネットで購入したが、

先日失踪した端正な顔立ちの俳優がかくまわれていた先で適当に作ったもので、少女の身体からきれいに幽体離脱した魂はおばあちゃんの

 

おばあちゃんの遺書に書いてあった言葉はたった四文字、

拡    散        希                望

 

心を込めて作ったんで、受け止めてください!

受け止めますよ、ゴミ箱としてなら。

 

心を込めて作ったものに大して意味は無い。

言葉を尽くして言ったことに大抵意味は無い。

 

こころ こころ ここどうぞ よその こども ホロコースト

客を信頼する

全て私が悪い。全て私が悪い。この悪さをひきずって、この肉袋で生きていくんだ。

 

この心の黒い穴を掘れば、本当に、同じ誰かへと続くトンネルになるんだろうか?

 

 

ライヴをやればやるほど、孤独をまき散らして「渋澤さんは孤独なんですね」って言われて遠巻きに眺めるオーディエンスが増えていく一方な気がする。

本当に、ここは、同じ誰かへとつながるトンネルですか? お間違いないですか?

 

でも同時に、私にはまだ孤独が足りないとも思う。私の孤独は分かりやすすぎる。私の孤独は安っぽすぎる。

 

ライヴハウスでは、ディスとかツイッターとか分かりやすい話とか固有名詞とか使わないと皆の気を引けないと思い込んでる。

音楽を聴きに来た音楽好きな人の前で音楽以外をやるのだから、よほどのことじゃないと皆の気をひけないと思い込んでる。

私は音楽を(多分)好きだけど、愛とか花とか海とか歌う弾き語りなんて10秒と聴けないのだ(その数少ない例外が大森靖子であり、原田卓馬であり、小棚木もみじであった)

 

こういう、「飛び道具を使わないと客はこっちを見ない」と思い込んでる態度は、ある意味でオーディエンスを信頼していないということだ。あるいは自分に自信が無いということだ。

でもどっちにしろ私は、本当に、心の底から、愛とか花とか言いたくない。

愛とか花とか歌ってる人は本当に心の底から愛とか花とか思ってるんだろうか? 愛とか花とかについて考える日常を持っているんだろうか。私は無い。その2億倍、ディスとツイッターと固有名詞について考えている。だから私はディスとツイッターと固有名詞の話をしている。

 

私の演目の中で、ライヴハウスでウケが悪いもの、すなわち飛び道具が少なめの文学寄りのものは、私に技量が足りないから聴いてもらえないんだろうか? それとも客の民度が足りないんだろうか?

こんなことを一切考慮せずに書ける純文学という分野って、ある意味最高だよな。誰でも文学賞に応募して、まともな審査員に読んでもらえる。審査員のことをまともだと思っていない人もいるけど、私は、三度応募した小説が大変妥当な評価をもらって返って来たので(二次通過、二次通過、選外)、審査員のことはとても信頼している。

 

 

殆どの人間は、ライヴハウスで音楽をやっていない。純粋な意味では。

音楽に付随するもの(MCでも見た目でも悲壮感でも貧乏アピールでも身内のパリピポのノリの良さでも)、あらゆるものがライヴハウスの商品になるしそれはそれで何の問題も無い。なぜなら音楽だろうが音楽じゃなかろうがあらゆる手段を使って目の前の客に己の「生き様」を見せるのがライヴだからだ。

 

だから、客が少ないことを悔しがって「俺は誰よりも音楽のことを考えてるのに」と言ってるバンドマンは二重の意味で愚かだ。

第一に、君たちがやってるのは音楽じゃなくてライヴだ。

第二に、たくさん考えりゃ振り向いてくれると思い込んでるのは片思いの童貞みたいでキモい。

 

(余談だが物書きの世界では、「小説のことばっか考えている小説書きはダサい」という風潮がある。女の尻追っかける片手間に小説書くヤツが一番強い、的な風潮がある。参考にどうぞ。)

 

本当に「音楽のことを考えている」、感度の良い人間が、ライヴハウスからいなくなってしまうのを見ている。

先日、ライヴハウスで、あるイベンターが、ライヴは良いが客入りの悪いバンドマンに「もっと打ち上げとか行って人間関係作れ」的なアドバイスをしていた。まあ、そういうこった。

 

私は客時代、いつもひとりでライヴハウスに行ってSuiseiNoboAzを観て、ヘトヘトのビッショビショに情動失禁して、「死にたい、孤独だ、SuiseiNoboAzは私を殺しに来る」と思い、その思いを誰とも共有せずに黙って帰った。

 

打ち上げで喋って良い人だったからライヴきちゃった〜 ハハハハハ。

こんな話耳に入れちまったらライヴハウスの客をますます信用できなくなるぜ。もう打ち上げまで残らん方がいいのかも、と思ったけど、私もまた打ち上げでイベンターの人に会ってライヴを一本とってしまった。私もまあ、そういうこった。

 

他人の神様の名前をみだりにとなえてはならない。

宗教戦争が始まる。始めた。始められた。

 

画家が絵を描く前に真っ白いキャンパスを用意するように、料理人が自分の店の店構えにこだわるように、ライヴ屋はハコとオーディエンスと対バンを整えるべきだ、という見解もある。

それとも、どんなキャンパスでも、どんな厨房でも腕を振るえる人間が至高なのだろうか。

 

私は、あらゆる場所で私を出してきて(文学フリマ、ネット、詩の朗読会、ライヴハウス、友人関係…)あらゆる切り口で私のコアを知ってもらって、客をなんとかかき集めた。だから私の客のことは大変信頼している…………いや、どうなんだろう?

私が客を信頼できないとしたら、それは私が「今までの私」を信頼できていないということだ。「今までの私」が、客を集めてきたんだから。

 

客を信頼しなければならない。

ハコと対バンを信頼しなければならない。

私が、紙を信頼するのと同じレベルで。

 

しかしその前にはまず、私が私を信頼しなければならない。

 


 

文中に出てきた小棚木もみじさんと対バンします。

新宿JAMにて19時より。私の出番は20時5分。もみじさんの出番は21時5分です。ちゃんと私のライヴアクトをYouTubeで見て呼んでくれた信頼できるイベンターさんの企画なので、信頼して臨もうと思います。

 

全幅の信頼を置く友人が最高のステージを用意してくれました。

場所もすごく愛着のある場所だし、何より対バンが最高です。こんな経験の浅い私にここまでの大舞台を用意してくれていいのか? ありがとう友人。期待にこたえる

1/16に高円寺ミッションズ。

 

これる人はこの記事にコメントか、ツイッター@RayShibusawaへのリプライかDMか、メールinfo@rayshibusawa.her.jpへ連絡願います。予約してくれるとテンション爆上げになって明らかにアクトが良くなるので、「まあいけたら行くかも」レベルでもぜひ、ふぁぼか応援感覚で気軽に連絡、よろしくお願いします。

つづきはwebで。

今日はtamatogiというオープンマイクだった。

11/1の新高円寺クラブライナーでのライヴでバンドマンdisり芸をやって局所的伝説を作って(YouTubeこれです)、スペインに高跳びした渋澤は、帰国後は一転してライヴアクトで低迷を続けていた。

ちょっとライヴやりすぎて疲れたかも、と思って(実際帰国後はオープンマイクを含めれば11/19,20,24,25,26とやってた)しばらく間を空けることにしたのだが、既に決まっていた12/13,14,19のライヴハウスでのライヴは、カレンダー見るだけで緊張するくらいに重荷に感じていた。

 

でも昨日久々にオープンマイクに出て、「ライヴビビり」が完全に解消した。もう12/13,14,19も楽しみでしかない。

 

オープンマイクの面白い所は、「出順不明」「対バン不明」「制限時間が極端に短い(だいたい5分)」など、制約が多く、しかも、どういう場になるか全然予想がつかないところだ。多岐にわたるジャンルの演者が目まぐるしく変わることによって場の雰囲気もころころ変わり、私は「次呼ばれたら何を読むか」3パターンくらい考えながら迷っていた。

結局、自分の出番が回って来た時に直感で、「サブカルチャーを殺す」をやった。今回は初参加のオープンマイクで、9割方しらない人だったのでやりやすかった(私は、えてしてアウェーの方が燃えるのだ)。でも前フリや自己紹介で時間をとりすぎてしまい詩の途中でストップかけられてしまったのである意味生放送なら事故レベルの失敗。でも咄嗟に「続きはwebで」って言えたから、アクトとしては悪くなかった気もする。

白熱しすぎて早口になってしまったが自分の体感としてはすごく気持ちの良い早口だったから、これは矯正するのでなくスタイルとして昇華すべき早口なんだろうな、と思う。なんか、「早口すぎるよな」とは分かってたけどあえて加速して自分の早口レベルの限界に挑戦したくなってしまったのだ。本番中に実験するとはつくづく良い度胸である。でも、「誰も自分を観に来た客がいない」からこその実験だったし、オープンマイクの失礼極まりない使い方としてはすごくまっとうな気もする。

 

というわけで、今回は単体で見て大成功とはいいがたいライヴだったが、

・場の空気を読もうとした

・リスクをとれた

という点で、良いリハビリとなった。

 

「リスクをとるのを恐れて無難におさめようとすること」と、「やる気が無いこと」は、自分の中ではニアリーイコールだ。

生身のめちゃめちゃ活きのいい身体が跳ねてるから一体どうなるか分からないのがライヴで、そういう意味でまっとうにライヴできた。

 

 

 

12月のライヴ、あと三本あります。もうライヴの勘を取り戻した私は良いライヴしかする予感が無いので、ぜひ観に来てください。

 

■2016/12/13(火)19時〜高円寺無力無善寺  私は20時10分くらいから。 対バンの本田ヨシ子さんのめちゃキマる音楽がおすすすすめなのでぜひ一緒に観てくれ。

 

■2016/12/14(水)19時〜 下北沢ベースメントバー 私は19時半〜。 ライヴハウスでバンドと対バン! 「楽器を持たない歌も歌わない、延々くっちゃべってる変なお姉さん」として、ぶちかましてきます

 

■■■■激オシ■■■■  2016/12/19(月)新宿JAM 「音呑」 開始時間未定(多分19時とか?)私の出番は多分20時以降のどこか。

こちらもライヴハウスでのライヴです。知り合いのイベンターなのでかなりアゲアゲに盛り上げてくれてイカした場になると期待してます。私も「ライヴ」感超出してきます。変な衣装を着る可能性があります。小棚木もみじという少女の弾き語りは激オシなので一緒に観てください。たぶん祭りっぽくなるDAYなので渋澤と話したりしたい人はこの日おすすめ。