マッド・マックスを2回観て気付いたこと(女が全員善人だし、マックス以外の男は全員クソ)

  

・マッドマックス2回目。立川シネマシティの極上爆音上映で観てきました。振動と余韻が味わえてかなり良い。音は大きいわけではないが音質が良い感じ。1回めの感想はこちら

 

2回め観て気付いたのは、「女に悪人がいないな」ということ。

逆に「男でまともなのはマックスくらいな気がする(あとは後半のニュークスか)」。

それ以外の男は全員悪人。

 

今現在は「まじでジェンダー的にも『正しい』作品」、というか、「歪みが少ない作品」だと言われているけど、

後世の人が観たら「無駄に女びいきじゃね? 女の悪人がいねーじゃねえか」と思うかもしれない。

 

でも、そういうことも含めてマジで今リアルタイムで映画館で観に行って欲しい映画です。

何度も言うが、これから作られる映画は、

全てこのマッドマックスのクオリティを目指して躍起になって進歩してくだろう、映画。

 

【女について】

・フュリオサの故郷の民は老婆(=女)しかいないこと

・最後に砦に残るメンバーは全員女(フュリオサ、子産み女、老婆)であること(マックスが去ったため)

 

これはあえて言うなら不自然である。が、勿論意図がある不自然である。

 

それから、

・フュリオサの故郷の老婆(=女)が「植物の種」を持っていること、

・妊娠中の子産み女が「(生まれてくる子は)悪魔の子よ、きっと醜いわ」と言った時に老婆が「きっと女の子だよ」と返したところ

 

については、無邪気な女びいきが存在するなと思いました。

女の子供でも醜いかもしれないじゃーん。

 

 

それから、局所で話題の二村ヒトシ監督のマッドマックス評

ものの例えとして

「(キャリアウーマンである)フュリオサはかつて(経営者の)ジョーに恋してた」

というくだりがあるのだが、

フュリオサがジョーを殺す直前のセリフ「私を覚えてる?」は、

そういう解釈にかなり説得力をもたせるセリフであった。

さらわれた恨みだけでなく、アンビバレンスな心境があったからこそのあのセリフなのだろうな、

と、2回めにして思った。

アンビバレンスとは、『「恨み」vs「尊敬、信頼、憐憫、同情、腐れ縁」』という感じである。

 

 

【男について】

マックス以外の男は、

 

・キャリアウーマン役員と愛人ズを同時に失って発狂し部下の男たちを引き連れて車ブッ放すクソ経営者ジョー

・経営者に洗脳されて殺人兵器と化し自らの命も大事にしないブラック企業社員ウォー・ボーイズ

・ジョーの友達のクソ経営者仲間(人喰い男爵、武器将軍) (ただ人を殺したいだけで参戦)


という完膚なきまでのクソメンズっぷりなのですが、

こいつらのおかげでマックスのイイ男ぶりが引き立ってて最高です。

 

タイトルは「マッド・マックス」ですが、「唯一まともな男・マックス」に改題したいくらい。

マックスの最高の男ぶりは二村監督の評のとおりだ。

実力があるし優しいのに、男臭いエゴやプライドや支配欲が無い。

ちょっと「こんな人間奴いるの?!」っつう、不自然キワキワな造形をしている人物なんだけど、

「過去に家族を失い、復讐は済んでおり、今は特に希望も持たずただ、生きているだけ」という設定により

ギリギリ大丈夫になってる人物。

 

二村さんは「女性たちよ頑張ってマックスを見つけよう」と結ぶんだけど、

わたしの意見はちと違って、

「こういう人と付き合ったら付き合ったで大変そうだなー。虚無過ぎて。

欲望の形が見えない人と付き合っても楽しくないよなあ」というものです。

でも大丈夫です、マックスみたいな最高の男はこの世にいないのでこれは杞憂(だしたとえいえもわたしごときの女が出会えるわけないのでやっぱりこれは杞憂です。fin.)

コメント

うーむ。。マックス以外、全員悪人、か・・・。
僕はまだ1回しか観てないけど、この映画に「善悪」を持ち込むのは無理なんじゃないかな、と僕は思ったよ。
ジョージ・ミラーが描き出したのは、「善も悪も関係なく、ただ、弱い者が0.2秒で死ぬ世界」だよね。

かつての「未来」のイメージは、自動車が空を飛んで、ロケットは宇宙へ飛び出し、ロボットが人間の代わりに働いて、欲しいものは瞬時に手に入り、ゴミひとつないクリーンな世界だった。
しかし、冷戦と核開発を経て、僕らの「未来」に対するイメージは変わった。
「どうやら、科学技術の発達は、僕らを幸せにはしないぞ」ということが分かってきた。
核戦争、コンピュータによる監視社会、超管理社会、人工知能との全面戦争・・・。
「未来」を舞台にした映画はいつの間にか、ディストピアばかりを描くようになった。
「ブレードランナー」、「未来世紀ブラジル」、「AKIRA」・・・そして、「マッド・マックス」だ。

かつて栄華を極めた文明は終わりを告げて、少量のガソリンを奪い合って殺し合う、暴力が支配する世界が描かれた訳だ。
しかし、今作を観て思ったのは、「これは、暗い未来の話なんかじゃないぞ」ってこと。
ジョージ・ミラーの目に映る世界は、とっくのとうに「そういう世界」だったんだ。
正義も悪も無い。ただ「弱い者が0.2秒で死ぬ世界」だ。

みんな口では希望だの、自由だの、平等だの、福祉だの、そういうしゃらくせぇことを言って責任逃れをしているが、実際のところ、そんなものが存在した試など無い。
強いものが弱い者を所有し、弱い者は更に弱い者を叩く。
ジョージ・ミラーは「お前ら、そういう世界に生きてるだろ?あぁん?」って言ってるワケ。

女ってのは徹頭徹尾、男のために子を産む道具でしかなく、自分で考えるアタマを持たないウォー・ボーイズもまた、支配者の道具でしかない。
車が神になり、ハンドルがその象徴になっていることも、ちっとも不自然じゃない。
現にお前ら、何の役にも立たない十字架よりも、速くてパワーのあるクルマが崇拝される世界を生きてるじゃないか、と。

そういう世界においては、マックスは確かに「マッド」だよね。善悪はまったく関係なく、生存戦略的にアタマおかしい。
「不思議の国のアリス」では、ひとりだけマトモなアリスが、アタマのおかしい子扱いされてるけど、それと同じ。
マックスは、やはり、マッドなんだよ。

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