いれていれて

ある人に

「渋澤さんはなんでバンドマンのdisばっかするんですか。disは立場が上の人に対してぶつけてこそクリティカルヒットなのに、なんでうだつのあがらない地下バンドマンばっか相手してるんですか」

 

と聞かれた。

 

彼が意図していたのはたぶん、私の11/1のライヴパフォーマンスにおける

「『今日呼んでくれたAバンド、ありがとうございました、それからこれからでるBバンド、Cバンドも超かっこいいので楽しみにしてます、それからこの場を作ってくれたスタッフのDさん、ありがとうございます、俺たちは次で最後の曲でーす!』と言って、内輪の仲間にしか感謝せず、真っ先に感謝すべき純客に感謝できないサブカルクソ馴れ合いバンドマンは一生村の中で盆踊りしてろ!!」

という文句とか、ツイッターの

「プロになりたいならプロのライヴたくさん見ればいいのに、なんでインディーズのバンドマンはインディーズのライヴに行き合うんだろうね。私はインディーズの小説ってほっっっっとんど読まないよ」

という発言などだったんだと思う。

 

私はこう答えた。

 

「言われてみれば、確かに……。

しかし、私にとってバンドマンは昔からずっと性的で宗教的な存在だったから、自分がいざライヴハウスに出てみて彼らのクソな面を多々発見してしまうのが許せないんだと思います。

ライヴハウスは神殿だからしみったれたことで汚すな、と。お前らは私のヒーローのはずなんだからちゃんと格好よくいろ、と」

 

 

なんで音楽という形態を、バンドという集団を、男という性別を、うらやましがってしまうんだろう。

 

なんで、女の私が一人で最強の小説を書くことでは、私は満たされないんだろう?

 

2016年はこの気持ちに蹴りをつけようとしてライヴハウスにも立ってみた。

でも、なんで、女の私が一人で最強のライヴをしても、満たされないんだろう?

 

 

「俺たちは最高の集団で、俺たちの鳴らす音楽は最高で、俺たちが集まったらいつでも超楽しい」

とか云ってる集団、たとえそれがただの集団催眠で、鳴ってる音楽が大したことなくても、そういう集団が全然羨ましい。

 

このことはすでに2億回ブログに書いたからもう読んでくれる皆様も飽き飽きしてるとおもうんだけど、書くと少しだけ癒える(自分の心を客観視することで「あ、わけわかんねえこと言ってるな」と少しだけ冷静になれる)し、バイトが暇すぎてサボり放題なので書いてる。(何人がお気づきかわかりませんが私は、渋澤ビギナーに読んでほしいよく整理整頓された親切で密度の高い記事をnoteに、ハードコア渋澤ファン向けの未処理なパッションバミンバミンぶつけ系の文章をこのblogに、と場所を使い分けています)

 

だいたい生まれながらに一人大好きで集団行動が極度に嫌いだし自分の芸術はできるだけ自分のコントロール下に置きたいタイプだから本当にバンドやりたいわけでは全然ないのだ。(月に1度の大喜利ツイキャスのスケジューリングだけでも鬼面倒で、毎回キレそうになってた)

 

なんかたぶん要はさみしいだけで、「バンドマンうらやましい」を翻訳すると「自分(の芸術)を肯定して、自分と同じレベルで自分(の芸術)にコミットしてくれる応援者、マネージャー、編集者、後見人が欲しい」ということなんだと思う。そしてそれを互いにできたら最高だと思う。結局のところ私は芸術をやる人間にしか興味がなく、それが結構フェータルだ。

 

2016年の私は確実に誰かの後見人だった。砂漠に水をかけるような不毛さの中の戦いだったが結局結構な量の水をぶっかけたと思う。でも結局向こうは全然潤わないし、水をかけられた記憶さえろくに残ってないのだ。

でも逆に、一生懸命私に水をかけていたのに潤わないどころか私に認知さえされてない人がいたのかもしれない。

 

要は似たもの同士なのだ。ジョーカーじゃない限りは、同じ数字の人間が引き抜かれるのだ。

 

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