すぐ死にそうな奴の芸術は尊い

あの人がいない、ということを味わう。

だいたいいつもフラッといなくなるから、すべてのさよならは予行演習だったのだろう。

 

「俺のことをないがしろにするな」と言って怒る人は、他人をないがしろにしていない人なんだろうなと思う。他人のために、自分がやりたいことをあきらめたり、自分の時間を他人に分けてしまってる人なんだろうと思う。だから、ここぞという時に勇気をもって他人をないがしろに出来る奴が、羨ましくて仕方ないのだ。(他人を羨む前にまず、自分をないがしろにしてる自分に気付いてほしい)

 

今後、多くの人間が「周りの人を悲しませることはやめろ」「君は周りの人からどんなに愛されてるか分かってない」と言って彼を叱るだろうが、他人の悲しみや迷惑や愛、に、毛ほどの価値しか見出してない人間にそんなことをわからせるのは、猫に小判の価値をわからせるくらいの無理ゲーだ。

価値観の根本的に違う人間に、自分の価値観を押し当てるのはエゴだ。自己愛のために死ぬ奴もエゴだが、「俺が困るから死ぬな」なんて言う奴もエゴだ。おそらくエゴの押し付け合いをこの世では恋愛と呼ぶ(ことが多い)が、じゃあその恋愛圏に、彼とお前は入っているのか?

 

本当に、本当に死んだら悲しい相手って、10人もいなくない? あとの奴のことって割とすぐ忘れない?

 

そんなすぐ忘れちまう程度の悲しみを人質にとって他人の生き死になんてたいそうなものに首突っ込むなって話。俺は大事な相手が10人以上いる、なんていう愛に溢れた人間はどうかそのまともさを保ったまま、すぐ死にそうな奴から離れる勇気を。すぐ死にそうな奴はものすごい引力と斥力を同時に発して混乱させるけど、すぐ離れる勇気を。

 

そして遠くから眺めてろ。すぐ死にそうな奴がSOSののろしの代わりにあげる花火は大体めちゃめちゃきれいで、人はそれを芸術と呼ぶ。

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