「かけがえのないマグマ 大森靖子激白」大森靖子・最果タヒ

「かけがえのないマグマ 大森靖子激白」大森靖子・最果タヒ



われらがギターヒーロー高野京介氏のブログとかを読んでも似たようなことを思うんだけど、真摯に生きるということと良い音楽を鳴らすということがつながっているんだなあと思いました。



人間関係のあれやこれや、毎日流れ作業で捌けば省エネできることを茶番で済まさずにいちいちに正直に熱い感情ぶつけて、だから彼女はすごい傍から見たら不器用に見えるしダサいしイタいし可哀そうなんだけど、そんな可哀そうな中学生が高校、大学を出て歌手の道を歩んでいく過程が描かれるうち、だんだんと「なんて美しい努力が出来る人なんだろう」と感嘆せずにはいられない、きらきらした存在へと変貌していく。



「なんで中学で金髪にするんだろう」「なんで鞄に死って書いて鎖でグルグル巻きにするんだろう」「なんで親に暴力受けたのを先生に黙ってるんだろう」「もうちょっとソツ無くやりなよ」って、我々は思ってしまうんだけど、その、中学時代の奇行とまったく同じ熱量をもって、彼女は、出演しない日のほうが少ないんじゃないかというほどのライヴハウス行脚を敢行し、事務所無所属で渋谷クアトロ600人の観客で満たし、メジャーデビューして、結婚した。



報われた、というと安易すぎるし、彼女は今も報われてないと思う(現在進行形で常に悩んだり激昂したりしてると思う)。



それでも、彼女の生のエネルギーが、私たちにとても気持良い形で降り注ぐ形態=歌を、私たちが享受できることは、まぎれもない幸福だ。



靖子ちゃんもほんのちょっとでも幸せになってくれるとうれしいです。

あなたは「妊娠しただけで『幸せになれてよかったね』と言われるのは変だ」

と言うけれど(確かにその通りだ)、でも、あなたの妊娠のニュースを聞いた時、私は

「靖子ちゃんが『子供を産みたい』と思える世界でよかった」と思いました。これは本当にめずらしいことですが。



わたしたちは適当なフォーマットに迎合したり水に流したり器用に省エネしたりしながら毎日をやり過ごしてる。(それはある程度は仕方ないことだ)

でも、その正反対に、一切感情に妥協せずに命をがりがり削りながら生きてる彼女、の歌に触れて、「ああこういう感情を感じて良かったんだなあ」「生きてるってこういう感じだよなあ」「忘れてたなあ」と、つかの間のエモーションを勝ち取る。



私、今までさ、「がんばって生きて」とか「日々を一生懸命生きよう」とか「精一杯生きる」という言葉の意味がよくわからなかったの。(だって別に毎日そんな大変なこと起こらなくない?)

でも彼女にとっては、「自分は他人の3倍くらいの濃さで生きてるから27くらいで死ぬだろう」と27まで口癖のように言っていた彼女にとって、毎日は、精一杯、必死こいて生きるものだったんだな。



「もっと多くの人が、感情を出し合って、ぶつかりあって、面白いものが生まれる世界がいい」というのがあなたの望みで、その先達としてあなたは、「自傷行為でしかない」と言いつつも有名になろうとしてる。



だったら私も、「がんばって生きる」の意味が分かるくらいには、感情を出していこうと思います。





……多分だいぶ不幸せになるけどねー!! 愛。
コメント

他人を基準に生きていると、感情って素直に出せない事の方が多いですよね。
でも、やっぱり周りとうまくやっていきたいし、波風立てたら面倒だし…
だから、まぁまぁなところで生きていく。本当に悩めますね(>_<)
でも、たまには自分の為に思いっきり感じたままを表現しちゃうのも、自分が喜ぶんじゃないかな〜と思い、怒りを爆発させたり、ワンワン泣いてみたりしてますよ(笑)
傷つくこともあるけど、それはそれで生きてる〜って感じたりしてね…(^-^)

  • なな
  • 2016/02/03 00:21

レスポンスありがとうございます。
他人は自分の鏡なので、自分がしたとおりのことを相手もしてくるなあと思います。
他人に気を使うと、他人にも気を使われる。お互いが気を遣い合って誰の言いたいことも何も出てこない誰得なクソ社会が成立してしまう、だから自分から少しでも感情を解放したいなと思います。
もちろん程度問題ではあるのですが!

  • シブサワレイ
  • 2016/02/03 04:50
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