私たちは幸せになるためにインターネット(恋愛)をしているわけではない

case.1

遅延証明書は誰かが嘘を吐くから発行される。

ガードレールは誰かにぶつかられるために存在している。

鍵は誰かが盗むから、鏡は他人の目を借りて見ることができないから、

インターネットは他人の脳に電極を刺すことが出来ないから存在している。

 

case.2

遅延証明書はあなたが嘘を吐くから発行される。

ガードレールはあなたにぶつかられるために存在している。

鍵はあなたが盗むから、鏡はあなたの目を借りて見ることができないから、

インターネットはあなたに愛を伝えるために生まれてきた。

 

 

病院で生まれた赤ちゃんは、新生児室のマス目をびっしりと埋めつくす同胞を見て思いました。

うわ、この世、人多くね?! 俺もう間に合ってんじゃね?!

そしてさっさとママのお腹に引っ込んでしまおうとしました。なぜならそこは定員1名で、それ以上でもそれ以下でもなかったから。でも、そういうわけにもいきませんでした。

 

小学校にあがった彼は、教室で40個ずらっと並んだ机と80個の目を見て思いました。

うわ、子ども多くね?! 俺もう間に合ってんじゃね?!

そしておうちに帰りたくなってしまいました。なぜならおうちの子どもはたった一人だったから。でも、そういうわけにもいきませんでした。

 

そんな彼も学校で学び、大学まであがり、やがて仕事を探し始めたころ、ぎゅうぎゅうに詰められた就職説明会のパイプイスと黒い頭の群れを見て思いました。

うわ、働きたい人多くね!? 俺もう間に合ってんじゃね!?

そして大学に戻りたくなってしまいました。研究室には彼の席がちゃんとあったから。でも、そういうわけにもいきませんでした。

 

そんな彼も就職し、結婚し、分譲マンションを買おうとした時、1フロアに23戸、ずらっと並んだ玄関口を見て思いました。

うわ、家族多すぎじゃね!? 俺たちもう間に合ってんじゃね?! 

そして嫁とお腹の中の子供を置いて実家に帰りたくなりました、土地の余りあまっている、田舎の一軒家に。でも、そういうわけにもいきませんでした。

 

そんな彼も子供を育て、独立させ、老いていき、墓を買う時に、ああ、あの新生児室のマス目そっくりに並ぶ墓地の区画のマス目を見て、思いました。

うわ、死んだ人もう間に合ってんじゃね!? 俺死ぬ必要無くね!?

でも、そういうわけにもいきませんでした。

 

彼が死んだあと、彼のパソコンを空けた遺族は、彼のインターネットの履歴から、彼が書いたたくさんの文章を、画像を、音声を、動画を、見つけました。観ても観ても観尽くせぬ、果てしない彼の痕跡。そこに広がる世界は、新生児のベッドの1マスよりも、分譲マンションの1マスよりも、墓地の区画の1マスよりも、何倍も何倍も何倍も何倍も広かったのでした。

 

渋谷人多くね?! 俺が少ないの?!

渋谷は人が多いから嫌い、じゃなくて、本当は人が多い所についつい行ってしまう自分が嫌いです。

 

SNSは馴れ合いだから嫌い、じゃなくて、SNSを馴れ合いにしか使えない自分が嫌い、なんでしょ?

なんでSNSの悪口いうの?!

インターネットの悪口をいう人は私が許さない。

自分の悪口を言えない心の弱い人が、インターネットの悪口を言っている。

自分の悪さを道具のせいにする頭の弱い人が、インターネットの悪口を言っている。

 

ゲーム脳、スマホ脳、って、そう、よかったじゃん、性能アップしてるじゃん、もとより賢くなってるじゃん、あんた64GBも無いじゃん、よかったね、その調子でそのうち人工知能になれるね! え? 「人工知能に仕事をとられる!」だって? マスメディアは今はそんなことを言っているんだ、マスメに座って前ならえ前ならえ前ならえ前ならえの一番前の人は別なポーズとってるじゃんね、ねえ、気づかなかった? もうとっくに、あなたの仕事は、あなたより頭の良い人に奪われているんだって……

 

 

「●●を知らない人は人生の◎割を損してるよ!」と言ってる人の脳をかち割ったら、本当に脳の●割を占めるでっかい腫瘍ができていた。そうか、こんな頭じゃ、他人が他人なりに楽しみを見つけて生きている人生に思いをはせる知能なんてなかったよね……

 

 

私がインターネットをする理由は、他人の脳を見せてもらうためです。脳みそは外見が迷路のようで中身は迷路のよう

 

佐世保女子高生殺害事件の犯人の動機は「体の中が見たかった」だそうだが、私が見たいのは脳の中でよかった。

 

 

最も優秀なプログラマは愛を二行で定義する

 

それ 

 

以外。

 

 

神でもないし天使でもないし悪魔でも小悪魔でもないし処女でもないし美少女でもないけど、何か良いものでした それ以外の。☆5つです。リピ決定です。

 

私達は永遠に読みかけの小説。無限に続く書きかけの脚注。

 

男性、女性、「その他」の欄も作れないお前に「私のこともっと考えて」なんて言う資格無えよ

 

私の構成要素の複雑さを愛してください。見えない配線を見えないまま、でも「よく分かんないけどここいじたら治った」を積み重ねてください。

 

2,3発叩いたら静かになりました。何もしてないのに壊れました。えさを与えていましたが2,3日したら冷たくなりました。どうやら水が必要だったようです。リピはもうないです クーリングオフできますか?

 

 

誰かの脳でしゃべらないで 多数決の脳で否定しないで

「ネットで見つけた出会いなんて」って?! 「やっぱり、顔を見て話さないと」って?! 「お前それ、面と向かって言えるのか」って?! インターネットには顔の無い人もいるんですよ!!!!!!! 配慮してください!!!!!!!!!!!!

 

 

顔、

 

といえば、

 

自分の名前で画像検索すると、自分以外の人間が沢山出てきて、どれが渋澤怜の本物の顔かがわからない。というか大体、大森靖子と指原莉乃と初音ミクの顔だ

 

好きなものが、「好き」だと連呼したものが、自分の顔になっていくのがインターネットの素敵なところなのに、なんでみんな「ありのまま」とか「自然体」とか言うんだろうね?

私は渋澤怜のマネージャーでしかないのだろうか

全て自分の時間だ。全て自分の時間だ。他人を恨むのに使う時間も、F5を押し続ける時間も、あなたのLINEに既読ついてるか何度も見に行ってしまう時間も。

なぜかわからないけれど、自分のために時間を使うことに抵抗がある。アー写も人に推し進めてもらってプロジェクト化しなかったら絶対作らなかった。ドキュメンタリーも。

そう私はまだライヴをして1年も経っていないのに、アー写もドキュメンタリーもある。ライヴ動画もたくさんある。自分の手をほとんど動かしていないのに、すごい(周りの人がやってくれたのだ!)。

でもあんまし嬉しくない。というか実は、自分の本が出来た時とかもあんまし嬉しくない。不思議だ。ネットとかに告知して「すごいのできたよーうふふーんすごいでしょー」って言ってるのは、自分自身に「これはすごい良いことが起こってるぞ!」と暗示をかけようとしているというフシも大いにある。

よく分からないけれど、本質主義的すぎるのかもしれない。

自分のコンテンツそのものを認めてくれるのが一番うれしい。それも客としてより、同志や支援者としてコミットしてくれるのが特にうれしい。例えば書く場を与えてくれたり、ライヴのオファーをしてくれたりだ(今月の代々木ザーザズーも、来月の下北沢Queもそうだった)。

本の装丁もアー写も、私の作るコンテンツそのものから少し離れているからうれしくないのかもしれない。

 

私は渋澤怜は好きだけど、私の事はあんまり好きじゃないみたいだ。

素の自分が喜ぶことをするのに抵抗がある。服とか買っても「わーい」より「無駄な時間を使いやがって。はやく渋澤怜活動に戻れ」という脳内風紀委員の声の方がデカい(脳内風紀委員については詳しくはこちらに書いた)。

本を読む時間や書く時間は、渋澤怜費として経費で落とせるので、大丈夫。我ながらよくわからない みんなこういう風に生きてるんだと思ってたけど、ちがう、とやっと最近気づいた。(違うよね?)

 

私にとって私はひとりしかいないのに、その私に愛されてないんじゃ私がかわいそうすぎる。それで他人に「愛して―愛して―」って言ってるのは本末転倒過ぎるから「まずは自分で自分を愛そう活動」(自愛活動)を1月からやっているのだけれど、それはそれなりの効果を上げてきたんだけど(今日みたいなネガティヴなブログを書く機会が格段に減ったろ?!)(寂しいと思う機会が格段に減ったのだ)。

 

インフルの病床で「うつヌケ」を読んだら『毎朝おきぬけに「私は私を大好き!」と暗示をかけると劇的効果があった』と書いてあったので、試してみたけどキモくて仕方なかった。やはり自分の呪文は自分で用意しないといけない。(しかし、「うつヌケ」も「さびしすぎてレズ風俗行きましたレポ」も、「自分で自分を愛すこと」という同じキーワードが出てくるな…やはり自愛活動は方針として間違っていないようだ)

 

自分が好きなものをちゃんと好きと思えないと、他人の好きなものも平気で棄損するヤバい人間になる。

もっとヤバいことには、自分で自分を好きとちゃんと言えないと、他人を平気で棄損するヤバい人間になる。

 

金曜にライヴハウスいったらイマイチだったうえにインフルエンザで寝込んで、寝込んでる間に上の階の足音が超絶うるさくて耳栓しながら寝込むしかなくてさんざんな気分だったので、3月にあった良いことを数えてたら、めちゃめちゃたくさんあった。

引っ越しは頼もしい男の子ふたりに手伝ってもらって超スピーディーに終わったし、IKEAで買った机も男の子に組み立ててもらって超スピーディーに完成したし(これだけ読むと超モテ子だな私)、原田卓馬んちで超素敵なご飯と空間を味わったし、代々木ザーザズーのスタッフは全員良い人だったし、徳久先生のボイトレ講座は相変わらず効果てきめんだったし、アー写チームの仕事も超スピーディーで楽しく仕上がりも大満足だったし、職場の人にマージャン教えてもらったし。

インフルと上の階の騒音くらい何だよ、2,3日寝て&引っ越したら解決じゃん。簡単になおる問題ばっかで私は本当に恵まれてるなあ、とマインドセットしようとしたけど、

ああ要は、自分に起きた楽しいことを楽しいと思えない気質なんだな、という気付きに至った。渋澤怜経費で落ちないから。

私は渋澤怜のマネージャーでしかないんだろうか。

食費を3倍にしたら

普段そんなに金持ちになりたいと思う機会はないのだが、駅前の成城石井に行ったら「金持ちになりてえーー」と思った。食の物価を全て3倍にしたい。1斤400円のパン食べたいバター買いたい弁当が買える値段する小さなお惣菜買いたい。

食費を3倍にするのは意外と簡単なのでは? と思った。今の食費が2万とすると(実際食費の計上はすごく難しい、他人と食べた食事は交際費かとか)、まあ2万とすると、収入が4万増えればそれは達成できる。

と同時にそれで私は月4万分の満足を得るのかな? とも思った。月4万なら別なところに充てた方が満足度が高そうだ。どうも食というのは、食べる前にめちゃめちゃ欲すけど、食べた後ケロリと忘れて、儚い、尿意みたいなもんだ。

でも私この尿意がすさまじく、ちょっともよおした時に街に繰り出すと街中のトイレに目移りしてしまいトイレに行くまで本来の用件に集中できないレベルなのだ。つまりちょっとでも空腹で街に行くと、ありとあらゆるレストランに目が向いて本来の用件に集中できないって意味ね。

この尿意に人生振り回されるのは嫌だなあ。と思い、成城石井でグラスフェッドバターを買った。なんと250gで2500円する。これをつかってこれからの朝食は完全無欠コーヒーを作ることにする。グラスフェッドバター、MCTオイルを混ぜたコーヒーを朝飲むと昼まで腹が空かずに集中できるという噂だ(ぐぐってね)。材料費には一杯100円強かかってしまうが、今まで食べてた朝食(バナナ+ヨーグルト+きなこ+黒ゴマをミキサーで混ぜる)も50円強かかってたし、それで足りずに色々食べてたことを考えれば、むしろ安く済むかもしれない。

 

月4万あったら何に使うかなあ。広い家に住んでも掃除がめんどいし、高い服買っても手入れがめんどいし。おそらく、すごい人に何かを教わりに行くだろうな。そして、すごい人に何かを教わったことをちゃんとキャッチできるクリアな脳みそであることに投資したいよ。

 

というわけで下田美咲の管理食noteを買った。

無邪気に自分の話ばかりする人が嫌いだ 私はお前の親じゃねーよと思う

無邪気に自分の話ばかりする人が嫌いだ。

私はお前の親じゃねーよ、と思う。

「先生あのね」「ママあのね」のごとく自分の話をするなと思う。

そういう理由で酔っ払いが嫌いだ。2週間前、酔ってなんの話しても「へえ私は〜」って言って自分の話にもってった子のこといまだにイラついてる。

私は私の話をするのが下手だ。

私の友達で私の話聞いてくれる人があんまりいない。もっと私の話聞けよ、と思いながら、相手の話を聞いてる。男の場合は、いいから早くヤラせろ、と思いながら聞いてることが多々ある。あるいは言語内容でなく音にフォーカスして長めの前戯として耳に浴びていることがある。男女逆ならよくある話だと思う。

 

感情は、出したほうが良いらしい。

『ネガティブな感情こそ口にせよ(小野美由紀)』

https://note.mu/rayshibusawa/n/nc50b4acafa8b

 

私が水商売で学んだ最大の教訓は、「女の子の感情は宝物」ということだった。

水商売で一番やっちゃいけないことは、ムッとして黙ることだ。

それなら、グラス割って泣き叫んで暴れる方が100倍良い。

喜怒哀楽、すべてにおいて、女の子は、感情を出したほうが愛される(少なくとも水商売の場では)。

私は情動を出すのが下手なくせに常に「誰も私の事分かってくれない」と思ってる。

言わなきゃ分かってもらえないのは当たり前では?

何を甘えているんだろう。

 

私の友達に、喋り屋が多いのは、私が真逆の人間を求め、惹かれているからだ。

でも正直ウザくて仕方ない。「私は愛されてる」っていう大前提で、そう親に対する子供のように、他愛の無い話をずーーーっとしてくるのが。

思い出補正演目に頼り始めたらおっさんバンドの始まり

ちゃんと情動がある人は良いなあと思う。

笑ったり泣いたりちゃんとする人。好きなものが沢山ある人。

私は心が硬い。好きなものもほとんどない。

同じライヴを観て泣く人もいる。感動できる方が楽しいと思う。

「私の感情は苛立ちと優越感と寂しさの3つしかない」と、数年前に気付いて、そうじゃなくするようにここ数か月動いてきたけど(いわゆる自愛活動だ)、油断するとすぐに29年間安住していた地に戻ってしまう。

 

ださいツイートがふぁぼられる。むかつく。

 

私が熱出してうげーってなってるツイートとか楽しいの?

 

昨日観たライヴ、ハコの思い出語りと、ハコのやめてしまうスタッフにちなんだ曲をラストにやってた。そのバンドの曲というより厳密には前のバンドの曲だ。その演奏が一番良かった。その曲以外はあんまりよくないなと思った。私はいつでもそのバンドの最新鋭を観たいから、思い出補正の入った前バンドの曲をやってそれが一番良いなんてダサいなあと思った。それはおっさんバンドのすることだ。

いまいちだなーと思ってたけど、演奏後知人と話してたら皆良い良い言ってたし私は体調がかなりしんどかったので(のちにインフルと判明)、黙ってフェードアウトしてしまった。こんな同窓会みたいなのは嫌だと思った。卑怯なことに私は帰りにバンマスにLINEで不満を伝えた。「おっさんバンドまっしぐらだ」と打ったら、「ガーン!!」というスタンプが返ってきた。あー気づいてないんだ、誰よりもおっさんを嫌って、おっさんになるくらいなら死を選ぶのも辞さない人なのに。

 

(私がおっさんと言う時は、年齢のことじゃなくて、「新しいものを学ばなくなった人」「変わることより安定を好むようになった人)のことだ)

 

私だったら思い出補正演目なんて絶対やらない。それはライヴ中に目の前にいる私を観てもらうことを捨てて、思い出の幻影と二重写しされた私を観てもらうことになるから。そんなの絶対やだ。ライヴというもののただ唯一の価値――目の前に人間がいること――を自ら棄損することになるから。

それでも満足できるやつは、ライヴなんか観ずに、動画でも観てればよい。

 

余談だがライヴ中に動画を撮ってすぐSNSで共有する奴も謎だ。なんでわざわざライヴに出向いてるのに、ライヴの唯一の価値を自ら棄損する真似をするんだろう。自分の目の玉で目の前で起こってることを目撃することに集中すれば良いのに。ライヴ来なかった人とは、ライヴの良さなんて絶対に共有できないんだから、あきらめて、潔く自分の胸で味わえば良いのに。

 

 

まあ、残念ながら、おっさんバンドの思い出補正演目に涙できる感性の方が遥かに得だと思う。感動できるポイントは多い方が人生楽しい。

 

私の情動は、誰も受け止めてくれない。私の情動は誰も受け止めてくれない私の情動は誰も受け止めてくれないツイッターさえ受け止めてくれないむかつく クソみたいな体調不良ツイートと自撮り(アー写)ばっかふぁぼって、バカじゃなねーの!? 私だよ??

 

他人に情動を受け止めてほしいなら、ちゃんと外に出すこと(フェードアウトしないこと)、そして他人の情動も受け止めること。

それができないから、まずは自分の情動を自分で受け止めようとしている。また私しばらく外出しなくていっか、ってなってる。

手のないひとは指紋認証もできない

今日は完全なる休日で予定もない日だった。

風邪気味なのにも関わらず、脳みそのコンディションは好調で、ずっと文章を書いていた。書いている。8時から今の18時まで、ずっと書いていた。すごく充実して、達成感がある。

でもそれは、普通の人が会社に行って1日に働く時間とほぼ同じなのだ。つまり私は週4,5回バイトをしているが、今日のような時間の使い方を、週4.5回、バイトに捧げているのだ。

 

今日のような、充実した文章量を書いて満足できる日なんて月1,2回しかこない。

となると私は一体、一番やりたいことをないがしろにして一体何をしているんだろうか? 生き延びるための小銭ってそんなに優先すること? まだ貯金7ケタあるのに?

 

どうしたらよいか分からない。小銭で良いから文章で食いたいと思うし、まったく策が無いわけではないが、全然出来てないと思う。

 

貯金が尽きるまでバイト辞めればいいんだろうか。でも週7日、自由に使えたら、私は一体、どれだけの時間を「本当にやりたいこと」に使えるだろうか。大いなる空白が怖くて、適当な、本当にやりたいことじゃないことで、たくさんの時間を埋めてしまうんじゃないだろうか。実はそれが一番怖い。

 

だってまだ寂しいし。

私は「最高」と言い合えるバンドメンバーがいないから、自分で自分を「最高」と言わなければならない 〜20170211弟のバンド「宙に浮いた扁平足」との姉弟対バンについて

「全て自分の時間だ」と、最近よく思う。

他人にとられている時間なんか無い。全部、自分の時間だ。

バイト先でデータ入力するフリしながらサボってネットサーフィンしてる時間も。

コンビニのレジ待ちの列でイラついてる時間も。

楽しくできる範囲の親切を超えて、辛くなってる時も。

徹夜でSUUMO見てる時も。

自分がそうしようと選択してそうしている。嫌なら今すぐやめられる。とりあえず、にこっとするなら今すぐできる。

 

起きている時間の1秒たりとも、自分の時間じゃない時間なんて無い。

 

朝が得られない。朝を得たい。水商売をやったり深夜につるむ友達が増えたりしたけど、元来朝型なのだ私は。

朝早く起きるだけで調子が良い。夜ってだけではかどらない。(人に会ったり人と遊んだりは出来るが、書けないし読めない。家にいると眠くなる)だから最近の課題は、朝いかに起きるか。

 

夜型にした方が多分連絡つきやすい友達多いけど、他人に付き合って夜更かしするのはもうやめた。

 

夜更かしとか、分割睡眠とか、憧れるし、ピダハンはうたた寝だけを眠り繋いでまとまった熟睡をとらないし人間にとってそれが不可能ではない睡眠スタイルなのは知ってるけど、私には無理だ。憧れは無駄。私は、決まった時間に寝起きして食べる、根っからの農耕民だ。

 

まだ余裕で7ケタある貯金の心配をしている。農耕民だからだ。

自分の尻を叩いても平たい未来しかない。自分を甘やかして甘やかして好きなことしかしないゆえに好きなことをプロ級に極めた時に道が開けると信じるしかない、とりあえず貯金がゼロになるまでは戦える。自分を甘やかす勇気がありますかね、実は結構、好きなことしかやらないってキツい。でも私の尊敬する人たちは大体、好きなことしかやらないと決めてこのチキンレースに耐えた時期がある

 

自分を甘やかしてやれるのは自分だけ。自分を愛してやれるのは自分だけ。自分を最高と言ってやれるのは自分だけ。

 

 

 

2/11は弟の誕生日で、弟のバンド(宙に浮いた扁平足)の企画ライヴだったけど、こんな最高のバンドを観ても、羨ましくならなったのが大進歩だった。男に生まれてバンドやりたかった病が再発しなかった。なぜかというと、私のライヴもあまりに良く、十分に個性的で、そしてそれは私ひとりじゃないと絶対にできないから。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=O87vQJ_uB1A

弟の誕生日を逆説的に祝う動画です。

 

 

君たちがなぜ互いを最高と言い合うのかわかったよ。半分は暗示、半分は弱いから。

 

新宿motionは私が客として最も多く通ったライヴハウスで、初めて楽屋入ったけど全然なんということもなかった。全然なんということもないのだ。が、過去の私はきっと現在の私に憧れていただろう。

 

そんな姉弟対バンライヴを観れくれてたライヴハウスのブッカーの人がいたく私を気に入ってくれたので4月のライヴも決まりました。ブッカーとかイベンターって「好き」じゃなくても「穴埋められるから」「呼んだらすぐ来てくれるから」「手頃だから」なんてだけでも十分にオファーの理由たりえますが、まず好き好き言ってくれたので「好きなんだな?! じゃあ呼べよ! 3月な!」「いや3月は…無理、4月でいい?」「いいよ4月のいつ? 何日?」と詰めて決めちゃいました。(もちろん「じゃあ呼べよ! 3月な!」と言うのは「3月は急すぎてさすがに無理だろうな」と分かって言ってる。それで相手に「4月でいい?」と言わせるのがポイント)

 

4/5、下北沢Queな。キャパ280……でかいな〜…………

 

 

あと余談ですが営業は直メが一番効果的です。チラシもツイッター告知もほぼ無意味です。フォロワーそこそこいる私が言うから真実です。

2番目に効果的なのは口コミで、太い客が連れてきてくれる友人が貴重です。

でも、知り合い一人もいなくて居心地悪いの分かってるのにわたしを観に知らない場所に毎回足を運んでくれる純客が、純粋なお客さんが、私は一番尊いと思っています。

 

 

だから弟の誕生日ライヴだろうが出演者半分知り合いだろうが、私は内輪臭いライヴなんて一生しないよ。

短歌の歌会に参加してきたよ(めっちゃ面白かったからみんなでやろう)

2017.1.25(水)に、下北沢のバーpebbleにて、

ミュージシャンたちと混じって短歌の歌会をしてきたよ!!

結論から言うと、歌会ってめちゃめちゃ面白い。超楽しかった。

 

 

■歌会って何よ?

 

短歌(五七五七七で、季語の無いやつね)を一人一首持ち寄って、講評し合う会です。

 

やり方はいろいろあるみたいだけど、今回は、作者を伏せた状態で歌を一覧表にまとめ、参加者が好きな歌3首に投票して、その後、選んだ理由や選ばなかった理由、好きな理由や嫌いな理由をあれこれ話し合ったり、解釈を提示しあったりしました。

 

 

■歌会がなんで面白いか

 

ま〜あ創作物についてあれこれ感想を言うのが大好きな私(だから映画は極力誰かと観に行く)としては当然こんなの最高の遊びに決まってるんすよ。

しかも自分の作品が俎上に乗るとしたら尚更ね。

 

しかし、私は今まで、自分の作品が俎上に乗る講評会で満足することってほとんどなかった。

 

小説の講評会ってそもそも素材が長くて疲弊するし、作者のソウルの塊のような長い文章を俎上に載せることになるから、相当仲良くないとずけずけ意見言えない、などの問題があって、しかも小説家ってこじらせナイーヴが多いので、大体ロクな場にならないんですよ

 

だから、この「作者不明のまま、超短文を講評しあう」という制度は、私にとっては画期的で、本当によくできてて素晴らしいと思いました。

(超短文だから作者のソウルがそこまで出てこないし、匿名だから、比較的遠慮せずにずけずけ言いあえるんですよね)

これが素晴らしいなと思った点ひとつめ。

 

二つ目に良いなと思った点は、

作者不明ゆえに、作者の手を離れて参加者がどんどん新解釈を生んでいくということでした。

一応最後に「解題」と言って、作者をバラして制作意図を聞くのですが、それ以前にめいっぱい「多分この歌はこういう意味だ!」ということを語り合うんですね。

これによって、自分の歌に自分の思いの寄らない解釈が発生してくのが醍醐味。

 

例えば私のこの短歌

 

「自分とは セックス出来ない キスも無理 ハグも無理 でも 好きにはなれる」

 

は、なんとまあ二通りの解釈が生まれたんですね。

 

1 自分で自分を好きになれる

2 作中主体が他者に対して)私はあんたとセックスもキスもハグもしたくないけど、でもあんたは私を好きになることはできるよ

 

と。

わたしは「1」しか想定しなかったので「え?! 2?! 何それ?!」って感じだったのですが、まあこういうことが大変勉強になる。普通に誤読を避けるための文章講座としても超役立つし、わざとあいまいにした場合は、みんながどれだけ翻弄されてくれたかを、にやにやしながら眺めることが可能です。(誰が作者か不明のまま進むからね)

 

そして、自分の歌以外の全ての歌も、他者の解釈を知ることによって、初めに一人で読んだ時より断然面白く感じられる

つまり、作者の手を離れてどんどん歌が育っていくの。すごいよね。

結局、最終的にはひとつもつまらないなと思う歌はなくなりました(初読時は半分くらいつまんなかったんだけど笑)

 

いやあ、講評会というのもの全般は大体、つまんない作品の番の時はクソつまんないものだけど、今回は「お?! 君の解釈のおかげで(つまんないと思ってた)この歌がめちゃめちゃ面白く感じてきたぞ?!」っていうミラクルが起こりまくりで全然退屈しなかったわ。すごいわ。

 

 

■歌会やろうぜ

 

短歌会って、「作った時間:講評時間」のコスパを考えると、最強なんじゃないかと思います。極端な場合、5分で作った歌に20分講評してもらえる。

手軽に参加できる上に、歌会自体もすごくクリエティヴな場だから、

「とりあえず素材持ち寄ってみんな料理しようぜ」って感じ。すごく気軽に参加できる。

 

この敷居の低さと、準備の楽さ(みんなの短歌を集めてプリント1枚にまとめるだけ!)。

これは、創作系の遊びの中でも最も優れてるものなんじゃないだろうか?!(大喜利もなんだかんだお題用意したり面倒臭いんですよ)

 

今年は歌会をがんがんやっていきたい!!

 

 

というわけで、

・「渋澤怜が歌会ひらいたら参加したい人」

・「渋澤怜が参加してもいいよっていう歌会を知ってる人」

がいたらぜひご連絡ください!

 

 

最後に、この日つくられた短歌(で掲載許可がとれたもの)をあげておくね

 

 

「秘めながら酔いて裸の君追うと吐きだせぬまま 空の銭入れ」カミイショータ

「息をするように生きてる君がいる 今日のカレーはカレーの味ね」飯田裕

「吾が友よ儚き命果てるまで地獄の底でダンスするざんす」原田卓馬

もってかれる

この一週間でライヴが4本あった。

 

ライヴの日は朝にヨガとストレッチ(2時間)→昼に声出しと練習(2時間)→きちんとめに化粧して夕方に出動、となるので要は1日がかりとなる。

 

全ての時間は自分の時間なんだから、全て自分のために使えばいいしそうしているはずなのだが、ライヴ回数がある域を超えると「(ライヴに)(時間を)もってかれる」という感覚になる。

 

ああ、「1月はこれ以上ライヴ増やさない」と決めたのに、それから2本入れてしまったんだよなー。呼ばれると、嬉しくて、断れないんだよなー。

 

ライヴは楽しくて充実して大変意義があるもので、自分の大目標ともリンクしてるはずだから、続けているのだけど、非常にコスパの悪い行為だからちょっと匙加減間違えるとすぐ「割の悪い行為をやらされてる」みたいな被害者意識に陥ってしまう。

 

打ち上げまで含めると最長深夜まで「もってかれる」。

ライヴが終わると、私はもう言いたいこと全て伝えて超すっきり&虚脱してるから、「全ての会話はライヴに劣る」という感覚が、ひしひしとある。

豊かな言語能力がある人の感想とか、新たな知見を与えてくれる情報とか、は、喜んで聞くし、豊かな感情表現がある人の「超よかった!! 最高!」も喜んで聞くし、次のライヴの場を与えてくれたり物販買ってくれる人も大変ありがたいのだが、

 

「面白かったです〜渋澤さんと仲良くなりたいです〜」って感じでのこのこやってきて、

「私、普段〇〇をやってて、××っていう場所に所属してて、◎◎さんの知人で、今日は●●がきっかけでここに来て、」

みたいな着地点の無いとりとめのない自分語りする人に対処するMPが、正直、まったく、無い。

 

なぜファンは自分語りをするんだろうか? そして敬愛する対象の時間とMPを無邪気に奪うんだろうか?

 

黙ってチラシを押し付けてくる人がいる。そんなの街角のティッシュ配りと同じなんだからただの迷惑だ。あわよくばチラシを見てイベントに来てくれると思ってるんだろうか? それ、チラシがぱっと見で目を惹く魅力的なデザインか、本人がぱっと見で目を惹く超魅力的なデザインか、本人の語りで熱意なり誠意なりを見せない限り、ただのゴミだぞ。

 

「私、普段〇〇をやってて〜」とか言うなら、今すぐ目の前でその〇〇を見せろ、と思ってしまう。

まあこれが演劇とか美術だったりすると無理だしこの要求が理不尽なのは分かってるんだけど、日常言語の無力性にうちしがれてるから〇〇やってんじゃねえの? こっちはあんたに興味あるふりしてへえとかはあとか言ってるけど結局物販買わせるかfacebookかLINE聞き出して次のライヴ告知送りつけないと元取れねえわ、と思いながら超削れてるからな。って時超ある。そんなつたない自分語りで相互フォローになれると思ってんの? って。

 

これが1回当たり5人も10人も現れるとなると超削れる。もってかれる。ライヴ後のMP2くらいのときにこれ対処するの超きつい。みんなどうしてるんだろ。ライヴ後に自分語りするファン対応用アンドロイドが欲しい。

 

プロフィールはどうでもいいから、今観たものを見て今思ったことを今の言葉で伝えてほしい。プロフィールは過去。プロフィールは過去。

 

 

 

 

人と会わなくなってから、人に「もってかれる」感覚に敏感になった。

人がいる時の方が寂しくなる。わかってもらえない人にわかってもらおうとしたり、みとめてくれない人にみとめられようとしたり、ほめてくれない人にほめてもらおうとして長々とうろうろするのなら、ちゃっと帰った方が良かった。(それが出来ずにストレス貯めて、帰りにラーメン食ってシュークリーム買って発散して、炭水化物とりすぎで眠くなって変な時間に寝て、この時間に起きてうじうじブログを書くと、最長早朝まで「もってかれる」)

 

私はまだ、自分がぐらぐらしてるから、不用意に他人に会うとすぐに主軸を他人に明け渡してしまう。でも勿論、自分の主人は自分で、自分が自分を褒めて認めればそれでもう十分なのだ。

 

でも、自分は超絶飽き性ですぐに自分に飽きてしまうから、本当は、「もってかれたい」「わけのわからないものに振り回されたい」と思ってる。

私は私のことが割とわけわかる(私の小説やライヴを見て「わけわかんない」という人もいるが、私の中では超理屈立ててるしわけわかるつくりになってる)ので、他人のノイズを入れないと完全に既出ばかりの世界になって即飽きてしまう。

 

しかし、私は超絶せっかち&キャパ狭めだし他人に振り回される余裕が無いし他人が怖いから、「あ、こいつわけわかんねえな」と思うと速攻心のシャッター閉めてしまうこともある。

 

だから、芸術という、いちおう安全で頭とケツがありパッケージ化して切り出されたフォーマットで、他人のわけわからなさを摂取している。

味を味わいにいくだけ

1/3からほとんど人に会ってないし出かけていない。

 

だから、たまに出かけたり人に会ったりして外部刺激を受けると、外部刺激に対する自分の反応が丁寧に読み取れるようになった。

 

人に会うと、ああ私は人に執着があるなあ、誰かに好かれたいなあ、って思ってるなあ、と思う。

あの人いいなあ、と心がもってかれる感覚があると、ああ私はいま心がもってかれてるなあ、と感じる

 

Twitterをやっている時も同じことを思うようになった。

ああ、私は、誰かに好かれたい、気にされたいという気持ちを持って、TLを流してるんだなあ、だからTLを流すときはいつも「あ、今日も別に誰も私のこと書いてないや」という薄い失望をともなっているんだなあ、と思う。

ほっとんど知り合いをフォローしてない、botか有名人か知らない人ばかりでTLを組んでいる私すらそうなのだ。

 

だから、SNS以外の、Webに乗っている文章と、SNSを読むのは根本的に違う。SNSは必ず「誰か自分に興味持ってないかなあ」という期待を持ちながら見るものなのだ。

 

 

 

「気にされたい、みとめられたい、さみしい」ということをはっきり自覚することもできずに、すぐにTLを見たり人に会っていた以前の自分より、そういうことをしなくなった自分の方が、はるかに調子が良い。他人に自分を満たしてもらおうとするより、自分で自分を満たそうとすることの方がはるかに建設的で合理的だ。第一、「満たして〜」って寄ってくる人間なんてキモくて話にならない。論外だ。女の場合は若いうちはそこそこ見てくれが悪くなければそれでも相手してもらえる、ということが、幸でもあり不幸でもあり、それで私多分2年くらい棒に振った。

 

いまは、まだ過去の名残でひとに「満たして〜」って寄ってっちゃいそうだから意図的に人に会わないようにしてる期間なんだけど、もし、ちゃんと自分で自分を満たすことを踏まえたうえで、人に会えるようになったら、純粋に楽しいだろうと思うと思う。とても楽しみだ。

 

1/3から何をしているかというと、別になんてことはしてなくて、部屋の整理とホットヨガだ。

しかし凝り症ゆえそのひとつひとつの究め方がすさまじく、部屋は「2部屋中1部屋はゴミ置き場だったんじゃね? これから床面積半分の部屋に住めるんじゃね?!」と思うほど捨てたし、ミニマリズムの勉強を始めてこれからさらに徹底的に捨てる予定である。

ホットヨガは1/4に入会してから今日(1/10)までなんと毎日通っている。

 

作業場と身体の改善に1週間費やしてるわけである。

一見遠回りに見えるだろうが、改善後の作業スピードは目覚ましくアップするだろうから、きっとこの道は正しい。

 

 

 

 

今は、暇がたっぷりあるのにあんましTL見ない。TLを見ると不幸になることがよく分かっているので。心がざわざわしてるときは椅子に座ってノート広げて日記を書いて、「ああ、こういうことがあってざわざわしてたんだな」と整理してやるとすぐおさまる。

 

 

以前は何となく人恋しいからという理由で直帰せずに外食して帰ることがあった。

今はしない。外食は味を味わいに行くだけだ。

外食ですら「誰かかまってくれないかなあ」という薄い期待と、「あ、別に誰も私のことかまってくれなかったや」という薄い失望を味わっていた私は異常だったと思う。

今はしない。外食は味を味わいに行くだけだ。

 

ライヴも、人に会いに行くんじゃなくて音を味わいに行くだけ。

 

 

 

 

味がめっちゃわかるようになったし、自分の感情がよくわかるようになった。

私は20代なかばまで自分に心があることがよくわかってないロボットみたいな人間だったから、自分が楽しいのか悲しいのかあまりわからなかったし、今もあんまり分からない。でもかなりわかるようになった。

 

褒められたり気に入られることを求めて自分の主人を他人にしてはいけない。

楽しいことを近づけて悲しいことを遠ざけて、自分の主人を自分にしなければならない。