即興小説トレーニング6「これはペンですか?いいえそれは夕日」

お題:これはペンですか?違うわ、それは夕日
必須要素:キノコ

制限時間:15分(オンタイム)

 

これはペン?いいえそれは夕日。じゃああれは?卵。卵から何でも生まれる。明日の卵の殻を割るとまるっと夕日が出てくる。カルトか?マクドだ。月見バーガーを割ると角度がつくと過去が現れる。過去見バーガー。過去にかこつけたカートコバーン、かっこづいたか?いいえ誠のアウトデラックス。降板?いいえ交番。交換?いいえ卒業。卒業しても同じ巣から生まれたの、ミラクルロマンス。コバーンす。子burnす。股間す?同じ股間から生まれたの?いいえキノコが同じです。きのこたけのこあいつどこの子?光彩がちがう。交際期間のずれ。勾配がついて、月見バーガーは日和見バーガーに、というか未来見バーガーに。月に未来人が住んでいて、でも光がここに来る頃には大分過去になってしまう。過去を解放、交換しよう?あの日にしてしまったこと。

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ライヴ動画

「渋澤怜」と「既成事実と渋澤怜」という2種類の活動があります。

 

●「渋澤怜」として

 

 

詩の朗読みたいな、ポエトリーリーディングみたいな、演説みたいな、語り殴りみたいなことをしています。

 

●「既成事実と渋澤怜」として

2017.5〜「既成事実と渋澤怜」もやってます。

カタカナの三菱鉄郎と、渋澤怜による2人ユニット)(三菱のビートに乗せて渋澤怜が喋る)

https://kiseijijitsutorayshibusawa.tumblr.com/

 


 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※以下、過去のライヴ記録※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

■2018/6/23(土)「DADAフェス〜晴れたらいいけど雨でもいいな〜 」ラブTKO 東新宿 http://www.lovetko.net/ 

OPEN:16:00 START:17:00 チケット代:前売り2000円+1d/当日2300円+1d

※「渋澤怜」で出演  渋澤怜は21時30分~  20分程度出演

即興小説トレーニング5「小説が最強のソリューションである」

お題:騙された小説トレーニング 必須要素:弓道 制限時間:15分(6分オーバー)

 

「小説トレーニングは!筋トレと!同じ!毎日!一日たった15分つ!ちょっとキツいなというくらいの負荷を!書ければ!明日にはそれが大丈夫になる!そしてまた明日!もっと長く書けるようになる!」
今日は15分で2000字の小説を書かされてた。この「SHOトレジム」に入った時は、15分で200字、というか、15分で話をひとつ書くことすら全くできなかったのに、今や考える前に筆が動く。15分2000字の世界では、考えている暇はない。
トレーナー曰く、「筋トレと同じ!」考えず、いいからやれ、とのことだ。
しかし僕の頭の中ではだんだんと疑惑が育っていく。15分2000字の世界では、もうオチも伏線も、というか、ストーリーすらない。これはただぎりぎり日本語と言える何かを垂れ流しているだけ。これは小説と言えるのか?ギリギリいいとこ、イタコが受けた神のお告げをそのまま書き付けたもの、ん?いや、もしかしかしたらそれは小説より良いものなのでは?僕は今小説より良いものを書いているのか?

一ヶ月の強化トレーニングが終わった後、俺は15分で10000字書けるようになり、セミトレーナーの称号を得た。ジムで、トレーナーの同伴が必要なマシンを一人で使えるようになったり、ジムの使用時間が無期限になったりと、なにかと優待がある。しかも、新規会員勧誘もできるになったから、これからは勧誘活動をして、インセンティブをもらうこともできる。俺は、SHOトレの良さをまだ知らない人に、良さを説く資格も得たのだ。

俺はトレーナーの進めるまま、一ヶ月で書いた小説を本にした。製本代はちょっとした旅行に行けるほどの額だったが、できあがった本は村上春樹の最新刊より分暑く、俺の心はとても満足した。
毎日その本をカバンに入れて、大事に持ち歩いた。重いしかさばるが、そんなことよりメンタルの向上効果の方が大事。もし俺が望めば、印刷代さえ払えば全国の本屋に置いてもらうこともできるそうだ。

ある日、チャリで帰宅するさい、弓道の練習場の横を通りがかったら、そこから誤って討たれた矢が俺の背中に
しかし、俺は無傷だった。背中にせおったバックパックに入った俺の本が、矢から俺を守ってくれたのだ。
やはり、小説トレーニングはすごい。これからも生涯をかけて信頼していくつもりだ。

即興小説トレーニング4「グルグルクローム」

お題:潔白な螺旋  必須要素:骨董 制限時間:15分(オンタイム)

 

進歩する過程は、高い山につけられた登山道のように、螺旋するものである。
旋回しながら高みにのぼっていくが、その中で幾度も「これはこの前みた景色と同じだ」と思って失望する瞬間がある。
しかし、見えている景色の高さは確実に高くなっており、頂上は近づいている。

 

「これは骨とう品のDNAだな」
研究者は言った。
「つまり、ガラクタだと思って打ち捨てられていたが、後世には評価が高くなるもの……」

当時その王朝では、目が二重で、全体に色素が薄く、足の第2指が一番長い、いわゆる大陸型の人間は忌み嫌われていた。死ぬまで差別を受け、奴隷やゴミ拾いなど職にしかつけず、死後も火葬をゆるされず、凍った土地に放り出された。何も悪いことをしていないのに、そういう扱いを受けていた。
しかしそのおかげで遺伝子が美しい形で残り、研究者が取り出せるに至った。

 

現在ほぼ絶滅しつつある、その遺伝子を持つ人間が、現在流行している感染症に強い耐性を持つのでは、という仮説があり、遺体はその研究に役立った。

 

当時はその大陸型の人間は、むしろ病気に弱く、結婚の時にその遺伝子が忌み嫌われたことから、差別につながっていたらしい。当時は「劣性」「退化した人間」「さるに近い」と言われていたらしい。

しかし実は、人類全体としては、その遺伝子を保存しておくことが、進歩の山をのぼることにつながったのだ。

即興小説トレーニング3「ないがある」

お題:僕と洞窟 必須要素:信仰 制限時間:15分(オンタイム)

 

僕は洞窟の奥へ奥へと進んでいった。かならず洞窟の奥は光あふれる次の世界へつながっていると信じていた。それは、僕のグルの教えで、あまりに暗すぎるから見えないけど、僕の同志たちも、同じことを考えて同じ方向へ進んでいるはずだった。
ついに、あまりに光あふれる世界にたどりついたが、それは僕の目がなくなるのと同時だった。新しい爽やかな風を感じたが、それは僕の身体がなくなるのと同時だった。
僕は、むしろ外へ外へと進むべきだったのか。それとも、これが正しかったのか。そんなことを考える脳ももうなくなっていた。
 

 

「即興小説トレーニング」というサイトを使っています。

即興小説トレーニング2「ブートレッグ」

お題:アブノーマルな仕事 必須要素:靴下 制限時間:15分(オンタイム)

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麻薬売りの俺は靴下の中にいつもブツを入れている。ブーツを履けばすぐには見えない。
どんな時だってうかつには靴をぬがない。
でも俺は彼女と寝る時に焦ってうっかり、そのブツを靴下ごとベッド脇にすっころがしたまま、眠りについてしまう。
起きたら彼女に問い詰められる。
「もう足を洗ったといったでしょう」
そういうけじめのつかない人とは、さようなら、と言われてしまう。
なんてこった。パンツはともかく、靴下なんて脱ぐ必要ないのに。
本当は、今日俺は求婚するつもりで、指輪だって用意していたのに。
彼女のアパートメントを締め出されるように出て、しかたがないので、玄関の前にでていた靴の中に指輪をしのばせる。

いつしか、風のうわさで聞く。
彼女の指がなくなったと。彼女だってアブノーマルな仕事だった。彼女は彼女で、何らかのけじめをつける用件があったのだろう。
なんてこった。指輪はあるのに。指がない。足はあるのに。クスリを詰める靴下も、クスリを詰めた靴下ごとつっこむブーツだってまだあるのに。

もう俺は彼女に連絡することができない。彼女はもうあのアパートメントに住んでいない。
まだ足はある彼女は、指輪を見つけただろうか。
もともと俺たちはすれ違いで、指がなくなる彼女に指輪を送る俺なんて、とんだトンチンカン野郎だったのだろう。
俺は足を洗ったが、おそすぎる。今更。

即興小説トレーニング「監禁期間」

即興小説トレーニング「監禁期間」

お題:臆病な監禁 必須要素:イヤホン 制限時間:15分(5分オーバー)

 

スパイだった俺は今敵の手にかかり監禁されている。
やつらが俺をどうしようとしてるか分からないが、すごい臆病者なのか、一度も姿を見せたことはない。
窓一つないし、周りに人気もなく、この四角くて白い部屋の外部がどうなっているかは分からない。
食事はトレイ一枚がやっと通る、郵便受けのような細いスリットからさしこまれる。そのスリットの向こうにも人気は無く、どうやら機械が食事を届けているらしい。
俺の耳にはイヤホンが差し込まれており、これはどうあがいても絶対に抜けることがない。そのイヤホンのAIぽい声が、たびたび話しかけてくる。
逃げようとしても無駄ですよ、とか、あなたはここで生きた心地のしないまま生かされ、気が狂うまで出られないのです、だとか、士気をくじく言葉を投げかけてくる。
はじめは、スパイになるまでに相当な訓練を受けた俺だから、そんな言葉には屈せず、無視していた。しかし他に全く他の人間がいない空間で、何日もそいつの声だけを聞く生活に耐えられず、時にはつい反応して怒鳴ったりしてしまうのだった。
次第に、AIが軟化してきた。疲れていることでしょう、とか、スパイになったことを後悔していますか、とか、家族はどこにいるんですか、とか、俺の俺の内面に踏み込もうとして来る。そして心なしか、声が俺に似てきたのだ。AIが俺の声紋を学習しているのだろう。精神的にかなりまいっていた俺は、軟化してきた俺によく似た声のAIと会話を始めるようになった。
そして、身の上話から何から話してしまった俺たちは、会話のネタもなくなり、しまいにはどんどん単純化していった。

「つらい」「つらいよな」「でたい」「でたいだろう」「いつまでここにいるんだろう」「いつまでここにいるんだろうな」……こんなものばかりで、俺に似た声が俺のオウム返しをするだけ、それでも精神をぎりぎり保つためには必要な営みだった。
やつらの意図がなんだかわからないが、気が狂わないでいるためには、この声にすがるしかない。
そんな中、ある日起きたらイヤホンがこわれていた。数週間?数か月?ぶりに耳からイヤホンがはずれ、しかし俺はもうあの声が聴けないことに耐えられず、叫び、あばれ、のたうちまわる。
イヤホンのコードを首に回し、意識を断とうとする。これが奴らの狙いだったのか?
 

 

「即興小説トレーニング」というサイトを使っています。

 

ボードゲームについて

ボードゲームをすると人生についてよく考える。
ボードゲームと言っても色々あるのだが、
「資源をためて街をつくる」系のゲームだと、私は資源を貯めることができずに割とガンガン使っちゃう。手札を切りまくりたいタイプ。
大体のゲームは手札を温存しぎるとペナルティが付くようになってるので、ゲームのやり方としてこまめに手札を消化するのは賢明ではあるのだが、そんなペナルティがなくとも、私はガンガン手札を使って、状況を変えていきたいタイプ。

あと、お金が絡むと得意……というのは賭け事に強いという意味ではなく(むしろ弱い)、お金をテーマにしたゲーム(人生ゲームとか)は強い。
普通にお金が好きなんだと思う。
日常生活でも、お金に関する計算が異様に早い。
算数はむしろ苦手で「10000×1.08は?」と言われても分からないが「一万円の賞品に消費税ついたらいくら?」と言われればすぐ答えられる。

でも、お金――ゲーム上の架空の通貨的なもの――を貯めるのは苦手である。上記と同じ理由で、すぐ使っちゃうのだ。お金を使うのが好き。

それから、他人の嘘を見抜く系のゲーム(人狼みたいな)は割と得意。でも疑われがち……。

 

 

これ、全部、ほんとの人生にあてはまる。
すぐ手札切っちゃう(なんか面白いこと思いついたらすぐやっちゃう。貯めておくのが苦手。一瞬後には状況が変わるかもしれないから貯めておく意味なし、と思う)し、お金は好きだが貯まらない。

 

 

ボードゲームをすると自分の人生観が分かるし、他人の人生観も分かる。

私は飲み会などが嫌いなのだが(酒が嫌いだし、薄い会話をしても何が楽しいのかわからない。ガチに仕事の話や人生観の話をすれば楽しいが、そこまでたどり着く前に大体時間切れになる)、
「人の集まりを全部ボードゲーム会にしてくれたらいいのに」とよく思う。

最近の日本には、ボードゲーム合コンとやらもあるらしいが、かなり理にかなっていると思う。
気になる人がいる場合は、付き合う前にぜひ一度ボードゲームをした方が良い。
金遣い、人遣いがヤバいかどうかが分かる。
あと、付き合うなら嘘が下手な人の方が良いと思う。人狼うまい人とは付き合いたくない。

 

 

ちなみに私は、言語系ゲームが異様に強い。この前日本帰国時に6人ぐらいでボードゲーム会をしたのだが、ほぼ全てで一位になった。

「人の集まりが全部、歌会(短歌を作って匿名で発表し合う会)になればいい」と思うこともあるのだが、敷居の低さ的には、ボードゲームでもいいんだろうな。言語系なら、その人の語彙が分かって楽しいし。

1 誰かになることと、何者かになること

何も書けなくなって数ヶ月がたつ。
書くこと以外に楽しいことをいろいろ探してみたのだが、やはり私にとって書くことが一番楽しく、書けないことが一番きついのではないかと思う(空腹とか睡眠不足とか怪我病気を除いて)。
何か楽しいことがあっても「書くことのネタにしたい」と思うし、そう思えないなら経験自体色褪せるような感覚がある。

つまり今は何をしても楽しくない。

書くことで身を立てたいと思い、東京とインターネットで頑張っていたが、今ならすんなり認められる、はっきり言って自分の力不足だったし、身の程知らずなチャレンジだった。

一応インターネットで長年活動した者として、万単位にバズったこともあるし、出版社から声がかかったこともある、でもだからと言って何か実を結んだわけではなく、いまだ誰でもない。

ベトナムにいるといると誰でもなさは更に強まる。
誰も私を知らなく、自分が誰かを説明する言葉ももたず、ただの弱者である(外国人は弱者である)。

インターネットで日本とつながっていれば誰かでいられるのだが、私はここ数ヶ月間インターネットにほとんど何も出力してないので、本当に私は着々と誰でもなくなっている。渋澤怜って誰。

 

 

東京にいると簡単に誰かになれた。すごく狭い世界の話ではあるが、「あーTwitterで見た/文学フリマで見た/ライヴで観た……渋澤さんですねー」となったし、会う人ほぼ全てが知人の知人なので、共通言語が既にあり、話が早かった。

そういう共通言語を吸って、その中で受け入れられる文章を書くことは圧倒的に楽で、(うすうす飽きてはいたのだが)続けていた。

 


しかし誰かになることがゴールでもないし、誰かになるために書いてはいけない。絶対にいけない。

つい、書く前に、バズるか、とか、ウケるか、とか、誰向けか、とか、どの層向けか、とか、考えてしまう。その思考回路の先にあるのは他人の模倣でしかなく、それは私の何より嫌いなものなのに。

誰かになることを手放して、ただ書くために書けた時、私は、何者か(英語でいうsomebody)になっているだろう。

 


東京とインターネットで私が作り上げてきたものは間違いなく財産だし、それ自体を否定するつもりはない。突然の移住と言う乱暴な捨て方で捨ててしまった、と言うか、遠くにうっちゃってしまったのだが、それらが無い時よりもある時の方が私ははるかに生きやすくなったし、それらが無い世界に戻りたいとは全く思わない。むしろ恋しい。

ただ、一ヶ月前には早く日本に戻りたいと思っていたものの、今は「戻ったところで以前と同じ文章を出力する自分になってしまうだろう、それはつまらない」と思っている。

 

 

今までと同じ文章を出力しても意味ないし、本当に変わったものを書けるまで隠居したいという気持ちがある。

本当に書きたくて書くもの以外、何の意味があるんだろう。
書かなきゃ、や、書いときゃいいだろ、や、とりあえず書いとけ、の、積み重ねの先には、とりあえず生きとけ、があって、そこは選び取れない、という自分の頑固さが好きでもある。

幼い頃から(小学校の頃から)物語を書いて本にしていた。その時は、バズるぞ、とか、認められたいぞ、とか、褒められたいぞ、すらなく、内なる創作欲によって書いていた。20代後半までそうだった。

そこに戻ること――ただし技術と諦念を身に着けて――が、目標である。諦念、というのは、人は本当に孤独であり、書くことで孤独じゃないフリなんてしても意味ないという諦念である。

冷蔵庫に文房具を詰めて窒息させる

ベトナムに来て、詰んでいる。

 

もともと私は、日本の/ネットの/東京の、

「皆同じストレスのもとに生きていて、そのストレスを解放するものがバズる」

というマッチポンプ感、狭い世界観、そして自分もそこにどっぷりはまっているという状況が嫌になって、「外に出よう」と思ったのだった。

 

しかし、そこで何も書けない。

書きたい、でも書けない、というか、書こうと思えない。

 

 

結局、ベトナムにも来ても東京と同じ生活スタイルに収束しつつある。

日本の本とネットに浸って日本語の文章を読み、仕事は最小限で、実働時間が少なめの日本語教師とライターを、ちまちまとやっている。ダイソーとイオンでそろえた便利グッズで、自宅を最強の作業場に整え、そして最強の作業場に整えちゃうと外に出る気が起きなくなるので、ずっとそこにとどまっている。

 

移住たった1年で、笑っちゃうくらい同じどん詰まりに、たどりついてしまった。

 

そんな、まるで日本を一部屋分輸入したような部屋で暮らしているのだが、東京の生活との最大の違いは、「芸術から遠ざかっている」ということだ。

 

■日本語芸術のインプット低下

 

わたしがやっているのは言語芸術だ。

絵とか音楽などのノンバーバルなジャンルなら多少違うかもしれないけど、言語芸術をやっている人が外国へ行くと、基本的に日本よりやりにくくなると思う。

 

単純に、インプット、つまり日本語の言語芸術に触れる機会が激減するからだ(日本の本の入手は難しくなるし、演劇や映画やコンサートなど空間芸術を母語で楽しむことがほぼ不可能になる)。インプットが減ると、アウトプットも出にくくなる。

 

 

更に、ベトナムは芸術に不向きの国だと思う。

 

■ベトナムは芸術に不向きな国

 

現在のベトナムはかなり実利一辺倒寄りな国である。

日本みたいな、「さて、物理的に豊かになりきったけど、しかし、人の心は豊かになってないぞ、どうする?」というフェーズに達する前の、「ウオー! 物質的に豊かになるぞー!」という状態。

(こういう、「日本はベトナムの先輩」みたいな言い方好きじゃないし、ひょっとしたらベトナムは全然ちがうルートをたどる可能性もあるけど、しかし今のベトナムはあまりに「昭和の日本」に似ている、とよく言われる)

 

 

そして、以前この記事にも書いたが、ベトナムには文化警察がいる。

こんなにも屋台がたくさんある国で、路上弾き語りや絵描きが、あまりにいないのはそのせいだし、展覧会には開会前に検閲が入るそうだ。

 

今思うと、日本って言論の自由があるし、芸術があふれた国だったんだなあと思う。ベトナムは、街を歩いているだけで芸術のヒントやモチベーションがもらえるような類の街ではない。

 

 

こんなこと元から分かってたし、それでも一年前の私は「日本の狭いストレス空間から出たい!」と思い、自分の意志でベトナムへ来たのだから、自業自得ではある。

 

そして逆に、「『外国で日本語を教える』という特殊環境に居たら、またちがう日本語が書けるようになるかも」という期待を持っていたし、その期待はある程度あたっていた。

それ以外にも、外国に住むと「ノイズが減る」(他人の会話や注意書きなどが単純に読めない、聞き取れないから、そこから受けるストレスがなくなる)など、思わぬ利点もあった。

 

インプットの低下は、kindleやオンライン映画サービスなどを使ってなんとか補うことができる。

 

しかし、そんなことよりなお一番困るのは、「芸術を一緒にする仲間がいないこと」だ。

 

■芸術仲間が必要

 

芸術は無意味だ。

無意味だから、「世の中的には無意味だけど、私にとっては価値があるぞ!」と、自力で担保しないといけない。

 

でも私は(というか多くの人は)、たった一人でそれをし続けるのは難しい。

だから、同じ志を持つ者同士で担保し合うのが良い。

同じ芸術が好きで、お互いの作る芸術を認め合える仲間。東京にはそういう仲間が(今思うと)たくさんいた。

しかしホーチミンでは、仮に在住日本語ネイティブが1万人いるとして、その中で芸術をたしなみ、かつ私と気の合う人なんているだろうか? 

(私の言語芸術は日本語だから、日本語ネイティブに限り、外国語話者はひとまず除外する)

 

仮にいたとして、1人や2人じゃないだろうか?

 

始めの半年はその、一人いるかいないかの人間を見つけようとして、Twitterで毎日ホーチミンネタをつぶやいたりもしたのだが、成果が出ないのであきらめてしまった。(在住者の馴れ合い系むかつくリプライが増えるのみで終わった)

 

■芸術が分かる人と仲良くなりたい

 

私は、なかなか気が合う人がいない。

ホーチミンに来てから、家にこもるに至る前には、かなり頑張っていろんな人と話す機会を持ってみた。しかし、「ただ同じ町に住んでいる日本人」という共通点しかない人にやみくもに会ってみても、仲良くなるどころか、すっごい毒を浴びて撤退する……経験を何度か繰り返した。

 

「女性は甘いものが好きですよねー」とか「ベトナム人はマナーが悪いですから」とか、はたまた慶応があーだ、とか、早稲田がどーだとか。

 

私は、偏見と差別と主語がデカい人はマジで無理なのだが、この世の中にはそういう人がゴロゴロいる。

 

こんな人としゃべるなら一人で家にいた方がマシだと思い、そういう会合にも行かなくなってしまった。

 

多分、私は世の中の9割の人と話せない。

それは私が強情だからかもしれないが、実際そうなのだから現状どうしようもない。

 

(※なぜか芸術をやってる人は、こういうよく分からない毒を浴びせてくる人がほとんどいない。世の中の物差しと関係のない、役に立たない話ばかりしていて、そこが最高。だから、東京だと、「芸術関連の会合に顔を出して、そこから友達を作る」のが手っ取り早かったんだけど……ホーチミンだと日本語ネイティブの人口が少なすぎるから、そういう会合が無い)

 

家で日本の本を読み、日本のネットを見て、自分一人のワンルームで自分の愛する世界を担保しようとしても、一歩外に出れば「実利の国」の空気が、ぐわーーっと押し寄せ、一緒にこちら側についてくれる友人もいない。

 

詰んだなーと思う。

 

 

でも、今日本に帰っても、渡越前と何も変わらない状況が待ち受けてるだけなんだよなー……一個でもステータス変えて日本に帰りたい。今帰ったらただの職歴のあやしい年増の無職、で、鬱病になること請け合いである。

 

「東京のストレスや物価地獄から離れられる環境」、かつ「芸術仲間は失わず創作に打ち込める環境」が両立できたら、海外暮らしは最高だと思うんだけどな……。

 

少なくとも、もし次に海外に住むことになったら、芸術色の強い街を選ぼうと思う。

パッと浮かんだのは昔行ったバリ島のウブド(キャンバスがゴロゴロ転がってて、皆絵を描いていた)だが、今Twitterで「インドネシアでは婚前セックスと同棲が禁止になった」というネットニュースが流れてきた。センス悪すぎる……そんな国は無理だ。

 

■今後のこと

 

ホーチミンにも、2区という、西洋人が住むわりかし芸術色の強い場所があるので、そこの絵教室にでも通おうかと思っている(ノンバーバル系の芸術なら外国人と仲良くなれるかもしれないし)。

 

それと、今月から、日本の友人たちと週1回程度「オンライン歌会」をしている。

https://twipla.jp/events/409031

ずっとドスランプだったけど、昨日突然短歌が作れるようになったのがとても嬉しかった。

 

それから、今月から飼い始めた猫。猫は無意味さを担保してくれる、というか、意味とか無意味から離れたところにいるので、ドン詰まった私の頭に風穴を開けてくれると期待している。状況は改善していると思いたい。

 

 

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この記事を読んでくれた日本の芸術仲間の方あるいはそうなりそうな方、「オンライン歌会」に参加してみてもらえるとうれしいです! https://twipla.jp/users/RayShibusawa