12/10

今日もインターネットにはいろんな感情があふれている。

みんな忙しいから、知らない人の感情には興味ない。知ってる人、自分に利害関係がある人、自分が寂しい時に寂しいと言ったらかまってくれる人にだけ興味をもって、感情というものを共有しあっている。

でもどうせ感情なんて違うんだから、さみしいという記号の4文字に入れているものは各自違うのに、同じ入れ物を交換し合って共有してるってことにしてるだけだと思う。

 

私はできあいの入れ物は使わない。

私はユーモアがあるので、さみしい時にさみしいといわない。

私はユーモアがあるので、かなしい時にかなしいといわない。

私はユーモアがあるので、たのしい時にたのしいといわない。

 

私はオリジナリティあふれる表現を駆使して自分だけの入れ物を自分だけで作り上げる。だから、私のことを知らない人にも興味持ってもらえて、「あるあるわかる」と言ってもらう

 

みんなが言えないことを、みんながうすうす気づきつつも言葉にできないことを、みんなが怖くて言葉にできないことを、私が浮かび上がらせてみせる。それで、みんなをいやす、はげます、つきさす、脅かす、大体楽にしてあげる。

それが私の仕事だ。

 

「渋澤さんは才能があるから女として見れない」って言われました。

嫉妬しちゃうから、ライバル心出ちゃうからって言われました。

じゃあ私は誰に「さみしい」「つらい」って言えばいいわけ?

 

とある日のツイート。

『今日のライヴはすごく良かった」という意味で、「行かなかった人は後悔すべき」っていう人いるけど、あんまし好きじゃないんだよなー。

私は「この道を選んだことを常に肯定してる方が楽しい人生になる」という哲学を持ってるので、「後悔」なんていう迷惑な代物をファンに押し付けんなって思う。』

 

と書いたら、友人から「私のこと? ごめんね」って返信が来て、本当にどうでもいいなと思った。私は知らない人に届けるためにできるだけデカい声で発してるので、たまに、うっかり近場の人の鼓膜を破ってしまう。お願いだから近くに寄らないでって思う。

 

都合がいいから、近距離の人にも遠距離の人にも愛されたいと思う。

お客さん今日はどちらまで? 山に行ってください。誰もいない、本当に誰もいない山奥で、いつでも人目を気にせず自分のためだけに最大の音量で思いっきり叫べて、かつ、うっすら返ってくるやまびこによって自分だけを癒すことが出来る、あ、でももしかしたらたまたま誰かの耳に入ってついでに癒されることもあるかもしれない、そんなところまでお願いします。

高速使うけど、いいすか?

 

昔昔あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山にしばかりに、あなたは私をさがしにきました。

耳栓をして抱きしめてくれ。耳栓をして抱きしめてくれ。

 

あの美しい男の子が、薬物を使用していたかなんて、下々のものにはわからないし、分からないなら黙った方がいい。あの美しい男の子の人生とあなたの人生は1mmも関係ない。あなたは悲しんでいない、あなたは応援していない、あなたは彼を信じていない。し、彼はあなたを裏切っていない。あの美しい男の子の人生とあなたの人生は1mmも関係ない。そうやって、あの美しい男の子と自分の人生が関係あると思い込んでいる人たちが無責任に責任責任わあわあ言ってたのが昨日だった。わあわあ言う奴が週刊誌の売り上げを伸ばしている。わあわあ言うやつがいなければ、週刊誌は一瞬で滅びる。社会的制裁なんかいらない。刑務所的制裁だけで十分。もし黒だとしても、無音でいなくなって、無音で帰ってきてくれ。

 

久々に会った女友達と久々にのんべんだらりと喋った。

彼女も私も、最近彼氏と手ひどい別れ方をしたばかりだった。

どうやらやたらさみしい彼女は、夕飯を食べ終わったあとも私がビレバンに行ったりコンビニに行ったりするのについてきて、最後コンビニでアイスをかって、彼女の家付近まで一緒に食べながらかえった。

「こうやって深夜までだらだらぐたぐだしてると、男が持ち帰ってくれるんですよね」と彼女は言ってた。

ここを曲がれば彼女の自宅、私の家はまっすぐ先だ、という分かれ道に来て、いまだ彼女は名残惜しそうだった。でも私は、

「私たちはセックスできないからここで帰ろう」と言って、別れた。

超クールな感じだった。

 

男の子でしか埋められない穴があり、かつ、男の子でも埋められないのだ。

その穴は埋めるためでなく、掘るためにある。

手軽に手に取れる穴埋めをやめて、心の黒い穴を、孤独に耐えて深く深く掘り続けていれば、同じ誰かへとつながる、絶対に。

 

「心」というのは人間の脳の働きの中では低次なものだ。

心など無くても、人は起き、眠り、食事や排泄、いやそれどころか仕事だってできる。

こんな経験はないだろうか。今日だけは違う場所に出かけないといけないのに、玄関を出た途端、毎日使う通勤路をうっかり、「無意識に」歩いていた、ということが。

人間は意識なんかなくても生きていけるのだ。

 

「心をこめて」作ったものに大して意味は無い。「心をこめて」作ったものに大して意味は無い。

心なんかあるから、謝罪した「フリ」なんか求めるんでしょ。刑期のほうがよっぽど真摯だ。

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