短歌の歌会に参加してきたよ(めっちゃ面白かったからみんなでやろう)

2017.1.25(水)に、下北沢のバーpebbleにて、

ミュージシャンたちと混じって短歌の歌会をしてきたよ!!

結論から言うと、歌会ってめちゃめちゃ面白い。超楽しかった。

 

 

■歌会って何よ?

 

短歌(五七五七七で、季語の無いやつね)を一人一首持ち寄って、講評し合う会です。

 

やり方はいろいろあるみたいだけど、今回は、作者を伏せた状態で歌を一覧表にまとめ、参加者が好きな歌3首に投票して、その後、選んだ理由や選ばなかった理由、好きな理由や嫌いな理由をあれこれ話し合ったり、解釈を提示しあったりしました。

 

 

■歌会がなんで面白いか

 

ま〜あ創作物についてあれこれ感想を言うのが大好きな私(だから映画は極力誰かと観に行く)としては当然こんなの最高の遊びに決まってるんすよ。

しかも自分の作品が俎上に乗るとしたら尚更ね。

 

しかし、私は今まで、自分の作品が俎上に乗る講評会で満足することってほとんどなかった。

 

小説の講評会ってそもそも素材が長くて疲弊するし、作者のソウルの塊のような長い文章を俎上に載せることになるから、相当仲良くないとずけずけ意見言えない、などの問題があって、しかも小説家ってこじらせナイーヴが多いので、大体ロクな場にならないんですよ

 

だから、この「作者不明のまま、超短文を講評しあう」という制度は、私にとっては画期的で、本当によくできてて素晴らしいと思いました。

(超短文だから作者のソウルがそこまで出てこないし、匿名だから、比較的遠慮せずにずけずけ言いあえるんですよね)

これが素晴らしいなと思った点ひとつめ。

 

二つ目に良いなと思った点は、

作者不明ゆえに、作者の手を離れて参加者がどんどん新解釈を生んでいくということでした。

一応最後に「解題」と言って、作者をバラして制作意図を聞くのですが、それ以前にめいっぱい「多分この歌はこういう意味だ!」ということを語り合うんですね。

これによって、自分の歌に自分の思いの寄らない解釈が発生してくのが醍醐味。

 

例えば私のこの短歌

 

「自分とは セックス出来ない キスも無理 ハグも無理 でも 好きにはなれる」

 

は、なんとまあ二通りの解釈が生まれたんですね。

 

1 自分で自分を好きになれる

2 作中主体が他者に対して)私はあんたとセックスもキスもハグもしたくないけど、でもあんたは私を好きになることはできるよ

 

と。

わたしは「1」しか想定しなかったので「え?! 2?! 何それ?!」って感じだったのですが、まあこういうことが大変勉強になる。普通に誤読を避けるための文章講座としても超役立つし、わざとあいまいにした場合は、みんながどれだけ翻弄されてくれたかを、にやにやしながら眺めることが可能です。(誰が作者か不明のまま進むからね)

 

そして、自分の歌以外の全ての歌も、他者の解釈を知ることによって、初めに一人で読んだ時より断然面白く感じられる

つまり、作者の手を離れてどんどん歌が育っていくの。すごいよね。

結局、最終的にはひとつもつまらないなと思う歌はなくなりました(初読時は半分くらいつまんなかったんだけど笑)

 

いやあ、講評会というのもの全般は大体、つまんない作品の番の時はクソつまんないものだけど、今回は「お?! 君の解釈のおかげで(つまんないと思ってた)この歌がめちゃめちゃ面白く感じてきたぞ?!」っていうミラクルが起こりまくりで全然退屈しなかったわ。すごいわ。

 

 

■歌会やろうぜ

 

短歌会って、「作った時間:講評時間」のコスパを考えると、最強なんじゃないかと思います。極端な場合、5分で作った歌に20分講評してもらえる。

手軽に参加できる上に、歌会自体もすごくクリエティヴな場だから、

「とりあえず素材持ち寄ってみんな料理しようぜ」って感じ。すごく気軽に参加できる。

 

この敷居の低さと、準備の楽さ(みんなの短歌を集めてプリント1枚にまとめるだけ!)。

これは、創作系の遊びの中でも最も優れてるものなんじゃないだろうか?!(大喜利もなんだかんだお題用意したり面倒臭いんですよ)

 

今年は歌会をがんがんやっていきたい!!

 

 

というわけで、

・「渋澤怜が歌会ひらいたら参加したい人」

・「渋澤怜が参加してもいいよっていう歌会を知ってる人」

がいたらぜひご連絡ください!

 

 

最後に、この日つくられた短歌(で掲載許可がとれたもの)をあげておくね

 

 

「秘めながら酔いて裸の君追うと吐きだせぬまま 空の銭入れ」カミイショータ

「息をするように生きてる君がいる 今日のカレーはカレーの味ね」飯田裕

「吾が友よ儚き命果てるまで地獄の底でダンスするざんす」原田卓馬

宙に浮いた扁平足

弟のレコ発に行ってきた。

めちゃめちゃ良かった。

 

弟のギターは寂しい人が出す音をしている。

ツイッターで「寂しい」というとただのダサい人だが、ギターで言えばこんなに美しく胸を抉ることができるのだな。もうお前ツイッターやめろよ

 

寂しい音は寂しい人に届くのだ、癒えるなんて安易な表現からは程遠いが、それでも出すものと聞くものの一瞬の呼応はなんらかの救いの一抹になる

 

 

試聴してみれば?

 

 

バンド名とボーカルの顔以外は良いよ。

 

一筋縄じゃいかないロックをやっているのだ弟は。クラシックの贅沢さもJポップのキャッチーさもあって、もりだくさんだわ。

 

身内びいき? いやいや身内じゃなきゃもっと他意なく応援できるのになーと残念に思うぜ。

はだかを見ているのに男か女かがどうでもよくなる 〜ライアン・マッギンレー BODY LOUD ! 展

ライアン・マッギンレー BODY LOUD !

2016年4月16日[土]─ 7月10日[日]

東京オペラシティ アートギャラリー[3Fギャラリー1, 2]

11:00 ─ 19:00 (金・土は11:00 ─ 20:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)月曜休

一般 1,200円(1,000円)、大学・高校生 800円(600円)、中学生以下無料

 

 

 

沢山のはだかを見た。

 

RYAN MCGINLEY Kaaterskill Falls

 

もともと、北米の大自然の中にはだかの人間がほっぽり出される作品を見たくてここに来た。はだかでこんなクソ寒いところにほっぽり出されたらマジ生きていけないだろう、マジ人間無力、野生の人間なんてこの世に存在しないな、って思うんだけど、でもなんかまあすごい不自然なんだけど、気持ちよさそうで、あートレッキングシューズとかゴアテックスとか来て山に挑むのと、はだかで飛び出て速攻死ぬのと、どっちが不自然なんだろう? と思った。

 

 

 

それと、一番大きい部屋の一番大きい壁一面に貼られた何百枚もの若者のはだかのポートレート。これを見てたら私はなぜか泣けてきた。みんな自由で、デカくない乳も太りすぎの肉も、ピアスとか入れ墨も、変な髪の色もボーボーの腋毛も変な形に剃った陰毛も、全部気にしてなくて、男かも女かもよく分からなくなってた。別にはだかはエロくなくてもいいしスタイリッシュじゃなくてもいい。男らしくなくても女らしくなくてもいい。今はだかの写真は巷に溢れてるけどみんなエロくてスタイリッシュなものばかりだ。フォトショバキバキじゃないはだかがあっていい。そしてここがポイントなんだが、みんなめちゃめちゃ楽しそうだった。こんなに楽しそうなら恋人の前で服を脱ぐことさえ無意味だ。

本当のことを追ってたら本当のことがどっかいっちゃった系ドキュメンタリー 〜森達也監督「FAKE」を褒めたたえるブログ


FAKE観てきた。
 
「ラスト12分ネタバレ禁止」という煽り方をされてたし、「FAKE」っていうタイトルと監督の毛色から、「一杯食わされる系のオチがつくのかな?」と思ってたんだけど、
 
私にとっては「普通に」最高の終わり方だと思ったし、まったく食わされたとは思わなかったな〜……!
 
佐村河内騒動がモチーフだから、
「耳は聞こえるのか否か」「曲を作ったのは新垣氏なのか」という謎が当然つきまとうんだけど、
ミステリとか謎暴き要素が無くとも、出てくる人間の表情とか拮抗する感情とかを瞬間瞬間追うだけで面白く、そして、どんどん、耳が聞こえるとか作曲者誰とかどうでもよくなってった。
 
佐村河内氏と監督、創作者同志の矜持による信頼の糸が結ばれるのか、切れてしまうのか、
その拮抗する感じがとても美しかったから、私はあのラストは最高だと思ったよ。
 
「佐村河内さん、音楽やりましょうよ。頭の中で溢れてるはずでしょう、音楽が」
「俺はたばこやめます、この映画撮り終えるまで」
森監督のこのセリフ、格好良かったな。
ガチで創作やってる者しか吐けないセリフ。
同じく創作者(のはずの)佐村河内氏がそのセリフをどう受け止めたかはぜひ本編で確かめてほしい。
 
 
「本当のことを追う」のがドキュメンタリーなのかもしれないけど、
もはや「本当のことがどうでも良くなる」という意味で、
逆説的に超良いドキュメンタリーだった。意味より強度、存在意義より実存。
 
表面的に見れば「メディアの報道の虚偽を暴く」ドキュメンタリーかもしれないけど、
たしかにテレビも雑誌もクソメディアだけど、
映画だって当然メディアなわけで。
「メディアを疑え」なんてメッセージを映画で打つとしたら、そんな直球じゃダサいでしょ。そういう意味で映画チックじゃない映画だし、ドキュメンタリーじゃないドキュメンタリーだった。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・

あとね、もう奇跡といえるほどに役者が揃ってる。
佐村河内氏も、ファッション誌やらバラエティ番組やら出まくっておどけまくる新垣氏も、佐村河内氏を会見で攻めまくった神山氏も、全員キャラ濃すぎだろ。

それから、
おずおずとして全然役に立たないフジテレビの重役スーツ男三人と、
「作曲の証拠ミセテヨ〜そしたら一目瞭然ダヨ〜」とぬかしよる外国人の記者の対比な!

そして言わずもがな、猫。
 

立川シネマシティのマッドマックス極上爆音上映を褒め称えるブログ

立川シネマシティの極上爆音上映でマッドマックスを観た。もう3回目だ。
 
ストーリーのすばらしさについては前書いたブログのとおりだが、
今回は純粋に
 
希望
 
をもらった。
 
 
「希望も法も慈悲も無い」がキャッチコピーのこの映画に。
 
 
巨万の富と人的リソースと気が遠くなるような時間をかけられた一大プロジェクトだ、映画は。
それがプロパガンダでもなんでもなく、ただ最高にわくわくはらはらするものを作り上げるためだけに存在している、その事実が救いだった。
 
ウィットネスミー!! と叫べば速攻でヒャッハーな気分になれる、なんかその最高に無意味なただの高揚のためにおびただしい時間暇手間愛が注がれていること、注ぐことが出来ること、それがこの星の豊かさだ。
 
同行者は「体感は映画では味わえない。マッドマックスレベルの映画といえども、ジェットコースターに乗ったグルグル感、ライブで生音を浴びる臨場感にもとる。映画は2時間で2000円観られてお得だと思うけど、遊園地やライヴに1万円払っても別にいいしなあ。映画=所詮生じゃない表現って所詮その程度かと思う」と言っていたのだが、私は物語があるものが好きなので、彼とは意を異にするなあ。(ちなみに彼は「感覚コレクター」の「ミュージシャン」、私は「感情コレクター」の「物書き」である)。私を救うのは物語なんだな。
 
芸術の意味とは何か?
いつか宇宙人がやって来た時に「この星面白えーじゃん。侵略やめとこ」と思わせることだ。
だから現世から外れても、採算とれなくても、いいのだ。宇宙人がきっと認めてくれるから。
 
立川シネマシティさん、マッドマックス極上爆音上映のために6000万円のスピーカー買ってくれてありがとう。
 

小説「残像」感想 

 ……とかいうことを書いた翌日に、「残像」という短編小説を読んだ。
(うえのバナーの「逆行の夏 ジョン・ヴァーリィ傑作集」に入っています)

 

目が見えない、耳が聴こえない人だけが暮らすコミュニティの話。

しゃべり言葉、書き言葉は使われずにハンドトークを使用するのだが、アルファベットをひとつずつ伝えるサインは赤ちゃんことばであり彼らは身体中で体中を触れ合い我々の言語のように分節されてない多義的でニュアンスが何層もあるサインを無数に同時にいくつも送り合って我々の言葉よりずっと深く、早く、意思疎通する。集団での会議も出来る。からだの上を這いまわる指は表情も動悸も筋肉の緊張も全部読み取るから嘘がつけず、恨みも嫉妬も怯えも丸裸になるから見栄とか偽善も裏切りも無い。コミュニティはひとつの生命体のように一体化している。正直羨ましかった。

読後はメールも送りたくなくなるし、誰かとぶつかってみたくて仕方なくなる。でも結局、私の身体は変わってなくて、あいかわらずの感情音痴だ。


 

彼らは男だろうと女だろうと、また身体の性的な部分とそうでない部分を区別せずに触り合う。性的な時間と、そうでない時間を分けない。ちょっと引用する。

 

 

“ケラーの住民は、客観的に見れば両性愛者だたが、わたしはそんなふうに考えることはできなかった。あれはもっとずっと奥が深かった。彼らは同性愛のタブーなどという不快きわまりない概念は思いつきもしなかっただろう。それは彼らが最初に学んだことのひとつだった。同性愛と異性愛を区別したら、人類の半分との意思疎通を――完全な意思疎通を――放棄することになる。彼らは汎性欲主義者であり、セックスを人生のほかの部分から切り離すことができなかった。ショートハンドには英語のセックスに直訳できる単語は存在すらしないのだ。男性を女性をあらわす単語には無数の変化形があったし、英語では表現できない肉体経験の程度と種類をあらわす単語もあったが、それらの単語はすべて、経験の世界の別の部分をあらわすものでもあった。どの単語も、わたしたちがセックスと呼ぶものを、それ専用の狭い部屋に閉じ込めてはいなかった。”

 

 

ケラーの世界はビッチもヤリチンもいなくて、ただコミュニケーションと、それに含まれる性的なものがある。会話→セックスという順番が踏まれる我々の世界の茶番よ。「まずはお話してみてから」とか「3回めのデートまでセックスはするな」とかいうクリシェが跋扈するこの世界の茶番よ。てかちんたら話すことで何が伝わるんだろうかー。でも会う人全てとはセックスできないし(それは物理的な理由も倫理的な理由も私の心はそこまで広くないという問題も)、であればせめて感覚を研ぎ澄まして相手の表情緊張温度を感じ取とろうと繊細に生きるしかないのだが、そうしようとした矢先に、ああ言葉が、私が大好きすぎる言葉が超たくさん降り注いできて、私の左脳は絡め取られてしまうんだよな。

 

 

……一切喋らないで、うちでレゴブロックでみんなで何かつくり上げる会とかしましょうか。あとはカレー作る会とか。座禅も良いけどあれは一人なので、集団でコミュニケーションに繊細になれる練習してみたい


言葉のこと本当に好きだし信用しているし言葉がないと私は自分のことも他人のこともわからないけど、言葉が無くてうまく行くならそもそも自分と他人の区別もあんまりない世界にいられてそれは間違いなく心地良いのだ。それくらい、目覚める前や生まれる前のおぼろげなところに立ち返れるくらいのセックスじゃないと、ああもうすぐねえ言葉が追いかけてきてビッチとかコミュ障とか承認欲求とか、そういう話になる。


 JUGEMテーマ:SF小説

 

マッド・マックスを2回観て気付いたこと(女が全員善人だし、マックス以外の男は全員クソ)

  

・マッドマックス2回目。立川シネマシティの極上爆音上映で観てきました。振動と余韻が味わえてかなり良い。音は大きいわけではないが音質が良い感じ。1回めの感想はこちら

 

2回め観て気付いたのは、「女に悪人がいないな」ということ。

逆に「男でまともなのはマックスくらいな気がする(あとは後半のニュークスか)」。

それ以外の男は全員悪人。

 

今現在は「まじでジェンダー的にも『正しい』作品」、というか、「歪みが少ない作品」だと言われているけど、

後世の人が観たら「無駄に女びいきじゃね? 女の悪人がいねーじゃねえか」と思うかもしれない。

 

でも、そういうことも含めてマジで今リアルタイムで映画館で観に行って欲しい映画です。

何度も言うが、これから作られる映画は、

全てこのマッドマックスのクオリティを目指して躍起になって進歩してくだろう、映画。

 

【女について】

・フュリオサの故郷の民は老婆(=女)しかいないこと

・最後に砦に残るメンバーは全員女(フュリオサ、子産み女、老婆)であること(マックスが去ったため)

 

これはあえて言うなら不自然である。が、勿論意図がある不自然である。

 

それから、

・フュリオサの故郷の老婆(=女)が「植物の種」を持っていること、

・妊娠中の子産み女が「(生まれてくる子は)悪魔の子よ、きっと醜いわ」と言った時に老婆が「きっと女の子だよ」と返したところ

 

については、無邪気な女びいきが存在するなと思いました。

女の子供でも醜いかもしれないじゃーん。

 

 

それから、局所で話題の二村ヒトシ監督のマッドマックス評

ものの例えとして

「(キャリアウーマンである)フュリオサはかつて(経営者の)ジョーに恋してた」

というくだりがあるのだが、

フュリオサがジョーを殺す直前のセリフ「私を覚えてる?」は、

そういう解釈にかなり説得力をもたせるセリフであった。

さらわれた恨みだけでなく、アンビバレンスな心境があったからこそのあのセリフなのだろうな、

と、2回めにして思った。

アンビバレンスとは、『「恨み」vs「尊敬、信頼、憐憫、同情、腐れ縁」』という感じである。

 

 

【男について】

マックス以外の男は、

 

・キャリアウーマン役員と愛人ズを同時に失って発狂し部下の男たちを引き連れて車ブッ放すクソ経営者ジョー

・経営者に洗脳されて殺人兵器と化し自らの命も大事にしないブラック企業社員ウォー・ボーイズ

・ジョーの友達のクソ経営者仲間(人喰い男爵、武器将軍) (ただ人を殺したいだけで参戦)


という完膚なきまでのクソメンズっぷりなのですが、

こいつらのおかげでマックスのイイ男ぶりが引き立ってて最高です。

 

タイトルは「マッド・マックス」ですが、「唯一まともな男・マックス」に改題したいくらい。

マックスの最高の男ぶりは二村監督の評のとおりだ。

実力があるし優しいのに、男臭いエゴやプライドや支配欲が無い。

ちょっと「こんな人間奴いるの?!」っつう、不自然キワキワな造形をしている人物なんだけど、

「過去に家族を失い、復讐は済んでおり、今は特に希望も持たずただ、生きているだけ」という設定により

ギリギリ大丈夫になってる人物。

 

二村さんは「女性たちよ頑張ってマックスを見つけよう」と結ぶんだけど、

わたしの意見はちと違って、

「こういう人と付き合ったら付き合ったで大変そうだなー。虚無過ぎて。

欲望の形が見えない人と付き合っても楽しくないよなあ」というものです。

でも大丈夫です、マックスみたいな最高の男はこの世にいないのでこれは杞憂(だしたとえいえもわたしごときの女が出会えるわけないのでやっぱりこれは杞憂です。fin.)

「僕が太って禿げたら殺してくれ」という青年の叫びに見る少女性

~ここまでのあらすじ~

若い女っていうだけで安易にちやほやされて調子に乗り、

強くなることや頭を鍛えることをサボってしまうことに危機感を覚えた渋澤は、

「脳からちんこ生えるまでセックス禁止」活動(略して脳ちん)と題して、

水商売を辞め、セックスとツイッターと慣れ合いのおしゃべりを禁じ、

家に引きこもり読書にふけり、新聞配達で日銭と体力を蓄える生活を始めた……



引き続き面白かった本や映画等を紹介します。脳ちん活動定期報告。


【愛と幻想のファシズム】(村上龍の小説)

 

近所のファシストが貸してくれた。

超ウルトラめったくそ面白かった。

 

ひとりのカリスマが、軍を持ち日本人の誇りと強さを唄う(という意味で右翼的な)政治結社「狩猟社」を作り、日本と世界のトップにのぼりつめようとする話。

 

政治小説とも歴史検証小説とも経済小説とも読める壮大な話だけど、

わたしはただ単に純文学として読みたいなー めちゃめちゃ面白い純文学として。

 

何か超越的なものに近づこうとして、導かれるように日本の権力を握っていく主人公だけど、結局雑然としたこと(権力者におもねったフリして裏切るとか、組織がでかくなるにつれて起きるごたごたをうまく諌めるとか)に倦んで、「別に俺革命したいわけじゃねえし」ってなってく

革命みちなかばでこの小説は終わるんだけど、別に革命成功してもいいししなくてもいいしどっちでもよくて、主人公の中ではもう終わってるんだなってかんじでした。だから政治小説ではなくて。

 

先ほど書いた「超越的なもの」というのは、狩りを精神的中心におき「俺はハンターだ」と自己定義する主人公にとって、「幻のエルク」という獲物で象徴されてるんだけど、まあこのちょいちょい挿入される狩猟話がめちゃめちゃ面白いのだ。耳がきーんとなって静謐な世界に飛んでって、日本の夏の音とか全然聞こえなくなる、厳寒のカナダの雪原に一瞬でトリップしてしまう感じ。わたし的にはこっちが主眼だと思っちゃうくらいだ だからやっぱり普通の純文学だと思う

 

と同時に女の私にとってはポルノでもあった、というのも、

 

へなちょこ日本で「強くあれ」「獲物を狩れる者が生き残れる」とうたい、狩りで鍛えた強い身体を持ち、演説もうまーい主人公はめちゃめちゃ格好良くて終始「鈴原冬二に抱かれたーい!」と思って読み進めていた ハーレクイーンかよ

 

いやでも、これは冗談ではなく結構大事な論点な気がして。

なんか「強くあれ」って演説するけどさ、民衆がアホで弱いからこそ鈴原になびいてるわけで、なんか矛盾するんだよねー。

 

この小説をポルノ扱いして「鈴原冬二に抱かれたーい」と思いながら読むことはもちろんあんまし良いことじゃないと思うが、でも、絶対そうなるように書かれてるし、そのように書かれることこそファッショな気もするし。

 

残念ながらベッドシーンはほぼ無いに等しいですが、殺したての獲物の火傷しそうな心臓を取り出す瞬間のエクスタシーの方がセックスの何倍も気持ち良いそうです、鈴原さんいわく。なるほどー

 

 

【魂の昭和史(新書)】

 

なんかすんごい分かりやすいしエモーションがあって良い教科書だった。まさに魂。

 

「○○事件がありました」じゃなくて、「日本人はどうしてもこうしなきゃいけない状況にあった/どうしてもこうしたかった(から、こういうことをしました)」というように書いてあるので、たとえ「○○事件」の名前は忘れても、ちゃんと歴史が理解できる本なのだ。

 

なんかマッドマックスの話と通じるなー(世界設定の説明なんてどうでもよく、テーマが伝われば良い、というあたり)

 

現代史って世界史の授業だとすっ飛ばされがちな割に日常で引っぱり出される回数がすごく多い知識だから、手っ取り早く最近の日本のこと知りたい人超おすすめ。かなり初級な内容です(が私はちょうどよかった)。

 

(でも、エモーションがあるからこそ、こういう本は鵜呑みにせず何冊か読んでバランスをとった方が良いのかもしれないな……。)

 

 

【天才でごめんなさい】(会田誠の同タイトルの展覧会の画集)

 

あー展覧会いきたかったよー。

 

会田さんというとエロとかグロとか美少女のバカテク絵画のイメージが強いかもしれませんが、そしてそちらももちろん超面白かったのだが、意外と戦争をモチーフにした作品が多いのだ。

 

なんか戦争とか歴史とか考える時って、「なんか大変なことがあったみたいだけど私経験してないしよく分からない、責任だけ問われても困る…」とか、「歴史が全然動かない退屈な平和の中にいると、歴史が動いてる時に居合わせた人のことちょっと羨ましく思っちゃう」とか、「軍服とか戦闘機とか格好良いし、震災後もそうだったけどなんか廃墟とか焼け野原とかわくわくしてしまうし、この不謹慎な気持ちはなんなんだろう」とかいうもやもやした気持ちが立ちこめてすぐに逃げてしまう私なのですが、その気持ちこそを作品の主題にしてくれてることにとても救われました。

 

「太平洋戦争っていうものに、本当は実体感のあまりない、なにかノスタルジーのようなセンチメンタルなものを感じる」

 

「物心ついたときから時間が腐ったような太平の世にあって、こんな日本でポリティカルな作品を作るのは基本的に不自然なことでしょう。でも考えようによってはその太平の世こそ異常な時間なのかもしれません」
こういう言葉が画集に書いてある。
でもやっぱり太平の世にいる者として太平洋戦争について考えぬいた会田さんはすごいな。
 
戦争画RETURNSという連作の最後に「たまゆら」という、爆発だけ描いてある絵があるのですが、その解説として
「このシリーズで最後に描いたもの。僕にとって太平洋戦争とは、煎じ詰めれば「意味」でなく「叙情」なのだと悟り、そのひとつのサンプルとして描いた。」
 
と書いてあった。いろいろ考えてそこに辿り着いたのか、ふむう。と思った。
 
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…なんかこうやってみると、戦争とか歴史とか日本についての本ばかり読んでるように見えるけど、完全に偶然なんだよね。
しかし自分について考えるの飽きたので、日本とか日本人とか「私達」について考えるのにはちょうどよいタイミングかもしれない。
でも相変わらず、ノンポリもノンポリ、何も知らなくて何も考えてなくて恥ずかしいほどのノンポリです。渋澤怜トュービーコンティニュード。

だって高等遊民なんだもん

 最近観たもの読んだものの話でもしようか。超面白いものしか紹介しません

【5分後の世界】(村上龍(りゅう)の小説)

これに出てくるアンダーグランド日本軍の兵士みたいに生きたいんですよ、私は。絶対無理だけど。
今とは歴史が違う日本、一度攻められて国土と国民を失ったかわりに勇気とプライドを守ることを学んだ、たった26万人の日本人の生き残り達の話。

余計な話を一切しないところと、一番の欲求(生き残ることと、民族のミームを次世代に伝えること)を優先して他のことを我慢することを厭わないところと、めちゃめちゃ強いところが好きです。

少なくとも余計な話をしないところはすぐ見習えるので真似たいし、
強くなりたいと思うので新聞配達もやる気が出ますね。
この本を読みながらうたた寝すると自分が超強い兵士になって敵を倒しまくる夢をみて、そして意気揚々と新聞配達に向かえます。


でもね、「一度攻められないと勇気とプライドを持てないんだろうか人間は」とも思う。
国土を侵略されたことの無い日本人は腑抜けてアニメとゲーム大好き国家になっちゃった(雑)、みたいな話あるけど、じゃあ攻められないと確立できないプライドなんか意味あんの? とも思う。逆に、そうやって出来たアニメやゲームが無価値ということは無いよね? とも思う。

ちなみに私は一度も国土を侵略されたことが無い。侵略されたことの無い私が何を作っても無価値で、私がステップアップするためには一度侵略されないといけない、としたら、こんなにつまんないことってあるだろうか?


続編「ヒュウガ・ウイルス」も面白い(読みかけ)。


【リトル・ボーイ】(村上隆(たかし)キュレーションの展覧会のテクスト)

タイトル通り、第二次大戦や原爆がいかに日本人の現在の世界観に影響を与えているか、ということを、戦後の芸術(アニメ、ゲーム等メイン)を使って振り返るテクスト。
ゴジラもAKIRAもエヴァもガンダムも、まーあ驚くほど原爆のモチーフが入っている 
日本人が安心して廃墟萌え出来るのは、廃墟から立ち直った経験があるからなんだなと思った。
あと無邪気に爆発大好きなのも、爆発(原爆)のあとから立ち直った経験があるからなんだなと思った。

いまどきの子供はゲームで何でもリセットリセットで命の大切さがうんぬんっって言うけど、もしかして日本人てリセット好きかも? と考えてもみたり。

あと、アニメゲームマンガに反して、日本の現代美術は戦争をほとんど扱ってこなかったっていうけど、なんでなのかな〜???


【マッド・マックス 怒りのデス・ロード】(今上映中の映画)

文句無しのド傑作。
「リアルタイムで、スクリーンで観た」と言えるのが後の世で自慢になるはずだし、絶対今劇場で見ておくべき。
逆に数年後に観たら規範化し、「今観ると別に大したこと無くない?」と思ってしまうかもしれない。
これから出る全ての映画はこれを目指して躍起になって進歩してくだろう的映画。
だからやっぱし今観るべきだわ

カーチェイスの速さや痛快さや圧倒的完成度は勿論賞賛されるべきだが、それだけじゃない
登場人物が喋らない、何でも画で一瞬で説明する、世界観はあるが説明が無い。
つまり野暮さが一切無い。
それも含めて速さと密度が素晴らしく痛快な映画です。

わたし思ったんだわ、物語ていうのは、舞台の説明が不足してても、テーマが伝わればいいんだわ。
「ん? あのキャラはあいつの子供なのかな?」とか、
「なんであいつだけ女なのに兵士になれたの?」とか疑問点は様々あるんだが、
まあそんなのどうでもいいんだわ。

そして、伝えるテーマはシンプル。
「やりたいことをやれ!!!!!!!」って感じ。

超、伝わりました。


観終わった後にマッドマックス評を漁りましたが、
以下が面白かったです。




そうそうジェンダー的にも面白いし、エナジーが沸き起こります。強い女兵士最高。



ネットという、最先端のことを喋ってるはずが、人間の変わらない普遍部分について言及しているところが面白かったです。

『「家族」と「財産」のシェアは大昔から為政者が必ず言ってたことなのに、全然実現されない。つまり、人間は、「この方が合理的だとわかりつつも絶対に出来ないこと」があり、それは時代が変わっても変わらない』
『たとえば「目なんか二個いらないんだから、くじで当たった人は盲人のために片目を寄付することにしよう。その方が社会の幸福度が上がる」と言う議論があっても、だれもそれを実現したがらない。つまりこの話の「目」のようなものとして、「家族」や「財産」がある』
『ただ、家族や財産のありかたは変わらなくても、「国家」は変わるかも。なぜなら国民国家なんて出来たのは最近の話だし。ネットが社会を変える、という言い方には懐疑的だけど、国家がどう変わってくのかは興味ある』

というあずまんの話が印象的でした。




ビットコインすげー!!
善意とか道徳で担保される仕組みは全然信用出来ないけど、私利私欲で担保される仕組みはめちゃめちゃ信用できる!!
ビットコイン欲しくてたまらない人たちが、ビットコインをゲットしようとするその行動自体が、ビットコインの信用を担保する原動力になってる。このシステム、最強やんか。
これは、金が大好きで仕方無い人が銀行員になったら他人の預金を横領して逃げてしまうのが一番合的、という事実とは一線を画すぜ。

詳しくは、読んでくれ!!!




ブログを書いてたら元気出てきました! 何をやるべきか分からないうちはしばらく毎日ブログを書くことにしようかなあ。


まだまだおすすめはあるので続きます。

東浩紀「弱いつながり」〜大森靖子は「ググって出てくるところならどこだって行けるよね」と言うし東浩紀は「グーグルが予測できない言葉を手に入れよ」と言う2014年だなあ

 あずまんこと東浩紀氏の新刊「弱いつながり」を読んだよ!

要約とナイスな挑発文は帯に書いてあるとおりだ



しかしタイトルが控えめだな…

「ょゎぃ……っながり……」



……

さて、まずは「ネットは強いつながりをより強くするメディアでしかない」と喝破する東氏が気持ち良いです

(※強いつながり 
血縁とか友人とか職場とか趣味が同じ人。
頼りになるけど今の自分と環境が似ているので転機は与えてくれない事が多い。
※弱いつながり 
パーティでたまたま隣になった人、旅先で会った人など。
自分とはバックグラウンドが全然違うため、思わぬ刺激やチャンスを与えてくれることがある。
もちろんとんちんかんでうざいことを言う時もある)

だいたいの人は「ネットがあれば知らない人ともつながれる!」と思ってるし、それは嘘ではないのですが、
だいたいの場合は検索ワードでピンポイント爆撃しためちゃめちゃ気の合う人と仲良くなってるだけなので
「強いつながり」の強化でしかないよね

もちろんそれはめちゃめちゃ大事だし、
趣味の合う友達を長らくリアルで見つけられなかった私はTwitterで趣味のことを話しまくることによって
だいぶお友達が出来るようになったというありがたい事態もあるのですが、

ぬくいTLに自分を肯定してくれる人だけを集めて、気の合う人のRTで流れてくるnaverまとめやヤフーニュースを見て一日快適に無料で過ごせることに対してもう飽きたなあクソつまんねえなあこのまま老いるの超簡単だなあと思うこともしきりにあるわけで。

え? 
退屈なら、知らないことを検索すればいいって?
でもその自分が思いつく検索ワードだって自分の脳からヒリ出したものでしかなくて、しかも最近はグーグルさんが「あんたの知りたいことって、これだろ? あ?」ってサジェストしてくるし、Amazonも楽天も履歴から商品おすすめしてくるし、なんだか自分の脳の中ぐるぐる回ってるみたいで全然外に抜け出せる気がしないんだよ

そんな我々に、東氏は「新しい検索ワードを手に入れるには、環境を変えるしかない」と言います

だよね、自分の脳で「自分、変わる!」とか言っても変わるわけないけど、環境変われば強制的に変わるよね。
だからこそ、
「こ、このままではクソつまらない人間になってしまう!」
と焦った私は3月に仕事やめて4月からは水商売などをやっているわけで、まさに首肯するテーゼでした

まあ、あずまんは「水商売やれ」ではなく「旅に出ろ」と言います。

私は、4月からフリーターになって目標のために頑張ってる(ように見える)若者の自分に対して、
「やっぱ人間、生でいろんなものに触れないとだめだよね。旅はいいよ。知らない場所や知らない人に会って、見えなかったものが見えてくるよ☆」
とかアドバイスしてくる人が超嫌いなのですが、
東氏はもちろんそんなシャバのオッチャンみたいなことは言いません

私は、言葉大好き、記号大好き、ネット大好きだから、
「ネットはだめ! リアルこそ全て」
みたいな単純な言説はもうそれだけで聞く耳を持たなくなってしまうのですが、
東氏は
「我々は言葉の世界無しには生きられないし、ネット無しでも生きられない。私達は記号の中しか生きられない」
と言った上で、
「より良い記号の旅をするために、現実を旅しよう。
ネットはノイズが無い(誰かがアップしようと意図したものしか上がってない)から、リアルでノイズを入れよう」
と提案しているのです。

言葉、記号、ネット大好きだけど、その中だけにいるのも閉塞感があり「変わりたい」と思っている私にとって、とてもタイムリーにヒットした本でした。

逆に言うと、「変わりたくない」と思っている人にはこの本は全然面白くないと思います。

ぬくいTLに自分を肯定してくれる人だけを集めて、気の合う人のRTで流れてくるnaverまとめやヤフーニュースを見て一日快適に無料で過ごして幸せを感じられる人には、この本は要らないと思います。

でも私、それやると、エサ食ってる動物みたいで耐えられないんだよね。

いやいや、旅に出たって、転職したって、我々は所詮エサ食ってる動物でしかないんだけど、
せめてそのことを忘れられたほうが楽しく生きられるってもんだわ。



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ただ、読後にめちゃめちゃネガティヴな気持ちにもなりました。
もしこの本のすすめに従って旅をしても、私は全然変わらないかもしれないなあと。
だって私旅嫌いだし、観光地化された場所にいって表層をなでるだけの旅を繰り返しても意味ないと思ってるし。
(本の中では、表層をなでるだけの旅でも意味があると書いてあるし、書いてあることは納得できるのですが、
なんか実感として私、今までそんなに意味があった旅が無い……)

てか出不精だしぶっちゃけめんどくさいとか思っちゃうんだよね……家で本読むかネットをすれば、たとえノイズ無しの記号だとしても何十倍の早さで摂取することができるし。ついつい楽な方へ流れてしまう。

本には
「旅先では、普段美術館に行かない人も、「パリに来たからせっかくならルーブル寄ろうか」となる。普段なら絶対買わない変なお土産物を買ってきてしまう。それでいい」
と書いてあるのですが、私、
「日本でも行かないのになんで外国でわざわざ美術館行くんだよ」とか
「日本に帰ってきた時に後悔するから変な土産は買わない!」とか思っちゃうんだよね……

そもそもリアル書店でさえ嫌いで、本はAmazonで買う奴だしな……
リアル書店で迷ったり、関係ない本につい目が行って時間が潰れるのが嫌なのです

要はこの本の言い方でいうと極度の「ノイズ嫌い野郎」なんだよね……本当、度し難い程度に。
だから旅に出てもノイズを拾わないように閉じちゃう可能性があるかもしれないんだ……。

(ここらへんについては、旅のアドバイスなど色々書いてあったので、もう一度注意深く読んで考えてみようと思います…)

あと、旅をするとお金が減るのが嫌だwwww
あと、無駄に長い時間かけて遊びに行ってしまったと思って罪悪感にかられて鬱になるwww

なんで今私がバイトで変わろうとしているかというと
「お金を貰える」
「お金を貰う代わりに逃げられない(ノイズから逃げられない)」
「お金をもらう=誰かに喜んでもらえるってことだから意味がある(と思える)」
などがあります。

全然興味ないことやくだらないことだと思っても、仕事に必要なら学ばないといけないし、
クソつまらないなと思っても客の話は逃げずに一定時間興味のあるふりをして聞かないといけないですね。
それが私の精一杯のノイズ拾いだし、お金が貰えると思ったら前向きにやれます。

ノイズ拾いというと言い方は悪いけれど、実際にお客さんの数人と仲良くなったり、
面白い場所を教えてもらってそこに行ってみたりもしています。まさに弱いつながりって感じ。


うん、そうだ、今度あずまんに会ったら「旅じゃなくて、水商売じゃだめですか??」と聞いてみようwwww

(本書で触れていた、「移動時間に普段と違うことを考える」「日本語世界からシャットアウトされる」という旅の特性は満たせないけど、まあ手軽だしお金も増えるという点ではメリットもあるだろう)(いやでもそれは「観光客」じゃなくて「村人」になっちゃうからだめなのかなあ。ようわからん だめっぽいな)



なんか自分にひきつけて読みすぎてアレかもしれないけど、
とにかくおもろい本だったので是非読んでくださいな!!