味を味わいにいくだけ

1/3からほとんど人に会ってないし出かけていない。

 

だから、たまに出かけたり人に会ったりして外部刺激を受けると、外部刺激に対する自分の反応が丁寧に読み取れるようになった。

 

人に会うと、ああ私は人に執着があるなあ、誰かに好かれたいなあ、って思ってるなあ、と思う。

あの人いいなあ、と心がもってかれる感覚があると、ああ私はいま心がもってかれてるなあ、と感じる

 

Twitterをやっている時も同じことを思うようになった。

ああ、私は、誰かに好かれたい、気にされたいという気持ちを持って、TLを流してるんだなあ、だからTLを流すときはいつも「あ、今日も別に誰も私のこと書いてないや」という薄い失望をともなっているんだなあ、と思う。

ほっとんど知り合いをフォローしてない、botか有名人か知らない人ばかりでTLを組んでいる私すらそうなのだ。

 

だから、SNS以外の、Webに乗っている文章と、SNSを読むのは根本的に違う。SNSは必ず「誰か自分に興味持ってないかなあ」という期待を持ちながら見るものなのだ。

 

 

 

「気にされたい、みとめられたい、さみしい」ということをはっきり自覚することもできずに、すぐにTLを見たり人に会っていた以前の自分より、そういうことをしなくなった自分の方が、はるかに調子が良い。他人に自分を満たしてもらおうとするより、自分で自分を満たそうとすることの方がはるかに建設的で合理的だ。第一、「満たして〜」って寄ってくる人間なんてキモくて話にならない。論外だ。女の場合は若いうちはそこそこ見てくれが悪くなければそれでも相手してもらえる、ということが、幸でもあり不幸でもあり、それで私多分2年くらい棒に振った。

 

いまは、まだ過去の名残でひとに「満たして〜」って寄ってっちゃいそうだから意図的に人に会わないようにしてる期間なんだけど、もし、ちゃんと自分で自分を満たすことを踏まえたうえで、人に会えるようになったら、純粋に楽しいだろうと思うと思う。とても楽しみだ。

 

1/3から何をしているかというと、別になんてことはしてなくて、部屋の整理とホットヨガだ。

しかし凝り症ゆえそのひとつひとつの究め方がすさまじく、部屋は「2部屋中1部屋はゴミ置き場だったんじゃね? これから床面積半分の部屋に住めるんじゃね?!」と思うほど捨てたし、ミニマリズムの勉強を始めてこれからさらに徹底的に捨てる予定である。

ホットヨガは1/4に入会してから今日(1/10)までなんと毎日通っている。

 

作業場と身体の改善に1週間費やしてるわけである。

一見遠回りに見えるだろうが、改善後の作業スピードは目覚ましくアップするだろうから、きっとこの道は正しい。

 

 

 

 

今は、暇がたっぷりあるのにあんましTL見ない。TLを見ると不幸になることがよく分かっているので。心がざわざわしてるときは椅子に座ってノート広げて日記を書いて、「ああ、こういうことがあってざわざわしてたんだな」と整理してやるとすぐおさまる。

 

 

以前は何となく人恋しいからという理由で直帰せずに外食して帰ることがあった。

今はしない。外食は味を味わいに行くだけだ。

外食ですら「誰かかまってくれないかなあ」という薄い期待と、「あ、別に誰も私のことかまってくれなかったや」という薄い失望を味わっていた私は異常だったと思う。

今はしない。外食は味を味わいに行くだけだ。

 

ライヴも、人に会いに行くんじゃなくて音を味わいに行くだけ。

 

 

 

 

味がめっちゃわかるようになったし、自分の感情がよくわかるようになった。

私は20代なかばまで自分に心があることがよくわかってないロボットみたいな人間だったから、自分が楽しいのか悲しいのかあまりわからなかったし、今もあんまり分からない。でもかなりわかるようになった。

 

褒められたり気に入られることを求めて自分の主人を他人にしてはいけない。

楽しいことを近づけて悲しいことを遠ざけて、自分の主人を自分にしなければならない。

サブカルチャーを殺す

こんにちは。「インターネットおばさん」こと、渋澤怜です。

 

サブカルチャーを殺しに来ました。

サブカルチャーを殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

サブカルチャーを殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

サブカルチャーを殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。という人を殺しに来ました。

 

 

これがサブカルの本義、殺し屋の2歩後ろには常に殺し屋がついている。

そうです人は誰かを殺さないと生きていけません。私はしらす丼が大好物ですが食べるたびにしらすを大量殺戮に加担してしまい本当に申し訳ないと思っている。でも次の瞬間「私はしらすよりも高尚な生命体だから、別にいいのだ」と思うことによってしらすを精神的な意味でもう一度殺す。

 

しらすじゃ殺し足りないから、もっと大きな獲物を探す。獲物は大きくて、かつ自分に近い方が良い。その方が隣にいる自分の輪郭がよりハッキリするから。

写真にうつるなら、自分の真隣はブスがいい。でもそいつと同じフレームに入ってる時点で自分もブスだ。なら写真に写ること自体やめようよ、自分はここにいるのに自分の一体何を確認する必要があるんだ? 全ての写真は心霊写真だ。つねに2歩後ろに自分を殺す自分が写ってるよ。(ま、多くの人がそれに気づかないからいつまでたってもパシャパシャ撮り続けてるんだけどね)

 

自分の写真を見せまくるのはナルシスト扱いされてアウトなのに、子どもの写真を見せまくるのはセーフなのは一体なんでですか? 自分の遺伝子が半分入ったコピーじゃないですか。自分のコピーの写真見せまくる人とかキモくないですか。まだ自分の恋人の写真見せる人の方がマシなはずなのに、世間では子供より恋人の写真見せる方がダメってことになってる。

あ! そういや女の子がやたら音楽詳しいと「元カレの影響?」って言われるっていう地獄があったな。

 

だからさ、言ったろ、自分を語る固有名詞は少ない方がいいんだよ。3つくらいそろうともう「ああ、それ系好きな人ね」って言われる(大森靖子、最果タヒ、はいもうリーチでしょ)。

 

いつか、「渋澤怜を好き」ということが「こういう固有名詞レースからおりてます」ってことの象徴になれば最高だ、でも、一瞬なんだろうな。すぐに私も、誰かの名札になってしまうだろう、だって私も固有名詞なんだから。

若者言葉を調べてて感動したこと

またうっかり二日もブログ書かないでしまった。一日中予定があると忘れてしまうなあ。

 

 

 

 

さて、若者語で使われる、「普通に」。

「普通においしい」とかで使われる「普通に」のことだが、

若者である私は感覚的に意味は分かるのだがいざ「説明してみろ」と言われると難しい、

しかし大辞林の「普通に」の項がめちゃめちゃすっきりと言い当ててて良かった。スッと腑に落ちた。

 

 

「俗に、文脈や状況などから生じる前提なしに。

例えば屋台で料理をほめるとき、単に「おいしい」と言うと「屋台の割に」などの前提を含む場合がある。この場合「普通においしい」と言うと、一般の基準でおいしいことを表現できる」

 

それーーーーー!!!!!!!!!!!

 

 

だから「普通においしい? それって味が普通ってこと? けなしてるの?」と怒られると的外れなのだ。「君が真心こめて作ってくれた手料理、という心理的に高まるポイントがなくとも、普通においしい」つまりめちゃめちゃ褒めてるのだ。

 

「君が合コンに連れてきてくれる女友達、どんな子?」と聞かれて

「普通にかわいいよ」と答えたら、

「知り合い査定じゃなく、掛け値なしに普通にかわいいよ」って意味なのだ。

(ただしめっちゃめちゃ可愛いっていうわけじゃないかもしれない)

 

何かのイベント企画の会議中、他人の案にダメ出しするとき

「いやそれ、普通にダメでしょ」と言ったら、

「こういう客層のイベントなんだからそれはそぐわないでしょ、てか仮に普通の人の前でやるものだったとしてもそれは普通にダメでしょ」という意味なのだ。

 

 

平野啓一郎さんのブログもよかった。ちょっと古い記事なので本人は言及されても別に全然うれしくないと思うけど。

(そもそも「普通に」が取り沙汰されたのって普通にもう10年くらい前なのだ)

 

 

 

若者語を調べていて思うのは、私たちはなんて少ない語彙で普段の生活をしのいでいるんだ、ということだ。

 

 

大体、

気を遣う用語(何気に、普通に、空気読む)、

感情表現(あげあげ、おこ、てへぺろ、どや顔)、

カラオケやプリクラや飲み会など遊び用語(サシ飲み、徹カラ、チュープリなど。これによって逆に遊びのワンパターンさが浮き彫りになる)、

関係性用語(同中、タメ、元カレ、マブダチなど)

がほとんどなんじゃないだろうか。

 

あとは異性に関する用語(イケメン、草食系、非モテ)かなあ。

 

 

みんな、カラオケして飲んで恋愛の話して異性の見た目を査定して、気を使いながら生きてるんだなー

 

と思った。

 

 

 

ネット用語も意外とこの範疇におさまる気がする。

(おまいう、教えて君、ソースは? とか、独特の自己客観視を求める用語はあるけど、あーみんなおはようとおはありを言い合ってるんだな〜、と思ったんだ)。

 

 

 

私、意外と若者言葉を結構使うほうなんですよ、全然普通に。何気にもうすぐ30歳だったりするしいわゆる若者とかとはちょっと違うって思ってそういう系の人とかディスったりしがちなんですけどそれでも全然自分普通なんだなって思いましたね、意外と気使ってるんじゃん自分? みたいな。

 

 

 

 

そうだ、この若者用語を調べる中で、「こんな単語がこの世にあることに感動したんだ!!」と感動した言葉がひとつある。

 

「割り勘負け」

 

である。

 

「飲み会に行って割り勘にすると下呂が絶対に損をこく」という現象をたった六文字で鮮やかに表現してくれているのだ!!

 

今まで何度「それって私めっちゃ割り勘負けじゃんwww」

と言えばスマートに不満を表現することができた状況があったか。

 

この言葉があって良かった。この言葉を鋭意使用して自分の財布を、そして一般に大多数の人間が酒を飲みコミュニケーションの多くが酒場で醸成される現代日本において下呂だって金銭的心理的に気兼ねすることなく飲み会に参加できるという立場を、守っていこうではないか。

神様のエゴサーチを案じる信者と、信者のこと(を/しか)考えない神様

「俺の神様を性的に汚れた目で見ている女がいる、穢すな」という男と、

「私が私の神様をこっそり性的な目で見ているのを神様に告げ口する男がいる、余計な真似をするな」という女が、

なぜか両方とも私に不平を訴えてくるのであった。

 

はっきり言えるのは、神様はめちゃめちゃ強くて、自分の意志で神様になってるし立たなくていいステージに何度も立ち続けて神様を続けているしセルアウト(布教)のためならどんな流れ弾だって受けるということだ。

 

弱いのは信者の側で、要は

「自分に都合のいい神様でいてほしい」

と願っているだけだ。

 

強い信者であれば、神様のセルアウトを心から喜べるはずだ。

たとえ浅い信者だろうが腐った信者だろうが、信者の増加自体を喜べるはずだ。だってそれが神様の真の願いなのだから。

 

仮に、仮に、神様が弱かったとして、それは信者がビービーいうことじゃない。

 

あのさ、ハッキリ言えば?

「神様がかわいそう!」「神様が弱いから我々が守ってあげなきゃ!」って言ってるのが気持ちいいんでしょ。善人ぶって、実は自分に都合のいい信者コミュの平穏を保ちたいだけでしょ。神様の名を借りて、外敵排除したいだけでしょ。

 

あのね、ハッキリ言おうか。

神様を持っている時点で絶対にキモい。キリスト教だろうがアイドルだろうが絶対にキモい。お前はキモい。

アイドルに処女でいてほしいとか無垢でいてほしいとか性的対象にされていることに気付かないでいてほしいと願うオタクもキモいし、●●君はアイドルじゃないんだから性的対象として見るのはかわいそうとか言ってる女もキモいし、女の子はみんな可愛いというオッサンも、猫はみんな可愛いとわめく人間もキモい。

 

でも別にいい。みんなキモくていい。でも自分のキモさを分かってない人間は度しがたくキモい。

 

そうだな私の神様を教えようか。おそらく男全般の中に神様を見ている。だから私は全人類の半分に対してうっすらとキモいし、全人類の残り半分にはすぐいちゃもんをつけてくだらぬ信者間闘争を始める。

 

私は私の神様にめちゃめちゃ強くあってほしい。どんな信者だろうが受け入れてセルアウトのために前だけ見ていてほしい。

 

そういう意味で、全てのステージに立つ者に『男らしさ』を求めてしまうのが私の性かもしれない。

目なんか見えなきゃよかった 〜ダイアログ・イン・ザ・ダーク(暗闇体験)に行ってきた

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

http://www.dialoginthedark.com/

 

『ダイアログ・イン・ザ・ダークは、

暗闇のソーシャルエンターテインメントです。

 

参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、グループを組んで入り、

暗闇のエキスパートである視覚障がい者のアテンドにより、中を探検し、様々なシーンを体験します。

その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、

そしてコミュニケーションの大切さ、人のあたたかさを思い出します。』

 

 

 

「あまりに感動して、次は父母を連れてきた」とかいう感想を見て、

「人生観変わるかも」レベルで期待してたので、正直そこまでではなかった。

 

暗闇で横になった時思い浮かんだのは寝室の天井で、

つまり日常でこのポーズでこの暗さを味わう時が、単に連想されただけだった。

 

暗闇の中で二人組になって話した時「どこ住んでるんですか」と聞かれて面倒臭えなと思ったのもいつも通りだし、ピースボートに乗ったと聞いて「うっわ」と思ったのもいつも通りだった(わたしは市古憲寿氏の「希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想」を読んでピースボートにはロクなイメージが無いのだ)。

 

別に暗闇だから距離が縮まって人とのあたたかみがうんたらかんたらなんてことは無いのだ(もしそれが真なら全盲の人は全員人格者だ)。私の心の壁は健在なのだった。

 

ただ、人との物理的距離はめちゃめちゃ縮まった。

純度100%の暗闇は、日常には絶対無いもので、めちゃめちゃ不安だから触るか喋るしかない。そろそろ歩きだから皆近くにいるって分かってるのに距離感が分からなくなり異常に遠くにいる気がして何度も呼び合う触り合う。

 

ブランコに乗るとめちゃめちゃ酔った(そもそもブランコがあると分かり、乗るまでに相当時間がかかる)。

お菓子が運ばれてきて、触って、嗅いで、食べても何か分からない時の味わいはとても豊かなのに、何か分かった瞬間に視覚情報が連想され既知の、つまらない味になるのが新鮮だった。あとワインは赤か白か分からなくなるそうです。

 

怖いのは初めの5分だけ、90分の暗闇体験が終わった後は、ひたすら暗闇が名残惜しかった。あーまたいつものクソコミュニケーションに戻っちゃうんだ。このテーブルはどんな形なの?! 私たちはどんな陣形で座ってるの?! ってことだけで30分話せる機会はもう無いのだ。この人いい声だなとかこの人すべすべだなとかいうことがどうでもよくなり、単に美人が美人の世界に戻ってしまうのだ。

 

目なんか見えなきゃよかった、と何度も思った。

目なんか見えちゃうから音楽は音楽でなくなるし、料理は料理でなくなるし、服と化粧と見栄ばかりの世界になってしまうんだ。

当たり前だが身体感覚は目が無くてもある。(目をつぶっても腕を曲げている感覚、空腹感、かゆみなどは当然わかる)。もっと身体感覚にフォーカスして生きていきたい、胸糞悪い時って本当に胸糞が悪くなるんだよ、恋してる時は本当に息が詰まるんだよ、完全に揃った楽器の音は波を飛ばして震えを起こすんだよ。

 

あ、でも、目が見えないと文字が読めない。文字が書けない。

それだけが、惜しいと思った。

5人に善人モードで善行したら1人にメンヘラぶってめちゃめちゃわがまま言っていい、みたいな制度無いかな

もうやだな持ち回りにしろよ割り食うよ私、いや、なってるんだろな、世は、持ち回りに。ごめんねお母さんあなたにてきとーだから私は誰かの息子を産まされてるんだわ。
 
話変わるけど「なんであんなクソ男と付き合ってたんだろう」とか言ってさ自分だけ過去からアドバンテージとってるのずるくない? 欠席裁判じゃん、そのクソ男にも今があるし、でも被告席呼んだら貴様も過去に引きずり戻されてクソ男、と付き合うクソ女、だぜ? 逆立ちして血が出るなら出せば。
 

私がカップ麺作ってる時、「お湯を多めに入れると薄味になるよ」って言われて激怒した話、する?


先日話した人は、「人がどんなことに怒るのか知るのが面白い」と話していた。
確かに、怒りというのは一番オリジナリティにあふれる感情である気がする。
人が嬉しくなる時、悲しくなる時は割と共通してることが多い気がするんだけど、
怒る時は人によって違う気がする。
日常会話でも「えっそんなことで喜ぶん?」「えっそんなことで悲しむん?」より、
「えっそんなことで怒るん?!」の方が出現頻度高い気がしませんか。するよね。

 
「怒る」が、あまり有用じゃない感情だからかもしれないね。怒らないで済むなら怒らないで過ごしたいもんね皆。無けりゃ無いに越したことは無い感情。
逆に「嬉しい」と「悲しい」は有用ですよ。
社会的に喜ばなきゃいけない場、悲しまなきゃいけない場はあるけど(つまり結婚式と葬式だ)、怒らなきゃいけない場てあんまり無いよな。
 
さて、そんな感情界の暴れる私生児「怒り」君ですが、
私が最近「えっそんなことで怒るん?!」って言われたことは、
 
「カップラーメンにお湯を注いでる時、
隣にいる友人に「お湯を多めに入れると薄味になるよ」と言われてキレた」

 
です。
 
だってさ、「薄味にしたい」って私が言ってないのに
「お湯を多めに入れると薄味になるよ」
って、薄味にしたいなら誰でもやるだろうことをアドバイスしてきたんだよ!?


それって、「子供産みたい」って私が言ってないのに
「子供欲しいなら35
までに産むべきだから逆算してもう婚活しないとやばいよ」
って言ってくる人と同じ構図じゃーん!! 違うか?! 違うのか? いや違くない。
 
あと、もうひとつあって、私が文筆業のネタのためにチャトレや水商売をやる中で、
「今度は出会い系のサクラをやりたい」という話になった時、編集者の人が、

「あんまり危ないことしないようにね」

って言ってきて。

「あんまり危ないことしないようにね、ってさ?! そりゃヤクザとか絡む業界だから危ないよ?! でもサクラのバイトやることは今同意したよね?! だから多少の危険は避けられなくない?! てか、避けれる危険なら鋭意避けるよ、お前に言われなくても! 危ないことに遭う時って避けられなくない!? つまりそんな忠告になんの意味はないわけ! じゃあなんで言ったかっていうとつまりそれってお前、後から『言ったじゃないですか、「危ないことしないようにね」って。僕は前から忠告してたんですよ』って言うため、つまり保身の一言でしかないよな?! 心配するふりしてるんじゃねーよ! てか本が出たら一緒に利益こうむるタッグ組んでる共同体なのになんだその他人行儀は?! 責任とって危ないことやらせるか、絶対にやらせないかのどっちかにしろ!! それができないならせめてそのことを詫びろ適当な善人のフリのエセ忠告なんかやめて!!」

とキレました(語調はだいぶ違うけど)。

あ、あともうひとつあった。先日友人の恋愛相談に乗ってた際、友人と今いい感じになってる男性が「俺超合理主義者だからさ」とか「俺承認欲求無いタイプだからさ」とか「褒められてもむかつかないから俺はいじりがいないかもね」とか七面倒臭いことばかり言う人らしくて、恋愛相談そっちのけで「なに超合理主義って」「中学生にしか許されねーぞ」「心の中でもう五回殺した」などとのたまっていました。

本当に、友人とは男性の趣味が全く合わなくてよかったな〜! 間違っても同じ男を好きになって取り合うことは無いだろう。

 
ちなみに、その友人は何に怒っていたかというと、
「『○○というジャンルをBL化するのはやめてほしい!』とかTwitterに書きながら、○○を少女漫画風に描き替えたものを堂々投下してる女」。
「私たちは不快に思う人の目に極力触れないようにこっそり腐女子活動をしてるのに、「BLやめろ」と言ってきた上に、自分の2次創作物を堂々見せつけるって!!」って言ってた。
 
私は、インターネットスルースキルが高いので、たとえ自分が○○という分野のコアな腐女子であろうと、怒らなかっただろうな。というか私へ中傷でもほとんどむかつかないんだよね、ネットだと。
 
ちなみにその子は、私が「バンドマンの恋人ができた」と言った際、速攻「なんてバンド?」って聞いてきて、

「バンド名でTwitter
検索→ファンの女を見つける→馴れ馴れしいツイートをしてるやつにむかつく」

という、バンドマンの彼女の嫉妬感情の疑似体験をしていた。なぜ私がやってないのにやる。
 
 
引き続き(?)、「僕は私はこんなことで怒る!!」という投書をお待ちしております。ステイチューン。


 

純粋無垢な「君」への愛を歌う少年は 処女を抱きたがるおっさんへ滑らかに移行する

最近気付いた、全てのおっさんは少年だったんだ。若けりゃいいと思って許してると、あいつらすぐに、微妙に金とプライドと脂肪を蓄えた臭い生き物に転生しちまうんだ。
 
少年性全開の、つまり私の大好物の歌詞を書く年下の男の子に、
この歌、すっごくすっごくいいんだけどさあ、なんかある時ふっと『ストーカーの歌っぽい』って思っちゃって、そしたらそうとしか聴けなくなっちゃったんだよね」って言ったら、あっさり、
「そうだよ」
と。
なんだよ分かってやってたんかい、純粋無垢な「君」押し付けフォーマット。
 
だいたい若い男の子が書いた曲に「君」が出てくると、頭に何も入っていない純粋無垢で白いワンピース着て浜辺か草原に佇んでる色白黒髪の女の子が浮かぶものだ。
 
そんでもってこの「君」というのに「僕」が片想いしてる(両想いかもしれないが、とにかくこの愛の対象である「君」は頭の中に何も入ってないノータリン感があるので「愛し返す」という行為さえしなそうだ)(というわけでおおむね片想い)という設定になってるのだが、
 
片想いゆえの押しつけがましさが全開、うっとおしい「君に伝えたい」「君に見せてあげたい」「君は知らないよね」あるいは「君はこんなこと知らないでほしい」、そして「君のこともっと知りたい」のオンパレードになっており、そりゃもう処女抱きたがるおっさんまっしぐら、と言わずとも若い女子にやたら説教したがるおっさん紙一重なのだ。
 
冒頭の彼は言った、
「そもそも会話の中で使わない言い回しは、怪しい。嘘を含んでいる可能性が高い」。
確かに、実生活で『君』とか言わないよね。あと『〜のさ』とか。
「歌詞の中では、むしろ実名を出した方がいいと思ってる、このyoutube冒頭一曲目とか」
なるほどな。
 
実名を出せないから「君」を使用している歌詞というもの相当にあると思うけど、まあとにかく、彼が純粋無垢な「君」フォーマットを無自覚に使用しているわけではないと知って、なんだかホッとした。こいつは、処女厨のおっさんにはならなそうだぜ。
 
最近の彼は、「ボーイミーツガールの全否定だよねwwww」とのたまいながら、「女から! 借りた金は! 返さなくて! いー!」と連呼する曲を作っておる。破壊と創造、セルフレイプは製作者の宿命。
 
 
蛇足
「少年性て何」って聞かれそうなのでざっくり書いておくと、

・ここではないどこかに行きたい
・今の自分よりもっとでかい自分になりたい
・止まるくらいなら死んでやる
・友情に熱く、一人称がすぐ「俺たち」
・本当のことを知りたがる ゆえに大人の嘘や辻褄合わせに極端に反抗
 
などが、私の言ってる「少年性」です。今書いてて思ったけど、「ここではないどこかに行きたい」けれど、一緒に行くのは少年同士。少女を連れてく気なんて無いわけで、だから少年の恋に深みは無い(少女と分かり合う気が無い)。「君」フォーマットが空虚なのは当然だなあと思いました。
 
しかし、
女には追随できない「少年性」の歌も、女に支持される。
男には追随できない「少女性」の歌も、男に支持される。
 
私はSuiseiNoboAzが好きだし、彼は大森靖子が好きだ。
 
意味不明は最高に尊いし、たとえ処女厨のおっさんと紙一重と気付いても、私は少年性の歌が大好きなのだった。
 

君が望むなら毎日がバースデー計画

ジーザスった。大事なところで寝ちまう。覚悟が足りない。
人生は強制スクロールだから多分寝てる暇はあまりない。
毎日、やりたいことだけをやる濃度の濃い一日にしたい。
君が望むなら毎日がバースデーだ、いちいち生まれ直してるんだよ我々は。
 
ちゃんと生きるって難しい。好きなことだけをやるって難しい。
毎日好きなもの、本当に食べたいものを食べるってだけでも相当難しい。
何度、食べなくていいものを食べた、会わなくていい人に会った、言いたくないお世辞を言った。世間には茶番が溢れてるからやりたくないことをやるだけで簡単に一生が終わる。そもそも一日三食食べるべきかから疑った方がいいし、「そんなことないよ」とか「大変ですね」とか言ってるうちにあっという間に老後まで埋まる。
 
「俺頑張って生きるよ」と言った人、今まで意味が分かんなかった。
生きるの別に簡単じゃんって思ってた。
学歴とか事務処理能力が高い私は食い扶持的に困ることが無くてちょっと我慢すれば時間と小金を効率よく交換できる。それが生きることだと勘違いしていた。私の好きな人たちは本当に好きなことを選び取る嗅覚がある、だからそんな生き方はしない、できない。そういう人が好きなんだから私もそういう人と会いたい。好きな人が周りにたくさん現れるような生き方をしたい。
 
自分はこんなことを思っている、こんな世界に生きたいって言わないと、住み心地の良い世界は訪れない。逆に、自分はこんな世界に生きたいと言い続ければ自分の世界は確実にアレンジできる。「誰か見つけて」とピーピーギャーギャー騒いでるだけじゃだめ、イージーに出会うとイージーに捨てる。私は今までイージーすぎた。あなたがバンドメンバーと巡り合う前に積み重ねてきた孤独の量をナメてました。
 
出会い系サイトのサクラのバイトをしている。仕事も無く友人もいない老人が悪徳サイトに年金をぶっこみ一通500円の嘘のメールを心の拠り所にして生きてる。どうしても今すぐ処女を捨てたいから相手になってくれませんかともちかける18歳の美少女、月決めで30万あげるからセックスしてほしいと懇願する欲求不満セレブマダム。次から次へとおいしいメールが来るからさぞかし楽しいだろう。サクラたちは彼らを笑う、でも私は全然笑えない。明日は我が身としか思えない。自分の力で世界を切り開く体力を完全に失った彼らは、最後の力を振り絞り、イージーな世界の入口にたどり着く。愚かさと小金だけを武器に、サクラの作ったぬるい沼に、進んでハマりに行く。そうなることでしか生きられないなら人はそうなるんだろう。私は賢い分、こうなる前に自害するかもしれないが。
 

「心配してる」っていう言葉が使えない

「心配してる」っていう言葉が使えないんですよ。

こっちがあなたに勝手に興味をもって、あなたの大変そうな状況に勝手に思いを馳せてるだけなのに、それを恩着せがましく「心配してる」なんて、言えないんですよ。

ましてや向こうはそれこそ心配されるに足るような状況なんでしょ、そんな時に、心配してる相手(私)を安心させるために余計な手間をとらせたくない。

なので私は「心配」している時、斜め上なんかを見ながら「いや、ちょっとどうなったか気になってさ」とか言う。

ただし、向こうが大いにこっちにコミットしてきて心配させるような状況を作った場合は堂々と「心配させんなよ!!」って言う(例えば「大変だ大変だ」とか言い散らした後に連絡を絶つとか)。

心配に権利があると思ってるんだろうな。

愛にも大体同じことが当てはまる。

勝手に愛して勝手に偉そうにしない。

だいぶ因果の絡まりあった相手にしか「愛してるのに」なんて言えないだろ

感情を人質にとるのは不幸だよね 感じてるだけで尊いっていうのでいいじゃん。黙って心配して、「あー私心配してるなー」って思ってりゃいいんだよ。偉そうに他人に開示した時から政治が始まる

わたしこれ小学生の時から考えてるので、ガキの頃から大人に好き勝手心配されてマジ迷惑だったなー。