味を味わいにいくだけ

1/3からほとんど人に会ってないし出かけていない。

 

だから、たまに出かけたり人に会ったりして外部刺激を受けると、外部刺激に対する自分の反応が丁寧に読み取れるようになった。

 

人に会うと、ああ私は人に執着があるなあ、誰かに好かれたいなあ、って思ってるなあ、と思う。

あの人いいなあ、と心がもってかれる感覚があると、ああ私はいま心がもってかれてるなあ、と感じる

 

Twitterをやっている時も同じことを思うようになった。

ああ、私は、誰かに好かれたい、気にされたいという気持ちを持って、TLを流してるんだなあ、だからTLを流すときはいつも「あ、今日も別に誰も私のこと書いてないや」という薄い失望をともなっているんだなあ、と思う。

ほっとんど知り合いをフォローしてない、botか有名人か知らない人ばかりでTLを組んでいる私すらそうなのだ。

 

だから、SNS以外の、Webに乗っている文章と、SNSを読むのは根本的に違う。SNSは必ず「誰か自分に興味持ってないかなあ」という期待を持ちながら見るものなのだ。

 

 

 

「気にされたい、みとめられたい、さみしい」ということをはっきり自覚することもできずに、すぐにTLを見たり人に会っていた以前の自分より、そういうことをしなくなった自分の方が、はるかに調子が良い。他人に自分を満たしてもらおうとするより、自分で自分を満たそうとすることの方がはるかに建設的で合理的だ。第一、「満たして〜」って寄ってくる人間なんてキモくて話にならない。論外だ。女の場合は若いうちはそこそこ見てくれが悪くなければそれでも相手してもらえる、ということが、幸でもあり不幸でもあり、それで私多分2年くらい棒に振った。

 

いまは、まだ過去の名残でひとに「満たして〜」って寄ってっちゃいそうだから意図的に人に会わないようにしてる期間なんだけど、もし、ちゃんと自分で自分を満たすことを踏まえたうえで、人に会えるようになったら、純粋に楽しいだろうと思うと思う。とても楽しみだ。

 

1/3から何をしているかというと、別になんてことはしてなくて、部屋の整理とホットヨガだ。

しかし凝り症ゆえそのひとつひとつの究め方がすさまじく、部屋は「2部屋中1部屋はゴミ置き場だったんじゃね? これから床面積半分の部屋に住めるんじゃね?!」と思うほど捨てたし、ミニマリズムの勉強を始めてこれからさらに徹底的に捨てる予定である。

ホットヨガは1/4に入会してから今日(1/10)までなんと毎日通っている。

 

作業場と身体の改善に1週間費やしてるわけである。

一見遠回りに見えるだろうが、改善後の作業スピードは目覚ましくアップするだろうから、きっとこの道は正しい。

 

 

 

 

今は、暇がたっぷりあるのにあんましTL見ない。TLを見ると不幸になることがよく分かっているので。心がざわざわしてるときは椅子に座ってノート広げて日記を書いて、「ああ、こういうことがあってざわざわしてたんだな」と整理してやるとすぐおさまる。

 

 

以前は何となく人恋しいからという理由で直帰せずに外食して帰ることがあった。

今はしない。外食は味を味わいに行くだけだ。

外食ですら「誰かかまってくれないかなあ」という薄い期待と、「あ、別に誰も私のことかまってくれなかったや」という薄い失望を味わっていた私は異常だったと思う。

今はしない。外食は味を味わいに行くだけだ。

 

ライヴも、人に会いに行くんじゃなくて音を味わいに行くだけ。

 

 

 

 

味がめっちゃわかるようになったし、自分の感情がよくわかるようになった。

私は20代なかばまで自分に心があることがよくわかってないロボットみたいな人間だったから、自分が楽しいのか悲しいのかあまりわからなかったし、今もあんまり分からない。でもかなりわかるようになった。

 

褒められたり気に入られることを求めて自分の主人を他人にしてはいけない。

楽しいことを近づけて悲しいことを遠ざけて、自分の主人を自分にしなければならない。

コメント

自分の主人を自分にするという主題と、あと2つ半くらいのテーマと芸術の花火のような内容もからんで深く入った小説とかだったら、すごく読み応えあるのにな〜と勝手に期待してしまいました。

とにかく渋澤さんの心の軌跡はいつもいろいろなことを与えてくれます。

ありがとうございます。

  • Leo X
  • 2017/01/15 00:23

ありあとうございます!! そういう小説を書きたいです。これからも軌跡のこしつづけます〜

  • 渋澤怜
  • 2017/01/15 00:42
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