サブカルチャーを殺す

こんにちは。「インターネットおばさん」こと、渋澤怜です。

 

サブカルチャーを殺しに来ました。

サブカルチャーを殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

サブカルチャーを殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

サブカルチャーを殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

 

 

これがサブカルの本義、殺し屋の2歩後ろには常に殺し屋がついている。

そうです人は誰かを殺さないと生きていけません。私はしらす丼が大好物ですが食べるたびにしらすを大量殺戮に加担してしまい本当に申し訳ないと思っている。でも次の瞬間「私はしらすよりも高尚な生命体だから、別にいいのだ」と思うことによってしらすを精神的な意味でもう一度殺す。

 

しらすじゃ殺し足りないから、もっと大きな獲物を探す。獲物は大きくて、かつ自分に近い方が良い。その方が隣にいる自分の輪郭がよりハッキリするから。

写真にうつるなら、自分の真隣はブスがいい。でもそいつと同じフレームに入ってる時点で自分もブスだ。なら写真に写ること自体やめようよ、自分はここにいるのに自分の一体何を確認する必要があるんだ? 全ての写真は心霊写真だ。つねに2歩後ろに自分を殺す自分が写ってるよ。(ま、多くの人がそれに気づかないからいつまでたってもパシャパシャ撮り続けてるんだけどね)

 

自分の写真を見せまくるのはナルシスト扱いされてアウトなのに、子どもの写真を見せまくるのはセーフなのは一体なんでですか? 自分の遺伝子が半分入ったコピーじゃないですか。自分のコピーの写真見せまくる人とかキモくないですか。まだ自分の恋人の写真見せる人の方がマシなはずなのに、世間では子供より恋人の写真見せる方がダメってことになってる。

あ! そういや女の子がやたら音楽詳しいと「元カレの影響?」って言われるっていう地獄があったな。

 

だからさ、言ったろ、自分を語る固有名詞は少ない方がいいんだよ。3つくらいそろうともう「ああ、それ系好きな人ね」って言われる(大森靖子、最果タヒ、はいもうリーチでしょ)。

 

いつか、「渋澤怜を好き」ということが「こういう固有名詞レースからおりてます」ってことの象徴になれば最高だ、でも、一瞬なんだろうな。すぐに私も、誰かの名札になってしまうだろう、だって私も固有名詞なんだから。

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