君がすぐ男と寝てしまうのは性欲が強いからでも性的承認欲求のためでもなく単にコミュ障だからだ

 恥ずかしい現場を写真や動画やツイートに収めてインターネットにアップされてしまうことを「デジタルタトゥー」や「黒歴史アーカイヴ」などと言う。文章を書く私は日々自分で恥を刻みつけてるし、またアンチによってもされている。

ただ、別に人間は時とともに進歩するとは限らないので、逆のこともある。つまり人生の中の素晴らしい瞬間を刻みつけて永遠に検索結果の上位に残すことも出来る。「過去の栄光アーカイヴ」とでも呼ぼうか。わたしは10年前の18歳の時に日本の同年代の中でも有数の頭の良さを持っていたことを受験で証明したので、死ぬまで使える学歴という肩書を持っている。これも過去の栄光アーカイヴ。

まあ当然、人間は時とともに進歩するとも限らないのと同様、退化するとも限らなく。眠いとか腹減ったとか、黒歴史とも栄光ともつかないものを日々インターネットに刻みつけてる。「その時の気持ちアーカイヴ」とでも呼ぼうか。私が小説やブログを書いてるのも大体これだ。

よく、
「その瞬間はカッとなってしまったが、あとから考えると自分にも非があると反省して相手に謝った」
というシチュエーションがあると思うのだが、
じゃあ果たして、はじめの瞬間の「カッ」は、あとから否定されるべきだけのもので、何も意味は無いのか。
私はあると思うし、もし無いなら人間やってる意味ないと思う。
(冷静でロジカルであること最高なら、全員ロボットになっちまえばいいと思うがこの世はそうはなっていないしそれを目指してる気配も全然無いので、おそらく感情というものには意味があるのだと思う)

その時の「カッ」をフリーズドライしていつでもお湯かけて瞬間解凍出来るようにするのが、小説だったりブログだったりする。
(ちなみにだから小説だけ読まれてメンヘラ扱いされるとすげー困るし「アホか」と思う)。

なんでじゃあわざわざ「感情のフリーズドライ」なんてことをするかというと、(少なくとも私にとっては)、そうしないと自分の感情がよく見つめられないからだと思う。自分の感情がよく見つめられないと自分がロボットじゃないとわからなくなるし、自分が自分であることもわからなくなるのではないだろうか。となると私は超ウルトラ感情音痴だ。多くの普通の人はフリーズドライなんかせずその場で生でイキの良い物を食べてる。「カッ」っとなった瞬間に目の前の相手にぶつけることで自分の感情を自他に表明できてるのだ。私はそれがほぼ不可能で、「はて…? これは私は怒っていいやつかな……?」と首を傾げながら家に帰って紙に書き出して初めて「あっ怒ってきた」と思うことが多々です。もう目の前に相手がいないのでイライラすることこの上なし。

さて、そんな「その時の気持ちアーカイヴ」を(日記帳に書いてしまっておくならまだしも)インターネットに公開していることは、結構なデメリットを生む。

一年前の私と今の私は全然違う(しつこいが進歩してる場合も退化してる場合もある)のに、一年前の文章を読んだ人が「あっ、渋澤さんてこんな人なんだな」と思って現在の私に接してきたりする。ただし私はまったく言い訳する気はなく、それくらいの副作用は完全に了解した上で、インターネットに文章をあげている。そもそも文章を書く行為は一瞬一瞬過去になっていく自分を刻みつける行為だから、そのズレは本質的なものなので、そんな副作用にピーピー文句言う気は全く無い。


さて、フリーター生活を初めて一年半となる私だが、そのきっかけを作った(?)チャットレディ体験、あれももうだいぶ過去だ。

おそらく私の文章で一番読まれている「チャット嬢をやってみた」、その最後の方で、
「お金を払ってもらうことで、自分の身体に性的価値があることを実感できて良かった」
ということを言ってたと思う。
あれに対して「さみしいやつだな」とか「リアルの友達とかとちゃんとつながりなよ」というコメントが結構きていて、当時の私は
「いや友達とかじゃない見知らぬ他人が私のことをクールにドライに評価してペイしてくれることに意味があるんだよ、リアルの人付き合いとは別腹なんだよ」
と思ってたけど、今はあんましそう思わなくて、「マジこいつ淋しいやつだな」と思う。

私は別に女を売る人間が全員淋しい人間だとは思わないし、
彼氏や彼氏になりそうな人間以外と寝る女性達のことを全然悪いとは思わないし、
むしろ明るい性欲に突き動かされて狩りをするスポーティなヤリマンには好感を持っているくらいなのだが、

さて、じゃあ、私の事に限っていうと、
イレギュラー異性交遊(金銭の授受ありなしにかかわらず彼氏以外の男とセックスやそれ以前のいちゃいちゃをすること。今名づけた)をする理由は、
性欲でも性的承認欲求でもなく、
ただ単に「他人との距離がうまくとれないから」だと気付いた。

そう、コミュ障だからだった。

いくつですかどこ住んでるんですか趣味は地元は好きな休日の過ごし方は、今度一緒に酒飲みに行きましょうよ、とかやって徐々に腹を見せていくまどろっこしさと間合いの調整の難しさに耐え切れず、エロというフィールドに持ち込んで一気にゼロ距離に詰め寄りたいだけだった。
性欲でも承認欲求でもなく、ただ不器用なだけだった。
男より女のほうが仲良くなりにくいのもきっとこれが原因だ。同性だとこの作戦をとれないからだ…。

そう、チャトレやったのも、普通のコミュニケーション空間に疎外感と寂しさを感じていたから、あの、人間の距離の取り方がおかしい空間に、一種のやすらぎと親しみを感じていたからだろう。そう皆の言う通りに見事にみじめだったんだよきっと。

だから本当、コミュ障を直さないといけない。不純異性交遊を猛省しても何の解決にもならない。孤独が深まるのみ。

 

最近、世界が遠い。
何見てても自分のからだの内側のことを見ていて網膜に映るものへの興味が薄い。
脳の中の半分が、寒いとか暑いとかかゆいとか腹減ったとか、なんでみんな私のことかまってくれないの私の良い所見つけてよ認めてよ、という内省に割かれていて、全然世界のこと考えられない。

だから今本読んでも映画見ても誰と話しても、半分の脳でしか感動出来なくて超感度悪いし、ああこれが脳の全部を覆うといわゆる「鬱」という状態になって、まじ何してても全然気分転換にならなく暗い気持ちが続くんだろうなあ、と思う。

特に他人の感情への興味のもてなさ(というか一生懸命興味もとうとするんだけどなんか遠い、把握できない…)が、重篤だ。ここを解決しない限り永遠に孤独だ(なぜなら他人に興味をもたない人間は、他人からも興味を持たれないから、当然。) 

でも今日はブログを書けるだけマシだ、昨日は10時間寝てしまい全然世界に辿りつけなかった。



冒頭の話とどうつながるかというと、つまり、
自分の感情の分かり具合と他人の感情の分かり具合は連動しているということだ。
自分の感情音痴だと、他人の感情も音痴。
なぜなら人は自分のアナロジーでしか他人を見れないから。

つまり、自分の感情が分かれば、他人の感情も分かる。だから、まずは自分の感情をよく分かりたいなあと思いました。まずは思ったことを思った時に、ちゃんと相手に言う。家に持ち帰ってあとからひとりでもごもご味わわない。


わたし、ロボットになりたかったし、「自分が感じてる感情を自分が否定さえしてしまえばこの世に無いことになるから、醜い感情は全部否定してしまえ」と思って頑張ってたけど、無理でした。無理でした、という案件がこの2ヶ月で2件あり観念しました。聖人にもロボットにもなれないからせめて人間らしく生きるか。

 
後半マジ精神科の人間が治療の一環として書く文章みたいになってすいません。(つまらない、という意味です)

 
この案件(自分の感情をよく分かりたい問題)の大ヒントになりそうな本があります。
こんな、誰に相談したら良いかわからぬファジーな悩みにぴったり合う本を高石先生が書いてくれて本当にありがたい。超ゆっくり再読中です。

 

★8/27(木)に配信した「エロ大喜利ツイキャス」の録画がこちらから観られますので、リアルタイムを逃した方はぜひ御覧ください。(諸事情により後半部分のみ)
 

★あとは暇すぎる渋澤怜を働かせたい人募集中です。よろしくー



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