小説「残像」感想 

 ……とかいうことを書いた翌日に、「残像」という短編小説を読んだ。
(うえのバナーの「逆行の夏 ジョン・ヴァーリィ傑作集」に入っています)

 

目が見えない、耳が聴こえない人だけが暮らすコミュニティの話。

しゃべり言葉、書き言葉は使われずにハンドトークを使用するのだが、アルファベットをひとつずつ伝えるサインは赤ちゃんことばであり彼らは身体中で体中を触れ合い我々の言語のように分節されてない多義的でニュアンスが何層もあるサインを無数に同時にいくつも送り合って我々の言葉よりずっと深く、早く、意思疎通する。集団での会議も出来る。からだの上を這いまわる指は表情も動悸も筋肉の緊張も全部読み取るから嘘がつけず、恨みも嫉妬も怯えも丸裸になるから見栄とか偽善も裏切りも無い。コミュニティはひとつの生命体のように一体化している。正直羨ましかった。

読後はメールも送りたくなくなるし、誰かとぶつかってみたくて仕方なくなる。でも結局、私の身体は変わってなくて、あいかわらずの感情音痴だ。


 

彼らは男だろうと女だろうと、また身体の性的な部分とそうでない部分を区別せずに触り合う。性的な時間と、そうでない時間を分けない。ちょっと引用する。

 

 

“ケラーの住民は、客観的に見れば両性愛者だたが、わたしはそんなふうに考えることはできなかった。あれはもっとずっと奥が深かった。彼らは同性愛のタブーなどという不快きわまりない概念は思いつきもしなかっただろう。それは彼らが最初に学んだことのひとつだった。同性愛と異性愛を区別したら、人類の半分との意思疎通を――完全な意思疎通を――放棄することになる。彼らは汎性欲主義者であり、セックスを人生のほかの部分から切り離すことができなかった。ショートハンドには英語のセックスに直訳できる単語は存在すらしないのだ。男性を女性をあらわす単語には無数の変化形があったし、英語では表現できない肉体経験の程度と種類をあらわす単語もあったが、それらの単語はすべて、経験の世界の別の部分をあらわすものでもあった。どの単語も、わたしたちがセックスと呼ぶものを、それ専用の狭い部屋に閉じ込めてはいなかった。”

 

 

ケラーの世界はビッチもヤリチンもいなくて、ただコミュニケーションと、それに含まれる性的なものがある。会話→セックスという順番が踏まれる我々の世界の茶番よ。「まずはお話してみてから」とか「3回めのデートまでセックスはするな」とかいうクリシェが跋扈するこの世界の茶番よ。てかちんたら話すことで何が伝わるんだろうかー。でも会う人全てとはセックスできないし(それは物理的な理由も倫理的な理由も私の心はそこまで広くないという問題も)、であればせめて感覚を研ぎ澄まして相手の表情緊張温度を感じ取とろうと繊細に生きるしかないのだが、そうしようとした矢先に、ああ言葉が、私が大好きすぎる言葉が超たくさん降り注いできて、私の左脳は絡め取られてしまうんだよな。

 

 

……一切喋らないで、うちでレゴブロックでみんなで何かつくり上げる会とかしましょうか。あとはカレー作る会とか。座禅も良いけどあれは一人なので、集団でコミュニケーションに繊細になれる練習してみたい


言葉のこと本当に好きだし信用しているし言葉がないと私は自分のことも他人のこともわからないけど、言葉が無くてうまく行くならそもそも自分と他人の区別もあんまりない世界にいられてそれは間違いなく心地良いのだ。それくらい、目覚める前や生まれる前のおぼろげなところに立ち返れるくらいのセックスじゃないと、ああもうすぐねえ言葉が追いかけてきてビッチとかコミュ障とか承認欲求とか、そういう話になる。


 JUGEMテーマ:SF小説

 

コメント


・ボノボ。

・「彼、クンニをする。……もっとするべきね…」 (クライアントに身辺調査の結果を伝えるリスベット。報告及び個人的見解)

・9n x 2 = R18 10.30.


タイトル
『ボノボの惑星』
『となりのボノボ』

  • 2015/09/01 21:54
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