冷蔵庫に文房具を詰めて窒息させる

ベトナムに来て、詰んでいる。

 

もともと私は、日本の/ネットの/東京の、

「皆同じストレスのもとに生きていて、そのストレスを解放するものがバズる」

というマッチポンプ感、狭い世界観、そして自分もそこにどっぷりはまっているという状況が嫌になって、「外に出よう」と思ったのだった。

 

しかし、そこで何も書けない。

書きたい、でも書けない、というか、書こうと思えない。

 

 

結局、ベトナムにも来ても東京と同じ生活スタイルに収束しつつある。

日本の本とネットに浸って日本語の文章を読み、仕事は最小限で、実働時間が少なめの日本語教師とライターを、ちまちまとやっている。ダイソーとイオンでそろえた便利グッズで、自宅を最強の作業場に整え、そして最強の作業場に整えちゃうと外に出る気が起きなくなるので、ずっとそこにとどまっている。

 

移住たった1年で、笑っちゃうくらい同じどん詰まりに、たどりついてしまった。

 

そんな、まるで日本を一部屋分輸入したような部屋で暮らしているのだが、東京の生活との最大の違いは、「芸術から遠ざかっている」ということだ。

 

■日本語芸術のインプット低下

 

わたしがやっているのは言語芸術だ。

絵とか音楽などのノンバーバルなジャンルなら多少違うかもしれないけど、言語芸術をやっている人が外国へ行くと、基本的に日本よりやりにくくなると思う。

 

単純に、インプット、つまり日本語の言語芸術に触れる機会が激減するからだ(日本の本の入手は難しくなるし、演劇や映画やコンサートなど空間芸術を母語で楽しむことがほぼ不可能になる)。インプットが減ると、アウトプットも出にくくなる。

 

 

更に、ベトナムは芸術に不向きの国だと思う。

 

■ベトナムは芸術に不向きな国

 

現在のベトナムはかなり実利一辺倒寄りな国である。

日本みたいな、「さて、物理的に豊かになりきったけど、しかし、人の心は豊かになってないぞ、どうする?」というフェーズに達する前の、「ウオー! 物質的に豊かになるぞー!」という状態。

(こういう、「日本はベトナムの先輩」みたいな言い方好きじゃないし、ひょっとしたらベトナムは全然ちがうルートをたどる可能性もあるけど、しかし今のベトナムはあまりに「昭和の日本」に似ている、とよく言われる)

 

 

そして、以前この記事にも書いたが、ベトナムには文化警察がいる。

こんなにも屋台がたくさんある国で、路上弾き語りや絵描きが、あまりにいないのはそのせいだし、展覧会には開会前に検閲が入るそうだ。

 

今思うと、日本って言論の自由があるし、芸術があふれた国だったんだなあと思う。ベトナムは、街を歩いているだけで芸術のヒントやモチベーションがもらえるような類の街ではない。

 

 

こんなこと元から分かってたし、それでも一年前の私は「日本の狭いストレス空間から出たい!」と思い、自分の意志でベトナムへ来たのだから、自業自得ではある。

 

そして逆に、「『外国で日本語を教える』という特殊環境に居たら、またちがう日本語が書けるようになるかも」という期待を持っていたし、その期待はある程度あたっていた。

それ以外にも、外国に住むと「ノイズが減る」(他人の会話や注意書きなどが単純に読めない、聞き取れないから、そこから受けるストレスがなくなる)など、思わぬ利点もあった。

 

インプットの低下は、kindleやオンライン映画サービスなどを使ってなんとか補うことができる。

 

しかし、そんなことよりなお一番困るのは、「芸術を一緒にする仲間がいないこと」だ。

 

■芸術仲間が必要

 

芸術は無意味だ。

無意味だから、「世の中的には無意味だけど、私にとっては価値があるぞ!」と、自力で担保しないといけない。

 

でも私は(というか多くの人は)、たった一人でそれをし続けるのは難しい。

だから、同じ志を持つ者同士で担保し合うのが良い。

同じ芸術が好きで、お互いの作る芸術を認め合える仲間。東京にはそういう仲間が(今思うと)たくさんいた。

しかしホーチミンでは、仮に在住日本語ネイティブが1万人いるとして、その中で芸術をたしなみ、かつ私と気の合う人なんているだろうか? 

(私の言語芸術は日本語だから、日本語ネイティブに限り、外国語話者はひとまず除外する)

 

仮にいたとして、1人や2人じゃないだろうか?

 

始めの半年はその、一人いるかいないかの人間を見つけようとして、Twitterで毎日ホーチミンネタをつぶやいたりもしたのだが、成果が出ないのであきらめてしまった。(在住者の馴れ合い系むかつくリプライが増えるのみで終わった)

 

■芸術が分かる人と仲良くなりたい

 

私は、なかなか気が合う人がいない。

ホーチミンに来てから、家にこもるに至る前には、かなり頑張っていろんな人と話す機会を持ってみた。しかし、「ただ同じ町に住んでいる日本人」という共通点しかない人にやみくもに会ってみても、仲良くなるどころか、すっごい毒を浴びて撤退する……経験を何度か繰り返した。

 

「女性は甘いものが好きですよねー」とか「ベトナム人はマナーが悪いですから」とか、はたまた慶応があーだ、とか、早稲田がどーだとか。

 

私は、偏見と差別と主語がデカい人はマジで無理なのだが、この世の中にはそういう人がゴロゴロいる。

 

こんな人としゃべるなら一人で家にいた方がマシだと思い、そういう会合にも行かなくなってしまった。

 

多分、私は世の中の9割の人と話せない。

それは私が強情だからかもしれないが、実際そうなのだから現状どうしようもない。

 

(※なぜか芸術をやってる人は、こういうよく分からない毒を浴びせてくる人がほとんどいない。世の中の物差しと関係のない、役に立たない話ばかりしていて、そこが最高。だから、東京だと、「芸術関連の会合に顔を出して、そこから友達を作る」のが手っ取り早かったんだけど……ホーチミンだと日本語ネイティブの人口が少なすぎるから、そういう会合が無い)

 

家で日本の本を読み、日本のネットを見て、自分一人のワンルームで自分の愛する世界を担保しようとしても、一歩外に出れば「実利の国」の空気が、ぐわーーっと押し寄せ、一緒にこちら側についてくれる友人もいない。

 

詰んだなーと思う。

 

 

でも、今日本に帰っても、渡越前と何も変わらない状況が待ち受けてるだけなんだよなー……一個でもステータス変えて日本に帰りたい。今帰ったらただの職歴のあやしい年増の無職、で、鬱病になること請け合いである。

 

「東京のストレスや物価地獄から離れられる環境」、かつ「芸術仲間は失わず創作に打ち込める環境」が両立できたら、海外暮らしは最高だと思うんだけどな……。

 

少なくとも、もし次に海外に住むことになったら、芸術色の強い街を選ぼうと思う。

パッと浮かんだのは昔行ったバリ島のウブド(キャンバスがゴロゴロ転がってて、皆絵を描いていた)だが、今Twitterで「インドネシアでは婚前セックスと同棲が禁止になった」というネットニュースが流れてきた。センス悪すぎる……そんな国は無理だ。

 

■今後のこと

 

ホーチミンにも、2区という、西洋人が住むわりかし芸術色の強い場所があるので、そこの絵教室にでも通おうかと思っている(ノンバーバル系の芸術なら外国人と仲良くなれるかもしれないし)。

 

それと、今月から、日本の友人たちと週1回程度「オンライン歌会」をしている。

https://twipla.jp/events/409031

ずっとドスランプだったけど、昨日突然短歌が作れるようになったのがとても嬉しかった。

 

それから、今月から飼い始めた猫。猫は無意味さを担保してくれる、というか、意味とか無意味から離れたところにいるので、ドン詰まった私の頭に風穴を開けてくれると期待している。状況は改善していると思いたい。

 

 

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この記事を読んでくれた日本の芸術仲間の方あるいはそうなりそうな方、「オンライン歌会」に参加してみてもらえるとうれしいです! https://twipla.jp/users/RayShibusawa

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