私は渋澤怜のマネージャーでしかないのだろうか

全て自分の時間だ。全て自分の時間だ。他人を恨むのに使う時間も、F5を押し続ける時間も、あなたのLINEに既読ついてるか何度も見に行ってしまう時間も。

なぜかわからないけれど、自分のために時間を使うことに抵抗がある。アー写も人に推し進めてもらってプロジェクト化しなかったら絶対作らなかった。ドキュメンタリーも。

そう私はまだライヴをして1年も経っていないのに、アー写もドキュメンタリーもある。ライヴ動画もたくさんある。自分の手をほとんど動かしていないのに、すごい(周りの人がやってくれたのだ!)。

でもあんまし嬉しくない。というか実は、自分の本が出来た時とかもあんまし嬉しくない。不思議だ。ネットとかに告知して「すごいのできたよーうふふーんすごいでしょー」って言ってるのは、自分自身に「これはすごい良いことが起こってるぞ!」と暗示をかけようとしているというフシも大いにある。

よく分からないけれど、本質主義的すぎるのかもしれない。

自分のコンテンツそのものを認めてくれるのが一番うれしい。それも客としてより、同志や支援者としてコミットしてくれるのが特にうれしい。例えば書く場を与えてくれたり、ライヴのオファーをしてくれたりだ(今月の代々木ザーザズーも、来月の下北沢Queもそうだった)。

本の装丁もアー写も、私の作るコンテンツそのものから少し離れているからうれしくないのかもしれない。

 

私は渋澤怜は好きだけど、私の事はあんまり好きじゃないみたいだ。

素の自分が喜ぶことをするのに抵抗がある。服とか買っても「わーい」より「無駄な時間を使いやがって。はやく渋澤怜活動に戻れ」という脳内風紀委員の声の方がデカい(脳内風紀委員については詳しくはこちらに書いた)。

本を読む時間や書く時間は、渋澤怜費として経費で落とせるので、大丈夫。我ながらよくわからない みんなこういう風に生きてるんだと思ってたけど、ちがう、とやっと最近気づいた。(違うよね?)

 

私にとって私はひとりしかいないのに、その私に愛されてないんじゃ私がかわいそうすぎる。それで他人に「愛して―愛して―」って言ってるのは本末転倒過ぎるから「まずは自分で自分を愛そう活動」(自愛活動)を1月からやっているのだけれど、それはそれなりの効果を上げてきたんだけど(今日みたいなネガティヴなブログを書く機会が格段に減ったろ?!)(寂しいと思う機会が格段に減ったのだ)。

 

インフルの病床で「うつヌケ」を読んだら『毎朝おきぬけに「私は私を大好き!」と暗示をかけると劇的効果があった』と書いてあったので、試してみたけどキモくて仕方なかった。やはり自分の呪文は自分で用意しないといけない。(しかし、「うつヌケ」も「さびしすぎてレズ風俗行きましたレポ」も、「自分で自分を愛すこと」という同じキーワードが出てくるな…やはり自愛活動は方針として間違っていないようだ)

 

自分が好きなものをちゃんと好きと思えないと、他人の好きなものも平気で棄損するヤバい人間になる。

もっとヤバいことには、自分で自分を好きとちゃんと言えないと、他人を平気で棄損するヤバい人間になる。

 

金曜にライヴハウスいったらイマイチだったうえにインフルエンザで寝込んで、寝込んでる間に上の階の足音が超絶うるさくて耳栓しながら寝込むしかなくてさんざんな気分だったので、3月にあった良いことを数えてたら、めちゃめちゃたくさんあった。

引っ越しは頼もしい男の子ふたりに手伝ってもらって超スピーディーに終わったし、IKEAで買った机も男の子に組み立ててもらって超スピーディーに完成したし(これだけ読むと超モテ子だな私)、原田卓馬んちで超素敵なご飯と空間を味わったし、代々木ザーザズーのスタッフは全員良い人だったし、徳久先生のボイトレ講座は相変わらず効果てきめんだったし、アー写チームの仕事も超スピーディーで楽しく仕上がりも大満足だったし、職場の人にマージャン教えてもらったし。

インフルと上の階の騒音くらい何だよ、2,3日寝て&引っ越したら解決じゃん。簡単になおる問題ばっかで私は本当に恵まれてるなあ、とマインドセットしようとしたけど、

ああ要は、自分に起きた楽しいことを楽しいと思えない気質なんだな、という気付きに至った。渋澤怜経費で落ちないから。

私は渋澤怜のマネージャーでしかないんだろうか。

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