自分の聖書は自分で書け

 

 

誰も住んではいけないといわれている二つの部屋があった。

左の部屋は整然として部屋の四隅が見えるほどにものが無く、塵一つ無いほどに日々の掃除が行き届いており、まるで僧侶の住まいのようであった。

右の部屋はいつも湿っていて、閉じられた窓から差し込む日の光を養分に、カビと胞子と蠅が発生していた。そこに、神様も住み着いた。どこから入ってきたかはわからなかった。気が付いたら右の部屋に、いた。何かを歌っていた。姿はよく見えなかった。部屋を埋め尽くす蠅がある空間を避けているため、人々は、そこに何かがいる、と分かった。

神様の歌声はえもいわれぬものだった。えもいわれぬ、としか、言葉では表現できなかった。人々は神様の歌をもっと聞きたくなった。あんな狭くて汚い部屋では神様に失礼ではないか? 左の部屋に、村一番の彫師が作った祭壇をしつらえ、果物、魚、羊の頭をささげた。右と左の部屋を仕切る壁を取り払い、神様がいつでもこちらに来られるようにした。しかし、そうした途端、声は、ぱったりと、聞こえなくなってしまった。

蠅や胞子やカビがいつ入り込んできたかわからないように、神様も、いつ出て行ったかもわからなかった。もうあの声は聞けないのだろうか? 神様が歌っているのはどんな歌だった? 人々の声の記憶は薄れ、ただ、声を聴いたという記憶だけが残った。

 

自分の聖書は自分で書け。自分のアンセムは自分で歌え。記憶の中の神の声、何世代も前の先祖が聞いた声、生まれる前の右の部屋からあふれていたはずの声を、自分で導き出せ。

 

知ってる? すべての音は、何かの通り過ぎる音なんだよ。

 

物体が物体をこする音、息が声帯をすり抜ける音、指が弦をかすめる音、あなたの肉が私の肉を通り過ぎる、摩擦、振動、バイブレーション。

 

知ってる? 水星には何も食べない生き物が住んでるんだよ。ヒトデみたいに星の表面に貼りついて、星が銀河の軌道を動く振動を食べて、生きている。大気の無い水星に音は無い。ただ、唯一、星が出す振動が、この星で鳴る音楽なんだ。

 

君は、右の部屋に閉じ込められた人質だ。私は、左の部屋に住む管理人だ。私のおかげで、君は、時間が分かる。食事もできる、お金も減らない、生活の便利を管理してもらえる。私がいないと君は死んでいた。君は振動を食うだけじゃ生きていけない生き物だから。私は君を生かしている。でも、君から預かったもので、私の両手はふさがり、私は、私の人生を生きることができない。

 

ライナーノーツなんてクソだろ?! おいしいものをおいしいと思うために裏面ひっくり返して原材料表示を見る必要があるか?! 貴様程度の人間は水でも飲んでろ。原材料名、水。水だけ飲んでも人間は一週間死なない。一週間寝て起きて寝て起きて寝て起きて、サイン波みたいな単調な毎日に飽きてるなら最高の振動(バイブレーション)を与えよう。速度が足りないんだろ?

上って降りて上って降りて上って降りて貯金額、支出と収入、株価の変動を眺めるよりもずっとエキサイティングな、1mm1秒の速度で僕の血流を追って、

 

踊れ!

 

速度はいつもまだまだ足りない、言葉じゃなくて意味でもない。この世は速度と物体(速度と物体に「バイブレーション」ルビ)しかない。

 

 

ねえ、君から預かったもの、君の大事なもの、私の両手をふさいでいるものを、放り投げてしまってもいい?

とても柔らかくて、あたたかくて、たぷたぷと波打つ、大人しいうさぎみたいな重さの、

 

君の脳みその半分、

 

 

 

ねえ、

 

 

 

二度と言葉が話せなくてもいい? 

 

 

 

 

 

いいよね。

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