私たちは幸せになるためにインターネット(恋愛)をしているわけではない

case.1

遅延証明書は誰かが嘘を吐くから発行される。

ガードレールは誰かにぶつかられるために存在している。

鍵は誰かが盗むから、鏡は他人の目を借りて見ることができないから、

インターネットは他人の脳に電極を刺すことが出来ないから存在している。

 

case.2

遅延証明書はあなたが嘘を吐くから発行される。

ガードレールはあなたにぶつかられるために存在している。

鍵はあなたが盗むから、鏡はあなたの目を借りて見ることができないから、

インターネットはあなたに愛を伝えるために生まれてきた。

 

 

病院で生まれた赤ちゃんは、新生児室のマス目をびっしりと埋めつくす同胞を見て思いました。

うわ、この世、人多くね?! 俺もう間に合ってんじゃね?!

そしてさっさとママのお腹に引っ込んでしまおうとしました。なぜならそこは定員1名で、それ以上でもそれ以下でもなかったから。でも、そういうわけにもいきませんでした。

 

小学校にあがった彼は、教室で40個ずらっと並んだ机と80個の目を見て思いました。

うわ、子ども多くね?! 俺もう間に合ってんじゃね?!

そしておうちに帰りたくなってしまいました。なぜならおうちの子どもはたった一人だったから。でも、そういうわけにもいきませんでした。

 

そんな彼も学校で学び、大学まであがり、やがて仕事を探し始めたころ、ぎゅうぎゅうに詰められた就職説明会のパイプイスと黒い頭の群れを見て思いました。

うわ、働きたい人多くね!? 俺もう間に合ってんじゃね!?

そして大学に戻りたくなってしまいました。研究室には彼の席がちゃんとあったから。でも、そういうわけにもいきませんでした。

 

そんな彼も就職し、結婚し、分譲マンションを買おうとした時、1フロアに23戸、ずらっと並んだ玄関口を見て思いました。

うわ、家族多すぎじゃね!? 俺たちもう間に合ってんじゃね?! 

そして嫁とお腹の中の子供を置いて実家に帰りたくなりました、土地の余りあまっている、田舎の一軒家に。でも、そういうわけにもいきませんでした。

 

そんな彼も子供を育て、独立させ、老いていき、墓を買う時に、ああ、あの新生児室のマス目そっくりに並ぶ墓地の区画のマス目を見て、思いました。

うわ、死んだ人もう間に合ってんじゃね!? 俺死ぬ必要無くね!?

でも、そういうわけにもいきませんでした。

 

彼が死んだあと、彼のパソコンを空けた遺族は、彼のインターネットの履歴から、彼が書いたたくさんの文章を、画像を、音声を、動画を、見つけました。観ても観ても観尽くせぬ、果てしない彼の痕跡。そこに広がる世界は、新生児のベッドの1マスよりも、分譲マンションの1マスよりも、墓地の区画の1マスよりも、何倍も何倍も何倍も何倍も広かったのでした。

 

渋谷人多くね?! 俺が少ないの?!

渋谷は人が多いから嫌い、じゃなくて、本当は人が多い所についつい行ってしまう自分が嫌いです。

 

SNSは馴れ合いだから嫌い、じゃなくて、SNSを馴れ合いにしか使えない自分が嫌い、なんでしょ?

なんでSNSの悪口いうの?!

インターネットの悪口をいう人は私が許さない。

自分の悪口を言えない心の弱い人が、インターネットの悪口を言っている。

自分の悪さを道具のせいにする頭の弱い人が、インターネットの悪口を言っている。

 

ゲーム脳、スマホ脳、って、そう、よかったじゃん、性能アップしてるじゃん、もとより賢くなってるじゃん、あんた64GBも無いじゃん、よかったね、その調子でそのうち人工知能になれるね! え? 「人工知能に仕事をとられる!」だって? マスメディアは今はそんなことを言っているんだ、マスメに座って前ならえ前ならえ前ならえ前ならえの一番前の人は別なポーズとってるじゃんね、ねえ、気づかなかった? もうとっくに、あなたの仕事は、あなたより頭の良い人に奪われているんだって……

 

 

「●●を知らない人は人生の◎割を損してるよ!」と言ってる人の脳をかち割ったら、本当に脳の●割を占めるでっかい腫瘍ができていた。そうか、こんな頭じゃ、他人が他人なりに楽しみを見つけて生きている人生に思いをはせる知能なんてなかったよね……

 

 

私がインターネットをする理由は、他人の脳を見せてもらうためです。脳みそは外見が迷路のようで中身は迷路のよう

 

佐世保女子高生殺害事件の犯人の動機は「体の中が見たかった」だそうだが、私が見たいのは脳の中でよかった。

 

 

最も優秀なプログラマは愛を二行で定義する

 

それ 

 

以外。

 

 

神でもないし天使でもないし悪魔でも小悪魔でもないし処女でもないし美少女でもないけど、何か良いものでした それ以外の。☆5つです。リピ決定です。

 

私達は永遠に読みかけの小説。無限に続く書きかけの脚注。

 

男性、女性、「その他」の欄も作れないお前に「私のこともっと考えて」なんて言う資格無えよ

 

私の構成要素の複雑さを愛してください。見えない配線を見えないまま、でも「よく分かんないけどここいじたら治った」を積み重ねてください。

 

2,3発叩いたら静かになりました。何もしてないのに壊れました。えさを与えていましたが2,3日したら冷たくなりました。どうやら水が必要だったようです。リピはもうないです クーリングオフできますか?

 

 

誰かの脳でしゃべらないで 多数決の脳で否定しないで

「ネットで見つけた出会いなんて」って?! 「やっぱり、顔を見て話さないと」って?! 「お前それ、面と向かって言えるのか」って?! インターネットには顔の無い人もいるんですよ!!!!!!! 配慮してください!!!!!!!!!!!!

 

 

顔、

 

といえば、

 

自分の名前で画像検索すると、自分以外の人間が沢山出てきて、どれが渋澤怜の本物の顔かがわからない。というか大体、大森靖子と指原莉乃と初音ミクの顔だ

 

好きなものが、「好き」だと連呼したものが、自分の顔になっていくのがインターネットの素敵なところなのに、なんでみんな「ありのまま」とか「自然体」とか言うんだろうね?

私は渋澤怜のマネージャーでしかないのだろうか

全て自分の時間だ。全て自分の時間だ。他人を恨むのに使う時間も、F5を押し続ける時間も、あなたのLINEに既読ついてるか何度も見に行ってしまう時間も。

なぜかわからないけれど、自分のために時間を使うことに抵抗がある。アー写も人に推し進めてもらってプロジェクト化しなかったら絶対作らなかった。ドキュメンタリーも。

そう私はまだライヴをして1年も経っていないのに、アー写もドキュメンタリーもある。ライヴ動画もたくさんある。自分の手をほとんど動かしていないのに、すごい(周りの人がやってくれたのだ!)。

でもあんまし嬉しくない。というか実は、自分の本が出来た時とかもあんまし嬉しくない。不思議だ。ネットとかに告知して「すごいのできたよーうふふーんすごいでしょー」って言ってるのは、自分自身に「これはすごい良いことが起こってるぞ!」と暗示をかけようとしているというフシも大いにある。

よく分からないけれど、本質主義的すぎるのかもしれない。

自分のコンテンツそのものを認めてくれるのが一番うれしい。それも客としてより、同志や支援者としてコミットしてくれるのが特にうれしい。例えば書く場を与えてくれたり、ライヴのオファーをしてくれたりだ(今月の代々木ザーザズーも、来月の下北沢Queもそうだった)。

本の装丁もアー写も、私の作るコンテンツそのものから少し離れているからうれしくないのかもしれない。

 

私は渋澤怜は好きだけど、私の事はあんまり好きじゃないみたいだ。

素の自分が喜ぶことをするのに抵抗がある。服とか買っても「わーい」より「無駄な時間を使いやがって。はやく渋澤怜活動に戻れ」という脳内風紀委員の声の方がデカい(脳内風紀委員については詳しくはこちらに書いた)。

本を読む時間や書く時間は、渋澤怜費として経費で落とせるので、大丈夫。我ながらよくわからない みんなこういう風に生きてるんだと思ってたけど、ちがう、とやっと最近気づいた。(違うよね?)

 

私にとって私はひとりしかいないのに、その私に愛されてないんじゃ私がかわいそうすぎる。それで他人に「愛して―愛して―」って言ってるのは本末転倒過ぎるから「まずは自分で自分を愛そう活動」(自愛活動)を1月からやっているのだけれど、それはそれなりの効果を上げてきたんだけど(今日みたいなネガティヴなブログを書く機会が格段に減ったろ?!)(寂しいと思う機会が格段に減ったのだ)。

 

インフルの病床で「うつヌケ」を読んだら『毎朝おきぬけに「私は私を大好き!」と暗示をかけると劇的効果があった』と書いてあったので、試してみたけどキモくて仕方なかった。やはり自分の呪文は自分で用意しないといけない。(しかし、「うつヌケ」も「さびしすぎてレズ風俗行きましたレポ」も、「自分で自分を愛すこと」という同じキーワードが出てくるな…やはり自愛活動は方針として間違っていないようだ)

 

自分が好きなものをちゃんと好きと思えないと、他人の好きなものも平気で棄損するヤバい人間になる。

もっとヤバいことには、自分で自分を好きとちゃんと言えないと、他人を平気で棄損するヤバい人間になる。

 

金曜にライヴハウスいったらイマイチだったうえにインフルエンザで寝込んで、寝込んでる間に上の階の足音が超絶うるさくて耳栓しながら寝込むしかなくてさんざんな気分だったので、3月にあった良いことを数えてたら、めちゃめちゃたくさんあった。

引っ越しは頼もしい男の子ふたりに手伝ってもらって超スピーディーに終わったし、IKEAで買った机も男の子に組み立ててもらって超スピーディーに完成したし(これだけ読むと超モテ子だな私)、原田卓馬んちで超素敵なご飯と空間を味わったし、代々木ザーザズーのスタッフは全員良い人だったし、徳久先生のボイトレ講座は相変わらず効果てきめんだったし、アー写チームの仕事も超スピーディーで楽しく仕上がりも大満足だったし、職場の人にマージャン教えてもらったし。

インフルと上の階の騒音くらい何だよ、2,3日寝て&引っ越したら解決じゃん。簡単になおる問題ばっかで私は本当に恵まれてるなあ、とマインドセットしようとしたけど、

ああ要は、自分に起きた楽しいことを楽しいと思えない気質なんだな、という気付きに至った。渋澤怜経費で落ちないから。

私は渋澤怜のマネージャーでしかないんだろうか。

食費を3倍にしたら

普段そんなに金持ちになりたいと思う機会はないのだが、駅前の成城石井に行ったら「金持ちになりてえーー」と思った。食の物価を全て3倍にしたい。1斤400円のパン食べたいバター買いたい弁当が買える値段する小さなお惣菜買いたい。

食費を3倍にするのは意外と簡単なのでは? と思った。今の食費が2万とすると(実際食費の計上はすごく難しい、他人と食べた食事は交際費かとか)、まあ2万とすると、収入が4万増えればそれは達成できる。

と同時にそれで私は月4万分の満足を得るのかな? とも思った。月4万なら別なところに充てた方が満足度が高そうだ。どうも食というのは、食べる前にめちゃめちゃ欲すけど、食べた後ケロリと忘れて、儚い、尿意みたいなもんだ。

でも私この尿意がすさまじく、ちょっともよおした時に街に繰り出すと街中のトイレに目移りしてしまいトイレに行くまで本来の用件に集中できないレベルなのだ。つまりちょっとでも空腹で街に行くと、ありとあらゆるレストランに目が向いて本来の用件に集中できないって意味ね。

この尿意に人生振り回されるのは嫌だなあ。と思い、成城石井でグラスフェッドバターを買った。なんと250gで2500円する。これをつかってこれからの朝食は完全無欠コーヒーを作ることにする。グラスフェッドバター、MCTオイルを混ぜたコーヒーを朝飲むと昼まで腹が空かずに集中できるという噂だ(ぐぐってね)。材料費には一杯100円強かかってしまうが、今まで食べてた朝食(バナナ+ヨーグルト+きなこ+黒ゴマをミキサーで混ぜる)も50円強かかってたし、それで足りずに色々食べてたことを考えれば、むしろ安く済むかもしれない。

 

月4万あったら何に使うかなあ。広い家に住んでも掃除がめんどいし、高い服買っても手入れがめんどいし。おそらく、すごい人に何かを教わりに行くだろうな。そして、すごい人に何かを教わったことをちゃんとキャッチできるクリアな脳みそであることに投資したいよ。

 

というわけで下田美咲の管理食noteを買った。

無邪気に自分の話ばかりする人が嫌いだ 私はお前の親じゃねーよと思う

無邪気に自分の話ばかりする人が嫌いだ。

私はお前の親じゃねーよ、と思う。

「先生あのね」「ママあのね」のごとく自分の話をするなと思う。

そういう理由で酔っ払いが嫌いだ。2週間前、酔ってなんの話しても「へえ私は〜」って言って自分の話にもってった子のこといまだにイラついてる。

私は私の話をするのが下手だ。

私の友達で私の話聞いてくれる人があんまりいない。もっと私の話聞けよ、と思いながら、相手の話を聞いてる。男の場合は、いいから早くヤラせろ、と思いながら聞いてることが多々ある。あるいは言語内容でなく音にフォーカスして長めの前戯として耳に浴びていることがある。男女逆ならよくある話だと思う。

 

感情は、出したほうが良いらしい。

『ネガティブな感情こそ口にせよ(小野美由紀)』

https://note.mu/rayshibusawa/n/nc50b4acafa8b

 

私が水商売で学んだ最大の教訓は、「女の子の感情は宝物」ということだった。

水商売で一番やっちゃいけないことは、ムッとして黙ることだ。

それなら、グラス割って泣き叫んで暴れる方が100倍良い。

喜怒哀楽、すべてにおいて、女の子は、感情を出したほうが愛される(少なくとも水商売の場では)。

私は情動を出すのが下手なくせに常に「誰も私の事分かってくれない」と思ってる。

言わなきゃ分かってもらえないのは当たり前では?

何を甘えているんだろう。

 

私の友達に、喋り屋が多いのは、私が真逆の人間を求め、惹かれているからだ。

でも正直ウザくて仕方ない。「私は愛されてる」っていう大前提で、そう親に対する子供のように、他愛の無い話をずーーーっとしてくるのが。

思い出補正演目に頼り始めたらおっさんバンドの始まり

ちゃんと情動がある人は良いなあと思う。

笑ったり泣いたりちゃんとする人。好きなものが沢山ある人。

私は心が硬い。好きなものもほとんどない。

同じライヴを観て泣く人もいる。感動できる方が楽しいと思う。

「私の感情は苛立ちと優越感と寂しさの3つしかない」と、数年前に気付いて、そうじゃなくするようにここ数か月動いてきたけど(いわゆる自愛活動だ)、油断するとすぐに29年間安住していた地に戻ってしまう。

 

ださいツイートがふぁぼられる。むかつく。

 

私が熱出してうげーってなってるツイートとか楽しいの?

 

昨日観たライヴ、ハコの思い出語りと、ハコのやめてしまうスタッフにちなんだ曲をラストにやってた。そのバンドの曲というより厳密には前のバンドの曲だ。その演奏が一番良かった。その曲以外はあんまりよくないなと思った。私はいつでもそのバンドの最新鋭を観たいから、思い出補正の入った前バンドの曲をやってそれが一番良いなんてダサいなあと思った。それはおっさんバンドのすることだ。

いまいちだなーと思ってたけど、演奏後知人と話してたら皆良い良い言ってたし私は体調がかなりしんどかったので(のちにインフルと判明)、黙ってフェードアウトしてしまった。こんな同窓会みたいなのは嫌だと思った。卑怯なことに私は帰りにバンマスにLINEで不満を伝えた。「おっさんバンドまっしぐらだ」と打ったら、「ガーン!!」というスタンプが返ってきた。あー気づいてないんだ、誰よりもおっさんを嫌って、おっさんになるくらいなら死を選ぶのも辞さない人なのに。

 

(私がおっさんと言う時は、年齢のことじゃなくて、「新しいものを学ばなくなった人」「変わることより安定を好むようになった人)のことだ)

 

私だったら思い出補正演目なんて絶対やらない。それはライヴ中に目の前にいる私を観てもらうことを捨てて、思い出の幻影と二重写しされた私を観てもらうことになるから。そんなの絶対やだ。ライヴというもののただ唯一の価値――目の前に人間がいること――を自ら棄損することになるから。

それでも満足できるやつは、ライヴなんか観ずに、動画でも観てればよい。

 

余談だがライヴ中に動画を撮ってすぐSNSで共有する奴も謎だ。なんでわざわざライヴに出向いてるのに、ライヴの唯一の価値を自ら棄損する真似をするんだろう。自分の目の玉で目の前で起こってることを目撃することに集中すれば良いのに。ライヴ来なかった人とは、ライヴの良さなんて絶対に共有できないんだから、あきらめて、潔く自分の胸で味わえば良いのに。

 

 

まあ、残念ながら、おっさんバンドの思い出補正演目に涙できる感性の方が遥かに得だと思う。感動できるポイントは多い方が人生楽しい。

 

私の情動は、誰も受け止めてくれない。私の情動は誰も受け止めてくれない私の情動は誰も受け止めてくれないツイッターさえ受け止めてくれないむかつく クソみたいな体調不良ツイートと自撮り(アー写)ばっかふぁぼって、バカじゃなねーの!? 私だよ??

 

他人に情動を受け止めてほしいなら、ちゃんと外に出すこと(フェードアウトしないこと)、そして他人の情動も受け止めること。

それができないから、まずは自分の情動を自分で受け止めようとしている。また私しばらく外出しなくていっか、ってなってる。

手のないひとは指紋認証もできない

今日は完全なる休日で予定もない日だった。

風邪気味なのにも関わらず、脳みそのコンディションは好調で、ずっと文章を書いていた。書いている。8時から今の18時まで、ずっと書いていた。すごく充実して、達成感がある。

でもそれは、普通の人が会社に行って1日に働く時間とほぼ同じなのだ。つまり私は週4,5回バイトをしているが、今日のような時間の使い方を、週4.5回、バイトに捧げているのだ。

 

今日のような、充実した文章量を書いて満足できる日なんて月1,2回しかこない。

となると私は一体、一番やりたいことをないがしろにして一体何をしているんだろうか? 生き延びるための小銭ってそんなに優先すること? まだ貯金7ケタあるのに?

 

どうしたらよいか分からない。小銭で良いから文章で食いたいと思うし、まったく策が無いわけではないが、全然出来てないと思う。

 

貯金が尽きるまでバイト辞めればいいんだろうか。でも週7日、自由に使えたら、私は一体、どれだけの時間を「本当にやりたいこと」に使えるだろうか。大いなる空白が怖くて、適当な、本当にやりたいことじゃないことで、たくさんの時間を埋めてしまうんじゃないだろうか。実はそれが一番怖い。

 

だってまだ寂しいし。

もってかれる

この一週間でライヴが4本あった。

 

ライヴの日は朝にヨガとストレッチ(2時間)→昼に声出しと練習(2時間)→きちんとめに化粧して夕方に出動、となるので要は1日がかりとなる。

 

全ての時間は自分の時間なんだから、全て自分のために使えばいいしそうしているはずなのだが、ライヴ回数がある域を超えると「(ライヴに)(時間を)もってかれる」という感覚になる。

 

ああ、「1月はこれ以上ライヴ増やさない」と決めたのに、それから2本入れてしまったんだよなー。呼ばれると、嬉しくて、断れないんだよなー。

 

ライヴは楽しくて充実して大変意義があるもので、自分の大目標ともリンクしてるはずだから、続けているのだけど、非常にコスパの悪い行為だからちょっと匙加減間違えるとすぐ「割の悪い行為をやらされてる」みたいな被害者意識に陥ってしまう。

 

打ち上げまで含めると最長深夜まで「もってかれる」。

ライヴが終わると、私はもう言いたいこと全て伝えて超すっきり&虚脱してるから、「全ての会話はライヴに劣る」という感覚が、ひしひしとある。

豊かな言語能力がある人の感想とか、新たな知見を与えてくれる情報とか、は、喜んで聞くし、豊かな感情表現がある人の「超よかった!! 最高!」も喜んで聞くし、次のライヴの場を与えてくれたり物販買ってくれる人も大変ありがたいのだが、

 

「面白かったです〜渋澤さんと仲良くなりたいです〜」って感じでのこのこやってきて、

「私、普段〇〇をやってて、××っていう場所に所属してて、◎◎さんの知人で、今日は●●がきっかけでここに来て、」

みたいな着地点の無いとりとめのない自分語りする人に対処するMPが、正直、まったく、無い。

 

なぜファンは自分語りをするんだろうか? そして敬愛する対象の時間とMPを無邪気に奪うんだろうか?

 

黙ってチラシを押し付けてくる人がいる。そんなの街角のティッシュ配りと同じなんだからただの迷惑だ。あわよくばチラシを見てイベントに来てくれると思ってるんだろうか? それ、チラシがぱっと見で目を惹く魅力的なデザインか、本人がぱっと見で目を惹く超魅力的なデザインか、本人の語りで熱意なり誠意なりを見せない限り、ただのゴミだぞ。

 

「私、普段〇〇をやってて〜」とか言うなら、今すぐ目の前でその〇〇を見せろ、と思ってしまう。

まあこれが演劇とか美術だったりすると無理だしこの要求が理不尽なのは分かってるんだけど、日常言語の無力性にうちしがれてるから〇〇やってんじゃねえの? こっちはあんたに興味あるふりしてへえとかはあとか言ってるけど結局物販買わせるかfacebookかLINE聞き出して次のライヴ告知送りつけないと元取れねえわ、と思いながら超削れてるからな。って時超ある。そんなつたない自分語りで相互フォローになれると思ってんの? って。

 

これが1回当たり5人も10人も現れるとなると超削れる。もってかれる。ライヴ後のMP2くらいのときにこれ対処するの超きつい。みんなどうしてるんだろ。ライヴ後に自分語りするファン対応用アンドロイドが欲しい。

 

プロフィールはどうでもいいから、今観たものを見て今思ったことを今の言葉で伝えてほしい。プロフィールは過去。プロフィールは過去。

 

 

 

 

人と会わなくなってから、人に「もってかれる」感覚に敏感になった。

人がいる時の方が寂しくなる。わかってもらえない人にわかってもらおうとしたり、みとめてくれない人にみとめられようとしたり、ほめてくれない人にほめてもらおうとして長々とうろうろするのなら、ちゃっと帰った方が良かった。(それが出来ずにストレス貯めて、帰りにラーメン食ってシュークリーム買って発散して、炭水化物とりすぎで眠くなって変な時間に寝て、この時間に起きてうじうじブログを書くと、最長早朝まで「もってかれる」)

 

私はまだ、自分がぐらぐらしてるから、不用意に他人に会うとすぐに主軸を他人に明け渡してしまう。でも勿論、自分の主人は自分で、自分が自分を褒めて認めればそれでもう十分なのだ。

 

でも、自分は超絶飽き性ですぐに自分に飽きてしまうから、本当は、「もってかれたい」「わけのわからないものに振り回されたい」と思ってる。

私は私のことが割とわけわかる(私の小説やライヴを見て「わけわかんない」という人もいるが、私の中では超理屈立ててるしわけわかるつくりになってる)ので、他人のノイズを入れないと完全に既出ばかりの世界になって即飽きてしまう。

 

しかし、私は超絶せっかち&キャパ狭めだし他人に振り回される余裕が無いし他人が怖いから、「あ、こいつわけわかんねえな」と思うと速攻心のシャッター閉めてしまうこともある。

 

だから、芸術という、いちおう安全で頭とケツがありパッケージ化して切り出されたフォーマットで、他人のわけわからなさを摂取している。

本当に言葉の力を信じてる人は「俺は言葉の力を信じてる」とは言わない 〜ポエトリースラムジャパンの話

昨日は、ポエトリースラムジャパンという詩の朗読の大会に出た。

詩の朗読の界隈は、ライヴハウス以上に競技人口が小さく(演者≒客で、純客ほぼゼロ)、みんな褒め合っててつまらないので、私は「蛮勇の外様」として言いたいこと勝手に書こうと思う。ここ私のブログだし。

 

昨日思ったのは、「正直、わたしはポエトリーリーディングがそんなに好きじゃないんだろうな」ってことだった。

 

演者としては、一回戦で自己紹介がてらカマした「インターネットおばさん」ネタが全然ウケなかったし(そもそも詩人はネットに疎い)、キャラ付け濃いめでプロレスのヒール的な露悪的な態度も好き嫌いがはっきり出てしまい、めちゃめちゃ戦いにくかった。

 

客側としても、私が全然良いと思わない人が勝ち進んだり、推してる人がすぐ負けたりして、あんまり楽しめなかった。

 

私は、2回戦まで勝ち進んだのち0.1ポイント差で負けた。あーあ、あそこで勝ったら決勝だったのになー(16人の演者のうち4人が決勝に出られる)。

いろいろと不満が溜まって、その後の観戦は同じフラストレーションを持つ仲間とひそひそ愚痴りあったりコンビニで人の金でハーゲンダッツ食って憂さを晴らしたりした。

 

愚痴り合いながら考えたのはこういうことだった。

 

二回戦での私のパフォーマンスは満点ではなかったが、たとえ私が自己内満点のパフォーマンスをしてもあの場では勝ち進めなかっただろう。

 

というのも、私のポエトリーリーディング観(というか、ライヴ観)はほかの人と全然違うのだ。

 

私は、実は、ポエトリーリーディングってほっとんど聞く気にならない。すごく技を磨いている数人以外は退屈だと思う。紙を見ながら棒読みするだけで、ダイナミクスも身体表現も音韻も抑揚も使わずにただけなげに朗読しすれば聴いてもらえる、と思ってるのは、甘えだと思う。

 

ものすごく良いテキストなら別だが。いや、ものすごく良いテキストでも、読み方が平坦だったら私は飽きて眠くなっちゃう。こんなにクロックの速い現代社会において、YouYubeの広告の5秒さえ大人しく待てない私みたいな現代人に対して、戦い方が甘すぎると思う。まあでもYouTubeの5秒を大人しく待てる現代人もいるんだから、ただひたすら、あの場が私に向いてないんだとおもう。

 

だから私の朗読スタイルは、「めちゃめちゃ良いテキストを書いたうえで、ダイナミクスも身体表現も音韻も抑揚もつけまくる」というものだ。

当然テキストは完全に暗記して、最低20〜30回、iPhoneの前で練習して動画を撮ってはそれを見て修正することを繰り返し、本番にのぞむ。

これが私のやり方で、私はこのやり方で作った私の朗読がめちゃめちゃ面白いと思う。

 

だからこのやり方で評価されないなら、黙ってよそに行けばいいだけの事って思った

 

 

 

 

 

ここで唐突に私の好きなポエトリーリーディングを紹介する。

別に飛び道具は使ってないけど、ただひたすらテキストの良さと修練の高さで勝負してる大島建夫さん。このレベルの修練じゃないと私聞けません

 

 

あと岡野康弘さん。

昨日はじめて観たんだけど、2秒に一回笑わせる短文パンチラインネタで常に飽きさせないんだけど、時折、ぞっとするような静まりや、しんみりさせるエモを提供するギャップが最高でした。

「ゲラゲラ!」「ゲラゲラ!」「ゲラ……ん、これ笑っていいやつ…?」ってなる時の、あの、場の感じ、超よかったよね?

(この人はひたすらテキストの良さで勝負するタイプ。書き文字でなく朗読に特化したテキストをちゃんと持ってくる周到さがすごく好きです)

(本当は動画を見てほしいけどまだないので、とりあえず昨日読まれたもののテキストはこちらです

 

 

 

 

さて、ここからは少し別なことを書く。「自己言及問題」だ。

ステージにおいて「俺は言葉の力を信じてる」(あるいは逆に「言葉なんて無力だ」)とか「マイク一本で立ってんだ」とか言う行為が、わたしはめちゃめちゃ嫌いだ。(言語系自己言及)

 

それから、貧乏けなげアピールとか上京苦労ストーリーとか親がいないとか学歴が無いとか言う奴もめちゃめちゃ嫌いだ。(自分語り)

 

それから、ステージ上で初めてだけどがんばるとか何をすべきか悩んでるとか今日来てくれた人ありがとうとか言う奴もマジ嫌い。(誠実アピール)

 

本当に言葉の力を信じてる人は「俺は言葉の力を信じてる」なんて言うのだろうか?  レジで金を出す前にわざわざ「俺は金の力を信じてる」とか言うか?

それは、出された紙幣そのもので、吐き出す言葉そのもので、表現すればよいのではないか?

きっと、偽札じゃないか何度も光に透かして確認したいんだろうね。それは家でやってからステージに来い。

 

自分語りしてくる奴は、だいたい『何もない日常がやるせなく過ぎていく』とか『信じられるものは何もないけど積み上げてきたものだけが本物だから』とかよく分かんないJPOPのつぎはぎとのコンボ決めてくることが多いんだけど「居酒屋でやれ」としか思えないし私はその先の話聞きたいからそこ早くはしょれ。悩み自体は平凡で、そこからヒリ出されるオリジナリティあふれる言葉が私は聞きたいんだよ。同情票を稼ぐな。

 

誠実アピールに関しては「甘えんな」「授業参観じゃねえんだよ」としか思えない。授業参観じゃねえんだよ!!!

 

もうすべて、ステージでやるべきことだと思えない。

 

私は苦労を一切してないし善人でもないし誠実アピールが使えるポジションでもないので、苦労人善人誠実アピールする奴は本当に嫌いだ。そういう奴はステージをさっさとおりて、実世界で皆に愛されて生きていけばいいと思う。演目じゃなく人格を愛されればいい。

 

 

 

こうやって書いてて気づいたのは、ポエトリーリーディングの現場が内輪くさいだけでなく、ポエトリーリーディングという演目自体が伝統的に内輪臭いんだろうってことだ。これはたった半年この世界に首突っ込んだだけの私の直感だし修練を積んだトッププレイヤーには当てはまらないと思うけど、とにかくこの界隈、あまりに自己言及が多すぎる。皆、日常の話しすぎ。日常嫌いの私には根本的にポエトリーリーディングという現場が向かないんだと思う。たまに参加する時は「蛮勇の外様」としての登場しかない。優勝なんて当然ありえなかったのだ。

 

 

ここまで読んで鋭い人は気づいたとおもうけど、私にとってラップは地雷だ。ラッパーはすぐ「マイク一本で立ってんだ」って言うし、地元や仲間の出自語りや苦労自慢が多すぎる。昨日はラッパーが半数近く参加してたので、もうそれだけで観客としての私にとってシビアだった。

 

 

 

 

 

ねえそろそろ、私があえてヒールポジションとる理由、わかってきました?

 

 

 

でもね、

私めっちゃあざといから、

決勝戦のために、ちゃんと「自分語り系」の「誠実アピールネタ」もってきてたんだよ。

皆こういうのが好きってちゃんと分かってたからね。一回戦と二回戦の悪態は布石だったのさ。

 

ま、私がやるんだから一筋縄でいく自分語りなわけないけどね。

みんな、私の貴重な自分語り聞けなくて残念だったわね。

 

 

までも、岡野さんと石渡さんが出た決勝はとても楽しかったし、別にいいや。

自分で自分を愛す

バカなので「新年だから!」と思って嫌なことをやめたり新しいことを始められている。このままバカさを利用して最高の2017年にしたい。

 

思い切ってひとつ、とても楽しいけど苦しいことでもあったことを減らしてみた(前述のジェットコースター案件である)ら、大量の時間が手に入って、

「わああ! 今日という日を一日中、私のために使っていいんだ!」

と思うと歓喜と恐怖が湧きあがり、初日は怖くて泣いた後疲れて9時間眠ってしまった。

 

2016年に最も突き刺さった言葉は、永田カビさんの「さびしすぎてレズ風俗行ってきましたレポ」の

「自分で自分を大事にすれば、他人に『私を大事にして!』と依存しないで済む」

という言葉だった

 

「そうそう私って全然自分のことを愛してなかったわ、いつも『なんで無職のくせにハーゲンダッツ食ってんだ』とか自分を縛るセルフ風紀委員が出てきてハゲダの味を楽しめないんだわ」と気づいたという話は先日noteに書いたとおりなのだが、

なんとこの3日間、おそらく生まれた時から脳内同居していたセルフ風紀委員を完全にひっこめることに成功しました。よっしゃー!

 

どうやってやったかというと、草薙龍瞬先生の「反応しない練習」(この方とお会いする縁があって、それがきっかけになりこの本を半年前に初読したんだけど、いつか私のバイブルになるだろうという確信があったのでいつでも読み返せるように手元にずっと置いてたんだけど、今回神がかったタイミングで再読できたため、輝かしい効力を発揮した)を、ゆっくりゆっくり、心に栄養を与えるつもりで読んで、言われた通りのことしたんですね。もう読みながらだくだく泣いて「大丈夫、絶対良くなります」って書いてあるから泣きながら復唱して「大丈夫、大丈夫」って念仏みたいに唱えてマジ大変だったんだけど。

 

この本、本当に画期的に合理的に、「余計なことに反応するな」ということが書いてあるんだけど、要旨はめちゃめちゃシンプル。

 

「なんでうまくいかないんだろう」「なんであの人は私を認めてくれないんだろう」「この先どうなってしまうんだろう」「なんであの時あんな失敗しちゃったんだろう」という妄想が出てきたら、「今」「この瞬間」に確実に存在する「身体」に集中しろ、と書いてあります。

 

「過去、未来」「概念」「頭」←→「今」「実体」「身体」 

前者は全部ウソ。確実に存在する後者だけを信じろってことですね。ハーゲンダッツ食ってる時はごちゃごちゃ考えずハーゲンダッツと己の舌に集中しろ、と。

 

今ここの身体に集中するために、「身体感覚を味わう」、それから「快楽の感情を肯定する」「けして自己否定しない」「作業場の効率をよくする」などが書いてありました。

 

これを踏まえて私がやったのは、走ったり、家じゅうの整頓をしたり、服を買ったり、座禅の本読んだり、料理しまくったり(あともうひとつスペシャルトライがあったけど後述します)。

 

まあ、めちゃめちゃ普通なんですけど。

しかしどれもこれも、「やりたい」と思いながら、一か月以上できなかったことなので、完全に自由になった自分の時間をふんだんに使ってやり切ったら相当の幸福感があった。

しかし、

「こんなしみったれた主婦みたいなことして幸福感じるなんて次元が低い奴だな」

とかセルフ風紀委員が出てきそうになったので、

「私は病人なの。まず心の体力を回復させることが最優先なの!」

と言ってひっこめた。

 

まず、自愛が優先。

他人に愛されることや対外活動(文章を書いて人に見せたりライブをやったり人に会うなどして他人に自己を見せていくこと)は二番目。

まずは、自分にうまいもの食わせて清潔な衣服と居住空間を整えて作業場を快適にして快楽をたくさん味わわせることが先決。

 

 

で、ここからは身体感覚の話をします。

人は、身体感覚に集中していると、頭でごちゃごちゃ考えられないそうです(セックスの時に考え事されてたら嫌ですよね)。逆に、頭でごちゃごちゃ考えていると、身体に意識を向けられないそうです(考え事してると料理の味が分からなくなるあの感じ)。

 

つまり、頭でごちゃごちゃ考えすぎる、私みたいな人は、身体感覚に集中すればごちゃごちゃ考えなくて済むのだ。

 

例えば草薙先生の本に、「過干渉の母がトラウマで、いつも誰かに監視されてる気がしてイライラしてたけど、イライラしたらホットヨガに行くことにしたら症状が劇的に好転した」女性の話が載っていた。

 

それから、永田カビさんの

「一人交換日記」にも「あまりに寂しいからか、病的に寒くて何枚着ても常に異常なほど凍えていたけど、レズ風俗に行って抱きしめてもらったら帰り道はほかほかで見違えるようだった」

って話があった。

 

「あ、つまり温めれば良いんじゃね? 今、死ぬほど寒いし。」

と思った私は早速ホットヨガのスタジオに体験レッスンを申し込んだ。私は元来、ちょっと尋常じゃないほどの冷え性なんだけど、じっとしてるのが嫌いだから半身浴も岩盤浴も全然続かなかった、しかし適度に動くホットヨガはちょうど良さそうとピンときた、というのもある。

 

 

結果、最the高。

 

なんだか「愛」という概念を知らない宇宙人に教えるとしたらここに連れてけばいいんじゃね? ってくらいの、自愛の極みだった。まあ私が冷えすぎてたから効果てきめんってこともあるだろうけど。

 

行く前は「あーん? 初めの二か月タダ? どーせ半年解約できないとか体験後即入会に限るとかいろいろ条件つけるんでしょ」とか思ってフィットネス商法にかなり懐疑的だった私なのですが、あまりに幸福感すさまじいので観念して即入会した(若干割高なプランにしていつでも解約できるようにしたけど)。

LAVAていう最大手のところです。これで私もフィットネスクラブに通うアラサー女だ。黙れ風紀委員、私は快楽を追い求めるんだよ。

 

 

 

 

昨日は、ポエトリースラムジャパン(詩の朗読の大会)の原稿が出来なかったので、気分転換にリンパヨガというコースに参加した。

ひたすら身体を触ってリンパを流し続ける中で「あ、私全然、自分の身体触ってなかったな、見てなかったな」と思った。

20代後半とか水商売やってた頃は、商売道具だから結構ケアしてたんだけど、最近は身体にかまけることに罪悪感があって鏡も見ないし服も買ってなかった。(風紀委員が「いいから創作活動に専念しろ」ってうるさかったんですね)。

 

身体を触りながら湧き出てきたのは「あー、原稿を頭からヒリ出そうとしてもダメで、身体から勝手に出てくるものを信頼してあげればよいんだな」という気づきだった。

 

そういう意味でも、セルフ風紀委員に駆り立てられて机に縛りつけられる私より、「自愛♪ 自愛♪」って言いながらヨガ通ってるフィットネス女子な私の方が、意外と良いものが書けるかもしれない。

 

まあ、結局その後、からだがあったまって眠くなって、何もしないで寝ちゃったし、今日は「まずは自愛♪」とか言って新年初出勤のバイトも休んじゃったんですけどね。

だってポエスラが明日なんだもーん(みにきてね)

 

 

 

心の無いロボットに心を教え込もうとするような3年間だった。

私がいかに心が無かったかというのはnoteのこの記事に書いたけど、まあ、なんだかんだ言って人間だから結局心はあったんすよ。でも風紀委員の存在があまりに強くて、ほとんど自分の声が聴けなかったんだと思う。

で、3年前に水商売というちょっと尋常じゃないほど心が丸出しの人々(客も嬢も)のなかにぶっこまれて私も心というものを強制表出させられて、でも出てきたばっかりでうまく使いこなせないからひたすら寂しくて変な恋愛をしたりこっち来いと言う人に引き寄せられて我を失ったり無駄道をたくさん食った

 

本当に、心の成長が遅い、というか、私はまだ3歳児だと思う。

他人に「褒めて」「認めて」と言うのではなく、自分で自分を愛せれば全然寂しくない、と、やっと気づいた。

実際この3日間、誰にも会わず仕事もせずに用事もゼロなのに、Twitterを見る機会が激減して驚愕している。

 

今年はさ、隣の他人を殺すことでなく、自分で自分を触ることで、自分の輪郭をはっきりさせていきたいですね。

 

 

 

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ちゃんちゃん。

割と究極の質問だと思うけど、「面白い」のと「幸せ」、どっちをとりますか

 

割と究極の質問だと思うけど、面白いのと幸せと、どっちをとりますか?

 

 

面白さをとった2016年だった。面白かったなー不幸だったなー。

それはつまり、ジェットコースターみたいなもんだった。

しかし本質的に他人に駆動してもらう乗り物は私の気に染まない。

(電車より自転車で都内どこでも行ってしまうのも、そういう理由だと思う)

 

他人は絶対に自分の思い通りにならない。ジェットコースターは思いつきで動き、しかも元の場所には戻してくれない。

 

2017年は幸せをとりに行く勇気がありますか? 自分で動かすチャリだか白鳥ボートだか知らないけど、心から自分のマシンを愛して自分のために面白く幸せに乗りこなすための鍛練に思い切って時間を費やせますか?

 

1000円入れて2分遊んでくれるジェットコースターに誘惑されませんか?

いつか来たる、同じく白鳥ボートなりチャリなりを乗りこなすことに時間を費やしてきた人がたまにひととき伴走してくれる時を信じられますか?

 

 

物販席で「バンドマンとは付き合うな」を売ってたら、

どうしたらバンドマン以外と付き合えるんですか、と聞かれた。

自分はバンドマン以外と付き合えないわけではないが、芸術家にしか興味が無いかもしれない、と言った。

しかも気づいたら仲良くなるのはバンマスばかりだ あるいは小説家とか画家とか、個人プレイの人ばかりだ。

 

まあ、そういうこった。

 

おまけですが知人が教えてくれたジェットコースターの動画です。ものすごくきれいで面白いです。