なんで日本語通じないより通じる方がさみしいの。変だね。

さみしい。カミーノ道中はまったく寂しくなかったのに。やたら腹が減る。二週間、25km歩く代わりに普段の倍食べてたから、胃袋が広がったのか、さみしさが食欲に転嫁しているのか。

 

友人とLINE中に、会話の流れ的にスペインの写真を送ったら、「はいきたー! 海外旅行した人の! 自慢げに写真見せびらかすやつ!」って言われた。

ただ単に「きれーでしょーすごいでしょー」じゃなくて(そんなこと私がするわけないじゃないか!!)、この写真は君は気に入るだろう、この写真について君に語りたいことがある、と思うから写真を送ったのに分かってもらえなくて悲しい。

でも、誰かが「海外旅行行ってきたー」と無邪気なドヤ顔で言って許される風潮も、それを聞いた側が「へえすごい! どこ?」って聞かなきゃいけない風潮も、聞かれた側が「すごかったーきれいだったー」しか言わないで写真見せるだけのアホな態度だけとってもゆるされる風潮も、またその程度の感想しかレポれないショボい旅行でも日本ではとにかく「海外旅行」というものがワンランク上のものとして取り沙汰されてるから周りは感心しなきゃいけないみたいな風潮も、全部嫌なのは、分かる、でもだからこそ一緒にされたくなかった。帰国子女もいつもこういう気持ちを味わってるんだろうか。

 

昨日は大森靖子のライヴだった。愛とケアが伝わった。客は彼女に生かされ、彼女は客に生かされている、それがこんなに明確な形で提示されるライヴも少なかろう。神々しいのに身近で、ダサいのにファッションリーダーで、本当に不思議な人。

歌詞の「愛してる」とか「抱きしめて」の意味だけ分からなかった。語呂合わせみたいに感じた。

 

終演後、別ルートで仲良くなった友人2人と、更にその友人の初対面の人の4人で、ファーストキッチンでダベる。思えば、友人2人も各々ライヴがきっかけで交流が始まったから、全員ライヴきっかけの友人だ。状況や場所(会社が一緒とか、家が近い)より、好きなモノでつながる友人は強い。

 

良いものを見た後は心が解き放たれて、初見の人ともリラックスして話せるので良い。日本語が段々回復していく私。

 

なんか私のドキュメンタリ撮ってもらえるかも。超高まる。

 

スペインのスーパーマーケットで買ったお土産、あえてどれが何かを説明せずに好きに選ばせたら、3人ともすっげえええ警戒してて可愛かった。眺めまわしたり、嗅いだり。まあそれがフツーだよね。飛行機のチケットだけとってあとはノープランで単身海外行っちゃう私の方が日本人として例外よね。ちなみにスペインでマズくて食えないものはなかった。

 

私は単に面白い話をしようとしてるだけなんだけど、何しろ帰国が昨日なので、話題は旅行話ばかりになってしまい「●●人は~」「スペインでは~」ってばっか言ってた。みんな優しいから「出たー「欧米では」!」とか言わないけど、内なる自分が言ってた。

 

こんなにインターナショナルになった今でも尚、日本人は島国根性丸出しで、カミカゼを信じてて、日本は安全な聖域で、世界はスリと大麻と汚い水道にまみれてると思ってる。でも、自分たちが狭い島国の井の中の蛙と自覚する謙虚さと卑屈さも兼ね備えてて、だから海外旅行に行くことは世界標準の広い知識と見聞を持ち帰ることと結びついていて、だから、憧れと嫉妬と直結してる。

 

行くときは「気を付けてね」、帰ってくると「よく無事で帰って来たね」と言われる。

 

とにかく私は、邪念も邪推もしたりされたりせずに、旅行の話をしたいだけなのに。

 

私が海外旅行しただけでドヤるわけも、つまらない自慢話をするはずも無いに決まってるじゃないか。

 

なんで日本語通じないより通じる方が寂しいの。変だね。

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